第4話
彼女はためらわずに引き金を引いた。15発、一気に撃ちつくすつもりで撃ちまくる。何も知らない素人が聞いたら、機関銃の連射と勘違いするてあろうほどの猛烈な
違う。彼女は一瞬で悟る。これは
背後に気配。
彼女はパッと手近のベンチの影に飛びこむ──直後、彼女がたった今までいた空間を、凄絶な火線の嵐が貫いた。彼女はさらに動く。姿勢を低くしたまま、恐るべき速度で這い進んだ。その後を銃弾が追いすがる。銃弾をまともに食らったベンチは、パパパパパッ! と木屑を飛び散らせた。
最後の一弾がついに彼女に追いつきかけたとき、彼女はすんでのところで、壁際の大きな柱の影に隠れた。バシッ! と弾が柱に食い込む。彼女は素早くグロックに再装填。同時に五感のセンサーを最大限に稼働させ、〈ウィスプ〉の気配を探る。
いない。
どこへ行った? と思った瞬間、すぐ隣で無機質な殺意が膨れ上がった。ばかな。近い。近すぎる。いったいどうやって──思考は追いつかない。だが、3年間の鍛錬で研ぎ澄まされた彼女の反射神経は、意識よりも早く反応した。
ルーガーの銃口がこちらを向こうとするのを左手ではねのける。銃声。銃弾が天井にのめりこむ。同時にグロックを突きつける。だが、相手もさるもの、素早く銃をはねのけた。引き金にかけた指が思わず動いてしまい、グロックが咆哮する。銃弾は不運な燭台に直撃し、金属音も高らかにそれを吹っ飛ばした。二人はさらに数秒間、
「リズムを変えようか?」〈ウィスプ〉が言う。なに? と問い返す間もなく、痛烈な掌底打が彼女の胸を打ち据えていた。息が詰まる。銃がどこかに飛んでいった。
二撃目が飛んでくる。
しかし、彼女はすでに苦痛から立ち直っていた。これもまた鍛錬の成果だった。素早くブロック。同時に、裂帛の気合とともに下段の蹴りを放った。
「シッ」
〈ウィスプ〉はさらに追撃の蹴りを放った。彼女はそれを受けるのではなく、素早く身を翻して避けた。リズムが崩れる。〈ウィスプ〉が一瞬姿勢を崩したように見えた。
彼女は飛びかかった。
〈ウィスプ〉の目が一瞬大きく見開かれる。
彼女は〈ウィスプ〉の襟首をしっかりつかみ、脚を痛烈に払いのけて、そのまま一気に投げ飛ばした。投げた先には、ベンチがあった。
バキ!
ベンチは断末魔の悲鳴と共に真っ二つに割れた。猛烈な粉塵が巻きあがる。一瞬視界がさえぎられた。それでも、彼女は勝ちを確信した。こんな目に遭わされて、さすがに無事でいられる人間はいるまい。いくらブードゥーめいた魔法を使えても、こればかりはダメだろう……。
埃のベールが晴れる。
奴はどこにもいなかった。
「なっ」
さすがにわけがわからず、彼女は一瞬硬直した。どういうことだ? まさか、あのダメージから回復して、一瞬のうちに逃げ出したとでもいうのか? いやそれはいくらなんでも……
銃声。
右の肩口に衝撃。
彼女はたまらずその場に転げた。焼けるような激しい痛みが襲ってくる。歯を食いしばって耐え、肩をかばって必死に手近のベンチの影に這い込んだ。
銃声。
楯にしているベンチに銃弾が食い込み、木っ端が飛び散る。
銃声。銃声。銃声。
彼女は出るに出られなかった。ちょっとでも頭を出せば、今度こそおしまいだろう。さりとて、弾切れの隙をつこうにも、奴のルーガーには32連
こんちくしょう。
彼女はツバを吐き、にやりと笑った。
右肩の状態をチェックする。そっと傷に触れると、鋭い痛みに呻き声が漏れた。手を離して、目の前にかざしてみる。指先が赤く濡れていた。ちくしょうめ。どうやら、右手は当てにできないらしい。
幸い、持ってきた武器はグロック19だけではない。万が一に備えて、右足首のホルスターに、グロック26を入れてある。もちろん、すでに初弾は装填済み。それを左手でゆっくりと抜いた。
彼女は、そのずんぐりした小型拳銃を、ほんのちょっとのあいだ見つめた。
グロック26は10連発だ。これでも一応勝負はできる。しかし、できることなら、グロック19を回収して、勝負したかった。いちばん手になじみ、信頼している銃だからだ。奴を打倒するなら、やはり、正々堂々の拳銃の勝負で負かしたかった。
それはもう、怒りとか憎しみとか、復讐とか何とかとは関係ない、ガンマンとしての純粋な欲望だった。
そっと視線を巡らせる。わたしのグロック19はどこに行っちまったのか。どこに行ったかわからないなら、あきらめもつくが、せめて目につくところにないものだろうか。ぐるりとあちこち見回す。ない。ない。ない──
あった。
驚くほどすぐ近く。ベンチ間の通路を挟んだ真向かいのベンチの影に、グロック19が無心に転がっていた。手を伸ばせば届きそうに思えたが、そんなことをしたらそれこそあの世行きだとわかっていた。
さあ、どうする?
ふと気づいた。銃声がやんでいる。
奴め、こちらの出方をうかがっているのか? 嫌味だな、まったく。そっとため息をついて、彼女は再度五感をフル稼働させてセンシングを実行した。
奴は説教台の近くにいる。
いつのまにあんなところまで移動したのか、彼女にはさっぱりわからなかったが、もうそんなことはどうでもよかった。
やるぞ。
ベンチの影から飛び出す。グロック26を向けた。相手もこちらに銃を向けている。青白い鬼火をまとったルーガーの黒い銃口。
ふと、奴と目があった気がした。
構わず撃った。先手を打った。
一気に10発を撃ち尽くす。
説教台がまともに銃弾を食らう。飛び散る木屑が、奴に向かって飛び散って、正確な射撃を一瞬さえぎった。
彼女は弾切れのグロック26を捨てて、狙っていたベンチの影に頭から滑り込んだ。一瞬おいて、猛烈な銃撃。
カチン。
固い金属音。
ルーガーのトグルがホールド・オープンした音だ。
今しかない。
彼女はグロック19を左手で握り、立ち上がった。立ち上がりながら弾倉を抜いて、素早く取り出した新しい弾倉を叩き込んだ。スライドが閉じていたのは確認済みだから、薬室には一発すでに入っている。つまり、そのまま撃発可能だ。
3ドットを正確に水平一直線に揃え、その真ん中に奴を捉える。
奴は笑っていた。
無邪気な笑顔だった。
ルーガーがこちらを向いている。
もう再装填を済ませたのか。早いな。
彼女は引き金を引いた。
5発は撃ったな、というところで、胸の真ん中に衝撃を受けた。
「う」
目の前が一瞬暗くなった。
踏みとどまって、奴の方を見た。
〈ウィスプ〉は倒れていた。かたわらに、ルーガーが無心に転がっていた。距離があるはずなのに、どういうわけか、彼女には、〈ウィスプ〉の黒礼服の胸のあたりに、5つの黒い穴が開いているのがはっきり見えた。
穴から溢れた血が、黒礼服をさらに黒く染めていく。血はとめどなく流れて、礼服の下の白いシャツを赤く濡らしていく。
あっけない幕切れだった。
なんだ、こんなもんか、と思った直後、彼女は膝から崩れ落ちた。
立っていられない。
ああ、そうだ。彼女は思い出した。防弾チョッキ、着てこなかったな。そんなもの、着てくるだけ無駄だと思って、身につけなかったんだった。まいったな。
胸に手を当てて、目の前にかざす。
真っ赤に手のひらが濡れていた。
どうやら今回は魔法はないらしい。
どうでもよかった。
わたしは、奴を倒した。
それで十分だった。
彼女は仰向けに倒れた。木の床にごつんと後頭部が当たって、ちょっと痛かった。その痛みも、どこか遠い。
ふと、壁に掛けられた十字架上のイエス像と目があった。
世界一有名な大工の息子、やせぎすのひげ面男は、しょうもないやっちゃなあという顔で彼女を見下ろしていた。
悪かったな。わたしはこういう奴なんだよ。
わかってるよ。イエス像が言った気がした。わかってるよ、ハニー。おめえはいつもそうだったよ。おれの自慢の娘だよ。
え?
なあ、おい、ハニー。おれの自慢の娘。紹介するよ。この人がおまえのおっかさんだよ。上を見てみな。
彼女はかすむ目を見開いて、イエス像の上を見た。すすけたステンドグラス。夜の底が白みがかって、その光がステンドグラスを照らし、そこに何があらわされているかを示していた。
聖母マリア。
それが、見知らぬ顔の、でもどこまでも懐かしい、赤毛の女と重ね合わされる。
ハロー、──。
母親が呼びかけてくる。
おかあさん。
彼女は思わず口走っている。
おかあさん、わたし。
わかってる。マリアさまが、見知らぬ母が、優しく微笑みながら言う。あなたはよくやった。自慢の娘よ。一度もしっかり抱っこしてあげられなくてごめんね。
おかあさん。
おとうさん。
それ以上は言葉が続かなかった。
どんどん世界が暗くなる。
死神が優しく微笑みながら、傍らにひざまづくのを感じる。
死神が彼女の顔をのぞきこんだ。
おみごとだった。
〈ウィスプ〉だった。
なんでお前が。
細かいことはどうでもいいだろ? 〈ウィスプ〉が言う。とにかく、きみはぼくに勝った。みごとだった。おめでとう。
死んじまっては喜びも半減だけどな。
まあ、そりゃしかたないね。〈ウィスプ〉は笑った。人間はいつか死ぬものだよ。
わかりきったことを言うなよな。彼女は苦笑いした。それより、ちょっと席を外してくれよ。家族水入らずの時間なんだ。わたしにはもう時間がない。もう少しだけ……。
ご心配なく。〈ウィスプ〉がいたずらっぽく笑って言う。
なに?
きみには時間がたっぷりあるから。これから先。
は? なに言ってる?
そこでふと気づいた。父親と母親が、こちらに向かってひらひら手を振っているのだ。
えっ、どういうこと。とうさん。かあさん。
いやあ、ハニー、迎えに来てやったのはいいんだが、どうもまだ時期尚早らしくてな。
ごめんね、──。話したいことはたくさんあるけど、それはもうちょっと先になりそうね。ゆっくり待ってるわ。
は?
それ以上はもう、彼女には何もわからなくなってしまった。
彼女は目を覚ました。
再び目覚めることができようとは、彼女は思っていなかったから、大した幸運と言わざるをえない。しかし、それにしても、何がどうなっているのか? 彼女は困惑していた。確かに、わたしは死んだ。銃弾は胸を貫いて、心臓に食いこんで……とにかく、わたしは死んだ。まちがいなく。
ならこれはいったいなんだ?
彼女はゆっくりと立ち上がって、全身を確かめた。その時点で、たいへんなことに気づいた。
彼女はいつのまにか黒礼服を着ていた。
どういうことだ? 彼女はわけもわからず、その場に立ち尽くした。そのとき、ふと、左脇の下に重さを感じた。おそるおそる礼服の左脇の下に手をやった。何かがある。これは……拳銃の
はたしてそれは、まぎれもなく、あのルーガーだった。
〈ウィスプ〉のルーガー。
ではわたしは。
彼女が呆然と立ちすくんでいると、声が聞こえてきた。
そういうこと。きみは晴れて〈ウィスプ〉になった。襲名おめでとう。
なんだ、なんだこれは。こんなの聞いてないぞ。説明しろ。
いちいち説明する必要はないと思うけどなあ。
ふざけるなよ。
怒らない、怒らない……まあ、想像はつくと思うけど、当代の〈ウィスプ〉を倒した奴が、新しい〈ウィスプ〉になる。そうやって〈ウィスプ〉の名は引き継がれてきたんだ。いつ頃からこのリレーがはじまったかはわからないけどね。とにかく、きみはぼくを倒し、新しい〈ウィスプ〉になった。その銃の使い手にふさわしい力量を示したということさ。
なあ、おい。これ、返上できないのか?
残念だけど、できないね。これはぼくが決めたことじゃなくて、その銃が決めたことだから。
なんだって……
彼女は呆然と、手の中のルーガーを見つめた。ルーガーは何もいわなかった。ただ、その銃身に、一瞬、青白い鬼火がはしったのが見えた。
よろしく、と言われている気がした。
彼女は思い出していた。あの日、〈ウィスプ〉は言った。自分ではなく、銃が彼女に用があるのだと。そういうことだったのか。何たること。
まあ、そういうことだから。がんばってね。ぼくもやっとこれで解放されるよ。ずいぶん気楽な気分だね。半世紀ぶりだもん。
ああ、そういうこと……。
彼女は自分が逃れられないことを完全に悟った。
早く解放されたいなら、後継者になりそうな腕利きを早く見つけることだね。まあ、そう簡単には見つからないけど。……じゃあ、そういうことでね。これで本当にさよならだ。二度と会うことはない。バイバイ。
気配が遠ざかっていくのを彼女は感じた。
ふと、その気配が立ち止まった。
ちょっとすまないんだけど、きみの銃、もらっていい? こんな新しい銃、久しぶりなんだ。使わせてほしいんだけど。
ああ、いいよ。彼女はもはや苦笑するほかなかった。どうせいやとはいえねえ立場だからな。好きにしな。……大事に使ってくれよ。わたしの相棒だったからな。
もちろん。
それきり、完全に気配は絶えた。
彼女はひとりになった。
朝の日射しが、ステンドグラスを通じて、教会の中を照らす。
彼女は、目の前に倒れている、自分自身を見た。胸の真ん中に穴が開いて、そこから溢れた血にまみれて、見栄えがいいとは言えなかったけれど、その死顔──厳密には死んでいるわけではないのだが──は、やったぞ、とでも言いたげな、満足そうな笑みを浮かべていた。
彼女はその顔をしばらく見つめ、それから、自分自身のこれからについてしばらく考えた。これから先、いつまで続くかわからない拳銃稼業について……まあ、しかし、うじうじと考えてもしかたないかと考え直した。
まあいい。時間はたっぷりある。夜は長いようで短いけど、わたしにはこれから先、数え切れないほどの夜があるから。
ふと、外で風が吹いた。
どこか遠くで、目を覚ましたばかりの鳥たちがばたばたと飛び立っていく。
羽ばたきの音が止んだとき、もう彼女の姿はどこにもなかった。
銃は誘う HK15 @hardboiledski45
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