第4話

 誉津別命ホムツワケノミコトの母・狭穂姫命サホヒメノミコトは、夫の活目大王イクメノオオキミが、天皇の御用で忙しいのを良い事に、実兄の狭穂彦王サホヒコノミコと、あるまじき仲となっていた。

 やましさが無ければ、二人きりでいる所を見咎められても、堂々としていられるが、そうで無い彼等は、その場所に、誉津別命を引き入れていた。


 既に、誉津別命は、泣く事しか出来ない赤子ではなかった。彼は、戸口に向かって座らされ、背後に、母の嬌声を聞かされていたのだ。


「ああっ。兄上様」

「狭穂。狭穂。なんと可愛いのだ。くそっ。活目が憎い」


 誉津別命は、二人が何をしているかは、よく解っていなかったが、それが、いけない事である事を感じ取り、父に訴えたい衝動もあった。だが、狭穂彦王の来ない日の母は、誰よりも優しく、その母に口止めされた事であれば、それに従うしかなかった。


 十干十二支:丙申ひのえさる

 その日の誉津別命ホムツワケノミコトは、体調が芳しくなかったが、狭穂彦王サホヒコノミコの訪れのある日だったので、いつもの様に、戸口に向かって座らされていた。しかし、徐々に上がっていく熱の為、その場で倒れ込むように横になり、失神するように寝入った。


 我が子が、そのような状態であるにも関わらず、狭穂姫命サホヒメノミコトは、これ幸いと、胸につかえていた事を、狭穂彦王に白状した。


「兄上様。私、赤子を身籠りました。…兄上様の御子です」


 これには、狭穂彦王も真顔になって問い詰めた。

「狭穂。其方、活目イクメともいたしているのか?」

「いいえ。兄上様。夫は、大王になられてから、天皇の御用で瑞籬宮みずがきのみやに詰めたまま…珠城宮たまきのみやに帰られても、余程、疲れているのか、閨事には至らぬのでございます」

「では、赤子は、間違いなく私の子なのか」

「はい。…ああ、どうしましょう。…このまま、流してしまおうかとも思ったのですが、兄上様の御子だと思うと、そうするのも忍びなく…」


 狭穂彦王は、顎に手をやって、しばらく考えた後、


「よし。狭穂。次に活目が戻れば、奴を殺せ。其方と奴が、していない事を知っているのは、其方と奴と私だけ。奴を殺してしまえば、その胎の子は、奴の子として生まれて来る。産まれるのが女であれば、このまま誉津別を私達の傀儡とし、男であれば誉津別も殺してしまおう。そして、私達の子を大王の後継者にするのだ。嗚呼。狭穂。ようやく言える。よくぞ私の子を身籠ってくれた。これ程の慶びは無い!」

「ああ。兄上様。嬉しい」


 しかし、狭穂姫命サホヒメノミコトはそれを仕損じた。


 活目イクメ大王は、忙しさもさる事ながら、寵妃を持たない程、狭穂姫命に惚れていたので、彼女を赦し、罪は、狭穂彦王サホヒコノミコにのみある事にした。しかし、狭穂姫命は、狭穂彦王のいない世で生きるより、彼と共に死ぬ事を選んだ。


 狭穂姫命は、誉津別命ホムツワケノミコトと共に隔離された竪穴式住居から、誉津別命を置いて、煙出しから脱出しようとした時に、誉津別命は、「母上、行かないで」と、狭穂姫命の足に縋りついた。

 狭穂姫命は、纏わりついた誉津別命を突き飛ばし、更に蹴りつけた。

「邪魔をするな! 忌々しい。お前なんか、いらない!……ああ、愛しい兄上様。狭穂は、今、参ります」

と、夜叉の面立ちで言い捨てて抜け出し、狭穂彦王の立てこもる稲城に向けて駆け出して、焼け死んだ。


 ❖◇❖◇❖


 大綿津見神オオワタツミノカミは、龍蛇神リュウジャジンの宮にいた。


「先だっては、大変、お世話になりました。お陰様をもちまして、肥長ヒナガには、ようやく恥辱を雪がせる準備が整いました」


「おお、そうか。では、御霊も戻ったのだな。肥長比売におかれては、酷い目に合われたが、結局は、婿を迎えられ、龍蛇殿としても、娘を手放さずにおけて、良かったではないか」


「はい。まぁ、仲良くしているようで…。我が娘ながら、怖い程に、美しく…。…あの時、道主貴ミチヌシノムチの三女神様の元への出仕が決まっていたのを、土壇場で大己貴オオアナムチ様から嫁ぎ先を決められ………宮に帰ってきた肥長の話を聞いた時は、はらわたが煮えくりかえりましたが、今となっては、まぁ、これで良かったのかと…」


「確か、道主貴の宮殿には、新設の『玄蕃寮げんばりょう』の大允だいじょうにと請われていたのであったな」


「はい。これまでは、葦原中国の内の航海の安全はともかく、外国への航海の事は、三女神様方によって守られておりましたが、今より更に盛んになるとなれば、三女神様方にのみ御手を煩わせるのは、いかがなものかという事となり、新設されたのでございます。私の娘という事で、特別なお声がけをいただいた上、既に、正七位下の位まで頂戴いたしていたというのに…」


 ちなみに、龍蛇神リュウジャジンは、出雲大社の玄蕃寮の玄蕃頭を勤めており、従五位上であり、大綿津見神は、彼の血統から、一品いっぽんであった。


「だが、嫁がせる事については、納得していたのではないか? それだから、稲佐の浜へ、肥長比売一人を行かせたのではないのか?」


「いえいえ。とんでもない」


 龍蛇神は、大袈裟ともいえる程、二の腕を振った。


「あれは、大己貴オオアナムチ様から騙し討ちにあったようなものです。『縁組を断るのであれば、肥長に大社に参らせ、挨拶をさせよ』と、仰られるから、お言葉に従ったまでの事。まさか、稲佐の浜からかどわかされて、ものにされるとは、思ってもみませんでしたよ」


 大綿津見神オオワタツミノカミは、ぽかんと口を開けて聞き、当時、帰ってこない娘を心配した龍蛇神も、恐らく、今、話しているままの、眉尻を下げて、困った様な表情をしていたのだろう。と、想像し、フッ。と肩を揺らして、鼻で笑った。

 笑われた事にムッとして、

「笑い事ではありませんよ。大己貴様は、肥長が稲佐の浜へ行く前にはもう、とっくに、出仕についての御断りを入れていたのです。ご丁寧に、『純血ではなくなったから』という理由まで添えていらしたのですよ」

 と、興奮気味に付け加え、肩を落として、ため息を吐いた。


「…実際、あちらの相性は、良かったのでしょう。翌朝には、手籠めにされた事を恨みとはせず、正妻になる決心をしていたくらいですから。それに、惨い事を言われて捨てられたにも関わらず、私は、誉津別ホムツワケを、誉津別のまま、罰しようとしていたのですが…と、これより先は、もう何度もお話いたしておりましたね」


 菟上王ウナカミノミコの胸の中で、彼に強引に口づけられた肥長比売は、神力を使って卒倒させた後、斐伊川を下って、龍蛇神の宮へ帰った。そして、自分の身に起こった事を、包み隠さず父親に告げ、

「人の世の事は解りかねますが、私は最早、誉津別様の妻となり、覆す事は出来ません。夫には、これより永遠に私と契って頂きます。ですが、夫の暴言を許す事もできません。暴言を紡いだのは、夫の御霊でございます。ですから、夫の御霊には型代に入って頂き、人の世において、夫と同じ年数を、夫と同じ苦しみでもって禊がれ、時満ちれば、夫の代わりに、私の心の痛みを身をもって受けていただくがよろしいかと思います」

 と、言った。


 そして今、彼女は、そうしているのである。


 日本武尊ヤマトタケルが受精した時に抜き取られ、これまで木偶でくのようになっていた誉津別命ホムツワケノミコトは、罪を犯す前の自分に警告に行った日本武尊が預かった御霊が、肥長比売ヒナガヒメの手許に戻ってきたので、体内に魂の半分を取り戻した。


 誉津別命の、もう半分の魂を持つ日本武尊は、肥長比売の御前にいる時は、声を発する事が出来なかった。それというのも、肥長比売が誉津別命から受けた辱めは、彼の発した言葉によって受けたものであったからだ。


 肥長比売が命じると、日本武尊は、その意志に関係無く、自らイソギンチャクの巾着の中に入った。

 五十葺山から連れてこられた時と同じ事が、そこで展開された。違う所といえば、日本武尊についばむような刺激を与えているのは、プランクトン達であり、当の肥長比売は、柔らかな珊瑚の寝台に腰かけ、彼女の横には、呆けたような誉津別命が腰かけていた。

 三人は、同室にいるように見えて、日本武尊は別室にいた。三人は、残りの二人を瞳の中に取り込んでいる様な状態であった。

 例えば、肥長比売の場合は、左目は、別室にいる日本武尊を映し、右目は、横に座る誉津別命を見ているような状態である。

 誉津別命と日本武尊の外見は、そっくり同じであった。日本武尊にプランクトン達がぶつかる度に、日本武尊の肉体は、ピクピクと動き、顔面は、引き攣りをお越し、歪んでいく。


 そうこうしている内に、日本武尊ヤマトタケルの脳内に麻薬物質が分泌され、彼は、快感を覚えだした。二つに分かたれた魂は、いわば送信機と受信機である。日本武尊の快感を、誉津別命ホムツワケノミコトが受け取るのだ。彼等の局部は、同時に反応を示した。

 肥長比売ヒナガヒメが、誉津別命に寄り添ったのを合図に、二人は始めた。


 肥長比売は、ただただ、誉津別命によって与えられる悦楽に酔いしれ、歓喜の嬌声をあげるに興じたが、日本武尊は、プランクトンが身体にぶつかる毎に襲われる、焼きごてで押し付けられる様な痛みと、脳内物質を上回る、淫らに揺れる彼女の肢体や、肥長比売がわざと聞かせる喘ぎ声に刺激され、肥長比売を犯したい欲望に蝕まれていた。そのフラストレーションは、自分と同じ顔をして、彼女を犯す誉津別命に向けられた。

 誉津別命は誉津別命で、内容こそ忘れていたが、目を覚ます前まで見ていた夢に打ちのめされ、寝惚けたように、うつらうつらしていたところを、突如、許容範囲を遥かに超える欲望が芽生え、臨戦状態に置かれたのである。敵兵を感知すれば、砲弾を打たずにはおられない。元々の性質もあるが、日本武尊の欲望が満たされない限り、弾切れを起こす事も無い。そうしているうちに、性欲と共に自分自身に対する憤怒も沸き上がり、体中を緋色に染め、鮮血の涙を流す日本武尊に我が身を重ね、赦しを哀願しながら、肥長比売が蕩けそうな愛撫をして、彼女は、恍惚の果てに向けて昇っていったのであった。


 その瞬間を以て、ようやく日本武尊ヤマトタケル誉津別命ホムツワケノミコトは解放された。


 その後、誉津別命は、肥長比売ヒナガヒメが起こしに来るまで、幼少期の夢を見ながら眠り続けるのだが、日本武尊は、積りに積もった衝動の内、誉津別命に向けるべきものは曙立王アケタツノミコに向けて、彼の身体をグチャグチャにし、肥長比売に向けるべきものは菟上王ウナカミノミコに向け、彼は、日本武尊の誉津別命に対する嫉妬の感情ごと呑み込まされた。


「…そういえば、その後、弟橘媛オトタチバナヒメはいかがお過ごしですか?」


 龍蛇神リュウジャジンが尋ねると、大綿津見神オオワタツミノカミは、表情を綻ばせた。


「おお。弟橘か。うむ。ヒドロちゅうの産屋として、よく勤めてくれておる。体内で育ったヒドロ虫が群体を成し、クラゲとなったところで、それをふんばり、尻からひり出す。ただそれだけの仕事だが、龍蛇殿から、アレをそれに使うよう進言されて、使ってみれば、実に良い。産屋をアレだけにするには、ひり出す量が足りないが、アレが歌舞するのが刺激になるのか、クラゲ共が機嫌良く出てくるのだ」


 龍蛇神リュウジャジンは、入水した弟橘媛オトタチバナヒメを、受け止めると、彼女の、日本武尊ヤマトタケルへの愛情にほだされ、思わず、彼女の願いを聞き届ける誓約をしてしまった。

 しかし、改めて、彼女の深層心理を覗き込んでみて、それは、間違いだったと気づいた。

 龍蛇神は、謀られた事に憤慨し、弟橘媛に“産屋”の任に就かせる事を奨めたのだった。


「それは、ようございました。クラゲは、大綿津見様の目であり、時には大綿津見様自身ともなる大切な器。ですが、自ら大綿津見様に身を捧げたものでなければ、排泄する事ができません」


「そうだ。重要な役目なのだ。だが弟橘は、初めてそれをさせた時に『屈辱』だと言い放ち、それ以来、折角、呑み込ませたヒドロ虫の卵を、喉の奥に指を入れて掻き出し、何度も、何度も、吐き出しておった。…折角の良い産屋だが、余も癇癪を起こし、いっそ、住吉や、豊玉彦にでもくれてやろうかと思ったが、怠け者をやって、苦情を聞くのも馬鹿馬鹿し…」


 大綿津見神が言い終わるより先に、龍蛇神は、その場に正座をし、両手を膝の前に揃えた。


「そのような厄介な者を奉じて、申し訳ございませんでした」


 そう言って頭を下げようとする龍蛇神に、大綿津見神も、一歩足を出し、しゃがみこんで、土下座しようとするのを制した。


「ああ、いや。龍蛇殿を責めておるのではない。それに、龍蛇殿は、アレを働き者に変えてくれた。こちらこそ、感謝せねばなるまい」


 二柱は、なんとなく視線を絡ませ合い、どちらからともなく、吹き出して笑った。

 そのまま、大綿津見神は、床に尻を落とすと、今、思い出した。というように柏手を打った。


「そうそう。此度はそれを伝えに来たのだ。実はな、5日程前の事なのだが、弟橘が、いつもより、より一層、大きな声で、ぎゃあぎゃあと叫び歌っていたので見に行くと、白目剥き、身を掻きむしって舞い踊っておったのだ。その激しい舞いっぷりに、何がアレを、突如、芸達者に変えたのか?と、思ったら、夜明け前にひり出したのはカツオノエボシであった。…あの舞は、話に聞くところの天鈿女命アメノウズメもかくやと思うてな、皆の前で披露させようと思うたのだ。龍蛇殿も、肥長比売を伴い、余の宮を訪ねて参れ。傑作であるぞ」


 カツオノエボシは、猛毒を持つ電気クラゲである。それは、弟橘媛の十二指腸で、その形を成し、大腸や小腸を触手で引っ掻きながら、肛門へと向かった。

 それを排泄した後の弟橘媛は、身体が痙攣するのにまかせながら、

消滅して。早く、私を、消滅して)

と、それだけを思っていた。


 ❖◇❖◇❖


 十干十二支:甲寅。

 どうしても、もう一度、母親に会いたかった彼は、大和国から飛翔する指示を無視し、河内国へ向かった。

 白鳥の彼に、稲日大郎イナビノオオイラツメは、彼が初めてみる優しい表情で、近づいてこようとしていた。だが、その嬉しさに鼓動を速めると、彼女は、嫌悪を露わにして、背中を向けてしまった。


 最後まで、稲日大郎に拒絶された日本武尊は、涙を流しながら、大空高くに飛翔し、時空の壁を越えて、珠城宮の上空を飛んでいた。


「クァッー!(母上、私を愛して下さい)」

「クァッー!(兄上よりも、愛して下さい)」


 日本武尊の咆哮が、地上に届く筈は無かった。

 しかし、地面に立った誉津別命ホムツワケノミコトは、彼の願いを聞いた。


 完


❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖



 後書


 自主企画

 主催者:香鳴裕人 様

[第2期] 同題異話SR -Aug.- 『願いをさえずる鳥のうた』


 参加用書下ろし作品です。


 お題を見た瞬間

「これは、日本武尊だね」

 と、思ってしまいました。

 そんなわけで、また、時代が逆行してしまったorz



 

 この時代の敬称表記について


 天皇=

 大日孁貴神が認めた葦原中国の統治者で、人であると同時に彼女の眷属。

 俗世の事に関しては、大王に命令する。


 大王=

 大和国王の事。天皇の皇太子。

 実質的な、天皇の影響下にある国の統治者。(天皇の命令の、指揮実行も担う)

 * 天皇と敵対する国の統治者も大王と名乗る。


 尊=

 大王の後継者。


 命=

 大王の子。

 天皇の子孫。


 オウ

 天皇の子孫で、大王の代わりに、天皇の影響下にある大和国以外の統治を任せられた者。


 ミコ

 王の子供。


 という感じで、考えました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【大法螺葦原国史】願いをさえずる鳥のうた 久浩香 @id1621238

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ