余り物
「んっ……はぁ、おはよう」
「おはよう」
「今は、何時ですか」
「もう真夜中だよ。結構ぐっすり寝ていたね」
香織が勢いよくソファから立ち上がり、壁に飾ってある時計を凝視している。
香織が起きた頃にはもう夜が更けていた。
透夜も途中から眠くなり、少しだけと寝ていたら一時間経っていて、それでも香織は起きることなく、長い昼寝をしていたのだ。
「ここまでいるつもりはなくて!」
ようやく現状を把握した香織が慌てている。
「明日というか今日はもう休みだから大丈夫だ。それにこういうのは恥ずかしいんだけど……もし、香織が起きていたとしても俺が離したくなかった」
「透夜らしくない」
「……そんなことはわかってる」
「あの透夜。こんな時間だからなのですがいいですか」
「騒音以外なら」
「あの時みたいなことはしません!」
弄られたお返しとして皮肉で返す。
必死に否定している姿を見て、子供らしくかわいいと思い、笑いがこみあげてくる。
透夜の胸を握りこぶしでぽかぽかと胸を叩いてくる香織を宥めて落ち着かせる。
「ごめんって。それで?」
「えっと、線香花火をしたいんです」
「オマケで余った二本を使ってということか」
「はい。またやりたいといっていましたし、今やりたいです」
「今?」
「今です」
眠気がないし、断る理由もない透夜は承諾して、手にバケツと線香に火をつける用に持たされていたガスライターを持って近くの公園へ向かう。
夜の公園は当たり前かもしれないが、人は誰も居らず、街路灯が公園を明るく照らしていた。
公園の蛇口からバケツに水を汲んで、街路灯の下で線香花火に火をつける。
物音ひとつしないこの公園では線香花火の火花の音が大きく聴こえる。
「また見ても綺麗ですね」
「もう一回勝負しないか。あの時はトラブルで同時決着だっただろ?」
「その勝負乗ります。負けません」
「こっちもな」
バケツの上で光り輝く線香花火が水面に映し出され、そこでは本当に星が輝いているように見える。
思わず景色に見惚れそうになるのを我慢し、呼吸を静かにして腕の震えを抑える。
線香花火が次第に火花を散らして、ゆっくりと燃え尽きようとしている。
ここから落とさないように踏ん張るはずが、その前にぽとんと香織の線香花火の火球はバケツに落ちていった。
「落としてしまいました……」
「俺の勝ち……か?」
「そうなりますね」
「なんか勝った気になれないな」
「透夜はすごいです。まだ二回目なのにもう殆どコツを掴んでいるみたいで」
「いやいや俺は、ただ抑えるのに精いっぱいなだけ」
香織に勝った気がせず、つい線香花火から目を逸らしていたら、透夜も続いてぽとんと火球がバケツに落ちた。
「あっ」
「よそ見するからですよ。もう少し持ちそうでした」
「そうだったのか……それを聞くと余計に悔しいな。香織はどれくらい保ってたんだ」
「私は……三十秒近くだったと思います」
「今日やってみたからわかるけどとても長いな」
「その時は風もなかったので、柵を背にして、出来るだけ揺れないようにしたらたまたまできました」
ふふんと鼻を鳴らして自慢してくる香織がかわいくて、笑いながら褒める。
燃え尽きた線香花火からまだ火薬のにおいが残っていて、またやりたいなと思った。
バケツの水を捨てて、香織に手を差し伸べる。
「帰ろう」
香織は透夜の手を見て、無言で頷き、スカートの裾を叩いてから透夜の手を取る。
暗い夜道をまっすぐマンションヘ向けて足を運ぶ。
「透夜。透夜はあの線香花火をどうしてオマケにしてくれたか知ってますか?」
「香織が店長の話を言い当てたからじゃないのか」
「実は人数分を手に取った時に気づいたのですが、あの二本は私たちが取らなかったら余り物になっているところだったんです。なので、きっとそれでオマケにしてくれたんだと思います」
「売れ残りの在庫処分が面倒になるのは花火も同じということか」
「そうかもしれません」
香織が俯いて、透夜の手を握る力がぎゅっと強くなる。
しばらく無言が続いて、マンションの前までたどり着いた時に足が止まり、再び香織の口が開いた。
「あの時、透夜にも私なりに手を伸ばして良かったです」
「偶然俺になっただけだけどな。あの時は遅刻してたし」
「もし、遅刻しないで、透夜が隣じゃなくて、ばらばらだったらどうなっていたと思いますか?」
「なんだよそれ」
「想像ですから自由に考えてみてください」
別々の場所にいて、それで香織と仲良くなれているかわからない場合は考えたことがなかった。
でも、ひとつだけ確かなことが言えるとしたら。
「俺は友達になっていないかもしれない。香織に拒絶されて怖気づいて逃げるかもしれないけど、困っていたら助けて、なんだかんだマンションでは隣同士だから知人くらいにはなっている気がするな」
透夜の返答に口元を抑えて、香織が笑った。
「やっぱり透夜は優しいです。他の人に聞いたら会ってないとか、無視してるとか言う人は居たというのに。本当に優しいですね」
「気弱だけどな」
「気弱でもいいと思います。弱いと分かっているからこそ、相手の気持ちに寄り添える優しい人になれるんだと思います。卑屈に考えず、誇ってもいいんですよ?」
「弱い所を自慢するのはなんかやせ我慢みたいで嫌だな」
「そこは捻くれずに優しい部分を誇ってください」
「悪い悪い」
本当にわかっているのですかと空いている手で突かれそうになったのをひらりと躱して、お返しに頭を撫でる。
「少なくとも、香織にとっては優しい人になりたいな」
「なりたいじゃないです。もうなってます充分」
「そういってもらえると助かる。俺はそんなにやっている気がしないから」
「自覚がないのでしたら今ここで全部良い所を言いましょうか?」
「……遠慮しておく。聞いておいて恥ずかしくなる未来が見える」
「賢明な判断です」
一体どれだけ香織の役に立てているのかまだ自覚がないけど、賢明な判断だといわれてしまうと想像よりはるかに上回ることだけはよくわかる。
マンションのそれぞれの部屋の前に着く。
「また……えっと、明日もいいですか」
「予定は空いてるからいつでも」
「じゃあ朝に行きます」
「流石にそれは冗談だと読めるぞ」
「……」
香織が無言で黙り込み、透夜の顔を覗くように見つめている。
透夜は香織の真っ直ぐな視線に耐え切れず、顔を背けて一歩後退りする。
「冗談だよな……?」
「焦る透夜もいいですね。好きです」
香織が頬を桃色に染めてひっそりと微笑んだ。
「俺も、その笑顔が好きだ」
「……いつものお返しですか」
「これは正直な感想。いつまでも見ていたいものだ」
「もう、夜も遅いので失礼します!」
桃色の頬を赤く染めて、香織は扉を思いっきり開いてばたんと音を立てながら部屋に戻っていった。
これで少しは褒められる恥ずかしさを身をもって知って欲しい。
透夜も部屋に戻り、寝間着に着替えてベッドで仰向けになる。
香織が隣で良かったと改めて思う。
席替えの日、あの時は偶然遅刻して、それで席替えの席を選べもしなかった言い換えれば余り物のような存在だった。
そんな透夜を偽りでも香織なりに仲良くなろうと手を伸ばしてくれた。
一生懸命に伸ばした手を一度は透夜が手放したのにまた伸ばしてくれた。
それに応えたいと思っても、自信がなくて、弱いと気づいた。
それでも香織は弱くてもいいと受け入れてくれた。
深呼吸をして声を出す。
「今度こそ俺は……ふっ」
心配して震えている自分が馬鹿馬鹿しくなってつい笑ってしまった。
反響して聞こえてきた声は全く震えるどころか根拠さえないのに自信があるような張った声をしていたからだ。
「俺はもう後悔はしない。だから――」
続きの言葉に声が詰まり、また笑いがこぼれる。
本人の前で喋っているわけでもないから恥ずかしいなんてことはないはずなのに緊張してしまう。
でも、悪い気分ではない。
締めつけるような痛みではなく、しっかり言葉にしたくて堪らない緊張感。
もう一度深呼吸をして口を開く。
「ずっと好きでいる」
もう認めてしまった。認めてしまったからには後戻りは出来ない。
怖くはない。一歩ずつ前に進めるか少し不安なだけだ。
心臓の鼓動が早くなり、目を閉じて胸に手を当てる。
案外悪くないし、むしろ心地良い。
あのクラスで自分は残された余り物。
けれど、余り物には福があるというが本当にそうなのかもしれない。
余り物には天使様という福がある。 常朔 @kainz_299
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