第3話
十干十二支:甲寅。
既に、4年の歳月が経過していた。
「私の
そう言い放った彼女は、日本武尊の実母であった。
小碓命とは、日本武尊の元の名前であり、大碓命とは、彼の双子の兄である。
稲日大郎が、彼等を出産した後、未だ大王であった大足彦の寵妃の
それだけであれば、
さて、基本的には、通い婚であり、男は夜這いする。厳密に決められている理由では無いのだが、身分が上がると、妻が他の男を通わせぬように囲い込む為、自身の宮の中に女を住まわせるようになる。そして、通って行くのならともかく、住まわせる事の出来る女は、大抵の場合は、正妻のみであり、王の身分になると、妾も住まわせる。但し、大王や王が囲える妾の数は、天皇以上の権勢を持つ事を
それまで、
大足彦天皇は、彼女が、小碓命にかける愛情の深さも知っており、彼を殺させた罪悪感から、進言の通りの事を命じた。
小碓命が
「私の大碓命は、筵に包まれて投げ捨てられたのですよ。小碓も、そうするべきなのです」
「后よ。朕は、それを聞き入れる事はできない。尊は、其方の進言を受け入れ、大碓殺害の禊として、
度重なる
❖◇❖◇❖
彼女は、日本武尊が亡くなってから、彼と関係を持った女性達を、『彼の御霊を慰める為、思い出話を聞きたい』という名目で呼び寄せ、日本武尊が、誰を愛していたのかを探った。それを知って、どうしようという訳では無かったが、愛した男が、どんな女性を求めたのかを知りたかったのだ。
しかし、どの女性達も、彼女達は彼を愛していたが、愛し返されている風では無かった。
何故か皆、日本武尊が愛しているのは両道入姫皇女で、彼女が、彼を拒絶していると思っていた。女性達は、正妻に愛されぬ孤独を抱える彼を、赤子をあやすかの様に甘やかせていたのだ。と、言った。
尾張国の
「では、夫は、貴女の愛らしさに一目で心を奪われてしまったのね」
「初めてお会いした時の尊様は、何かに憤慨しておいででした。そして、誰かの事を口汚く罵っておられました。尊様は、その誰かの代わりを私に勤めさせ、熱を冷ませたのでございます。事を終え、自分のしでかしてしまった事を後悔された尊様は、その罪滅ぼしの為に、私を寵妃とする事を、お約束して下さったのだと思います。…ですから、初潮を迎えた私と契りを結んだ時は、とても大切にして下さいました。それからしばらくして、五十葺山に向かわれる前夜、私は何を言ったのか、尊様を、大層、怒らせてしまって、初めての時と同じようにされたのです。……思えば、尊様は、何かを求めている様でした。それが何であったのかは、解りかねますが、私は、尊様より預かった草薙剣を、奉斎して生きていきたいと思います」
女性達が、皆一様に、そう思っていたのには、日本武尊の“うた”の所為である。
┌─────────────────────────────┐
│
└─────────────────────────────┘
この“うた”の所為で、彼女達が、彼女達の胸の裡で密かに
日本武尊がうたった、愛しい我が家に住む女性は、両道入姫皇女一人であった。
「あれは、傑作だったな」
「あれ?」
「ああ、あれだよ。どこだかの山頂の」
「ああ、あれか、…ああ、あれは傑作だった」
「いきなりだったな」
「そう、いきなり『我が妻よ』と泣き叫んだんだ」
「女共の顔を見たかい?」
「見たさ。乳、ほっぽり出して呆然としてたな。綺麗どころが雁首揃えてさぁ」
「儂らにはさせねぇ女が、させてやるつもりだったんだぜ」
「あれで、良い思いをした奴もいるんじゃねぇか?」
「代わりに夜這って、うまうまとやれた奴がいるんじゃねぇか?」
「どうだろうな。あれは、夜這わねぇって、言ったようなもんだぞ」
「妻以外には、夜這わねぇ…って事か? そりゃ、妻は惚れられてるねぇ」
「妻っていう女は、誰なんだろうなぁ? あれだけの男だぞ」
「ああ、それなら、
「お、そうか? どの女だ? あの熱田社の女の事か?」
「いいや、違う。死んだ女だ。
彼等の会話は、両道入姫皇女を
❖◇❖◇❖
能褒野にて、
(愛しい貴方。貴方が、心から愛おしまれた
そう思いながら、日本武尊を葬り終え、陵に背中を向けると、それまで照り付けた陽の光が、突然、遮られ、彼女達の頭上を覆う何かが現れた。
太陽が、雲に隠れたのでは無い証拠に、周囲の田畑は、陽光を浴びていた。
皆、驚いて、一斉に頭上を見上げると、大きな一羽の真っ白な白鳥が、彼女等の上を飛んでいた。
両道入姫皇女は、
彼女は、子供達と共に輿に乗り、白鳥を追わせた者達が、向かった方へ向かった。海に到着し、輿から降りると、棺を開けた群臣が、彼女達に追いついた。
「申し上げます。棺の中には、尊様の衣服だけが残され、屍骨はございませんでした」
両道入姫皇女は、
(やはり)
と、思った。
不思議な事が起こる前兆はあった。
それが、何を意味するものか計り知れず、その事を知っていたのは、
白鳥は、その姿に戸惑っている様で、竹の切り株を縫うように飛び立っては地面を歩くのを、暫く、繰り返していた。
しかし、群臣達が、白鳥を捕らえようとするも、羽に触れる事も出来なかった。
やがて、白鳥は、子供達の内、嫡男の
❖◇❖◇❖
大和国から、飛び去った白鳥は、
「まぁ。なんと大きく、立派な白鳥なのでしょう」
稲日大郎は、目前に舞い降りた白鳥に感嘆した。立ち上がり、傍に近寄ろうとしたところで、その白鳥と目が合い、思わず、眉を
何とも言えず、嫌な感じがした。
「ああ、いや! 何故かは解らないけど、あの白鳥は、いや! 誰か! 誰か、あの白鳥を追い払って!」
そう叫び、白鳥に背を向けると、白鳥は
「きゃあ!」
と、稲日大郎は、悲鳴を上げさせた。
白鳥は、そうして天高く舞い上がって消えた。
❖◇❖◇❖
十干十二支:
大和国に連れ戻された
人々はそれを、『罪の意識からくる幻覚』だと一蹴したが、彼女は、ふとした時に訪れる
彼女を后にしておく事を持て余していた
棺を見送ったのは、
稲依別命は、遠ざかっていく棺を指さして、
「はーー。いくーーーよ」
と、頼りなげな表情で、婢女を見た。
「白鳥が飛んでいかれたのですか?」
「ぅんーーーー。そーーーー」
「そうでございますか。さぁ、御祖母様も、行ってしまわれました。命様も戻りましょう」
「ぅんーーーー。ねーーー」
「あらまぁ。それは、夕餉を召しあがられてからにいたしましょう」
「やーーー。ねーーの」
「はいはい。では、寝所に参りましょうね」
稲依別命は、
彼が娶ったのは、
その後、
大足彦が天皇となり、ようやく妃になった稲日若郎は、姉よりも先に亡くなっていたが、長く忘れられていた母の不憫を見ていた彦人大兄命から、色々と言って聞かされてきた大中姫は、次期天皇の后になれるものと嫁いできたが、稲依別命の赤ちゃん返りによって、彼と閨を共にするのを拒み、その役目を自分の婢女に押し付けて、自身は、彼の弟の
彼女は、
一方の婢女は、稲依別命の子供を宿し、存外、幸せに暮らした。
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