死に至る物語

棗颯介

死に至る物語

 私には生きる価値がないと思っていた。

 容姿に恵まれたわけでも、友達がいたわけでも、勉強ができたわけでもない。


 そんな私に、人を殺す才能があるとは思っていなかった。


 昔から読書は好きだった。

 小学生の頃は休み時間になると逃げこむように図書室に赴き、夏休みには町の図書館で朝から晩まで一日中いろんな本を読んで過ごしていた。

 そのおかげで、国語の成績だけは高校2年生の現在まで悪くなかった。

 きっかけは、本当にただの偶然だった。ネットサーフィンをしていたときに偶然目についた、小説投稿サイトのWeb広告。

 私が最初に書いたのは何気ない日常の中で小さな幸せを見つける女の子の物語だった。一応断っておくが、読書好きで国語の成績がそこそこ良かったとはいえ、私は物語を書いた経験などないし、どこかで誰かに学んだわけでもない。物書きとしては本当に素人だったから、最初はただの暇つぶしのつもりだった。

 そんな暇つぶしで書いた物語に100を超えるコメントが送られた時は本当に驚いた。


【女の子の見つけた幸せに感動しました!】

【とても素敵な物語でした、次のお話も楽しみにしています!】

【私も今辛い状況ですが、この女の子みたいに幸せを見つけてみたいです!】


 私の書いた物語でこんなに沢山の人が感動してくれている。

 私の書いた言葉の連なりが、人の心を動かした。

 私の言葉には、人の心を動かすだけの”力”がある。


 言葉の力に魅了された私が物語の執筆にのめり込むのに時間はかからなかった。

 平日は日中高校に通い、家に帰るとすぐにパソコンを開いてノルマのように小説を投稿した。小学生の頃から数えきれないほどの本を読んできたおかげか、作品のアイディアは枯渇することはなかった。何も考えていなくても、家でパソコンの前に座ると自然と書く物語のアイディアは浮かんでくる。気付けば一日に1話物語を投稿することが日課と化していた。休日は調子が良い時には一日で3作以上投稿することも珍しくなかった。書いても書いても書くことは尽きなかった。

 そして作品を投稿するたびに読者と感想コメントの数は増えていった。投稿した作品へのコメント通知は朝から晩まで鳴りやむことはなかった。私が書いた物語で多くの人が心を動かされ、希望を抱き、あるいは涙を流してくれる。その実感と手ごたえに酔っていく。

 最初の物語を投稿して1ヵ月が経つ頃には、私は極一部のネット界隈でちょっとした有名人になっていた。


 ある日、いつも通り私が書いた物語のコメント欄を見ていると、とある感想文が目に留まった。


【——さんの明るいお話も大好きですが、暗いお話も読んでみたいです。】


 言われてみれば、私が書いている物語は明るいハッピーエンドの物語ばかりだった。暗いバッドエンドの物語が嫌いというわけではない。昔はそういうジャンルの本もよく読んでいたし、きっと書こうと思えば書ける。最初に書いた物語が明るい話だったから、その後に書いていた作品の内容も無意識にそちらに寄ってしまっていたのかもしれない。読者が私に求めているのはそういう物語だと錯覚してしまっていた。そろそろ違う方向性の作品を書いてみてもいいだろう。


 最初に書いた時と同じようにまたしてもそんな軽い気持ちで書き始めたが、暗く重いバッドエンドの物語こそ、私の才能を最大限生かせるジャンルだった。


 元々私は世間的に弱い立場の人間だった。夢も希望もない、友達もいない、つい最近まで人に自慢できるものが何もなかったほどの。だからこそ、同じように逆境に立たされている人の心は手に取るように理解できた。それに私の物書きの才能と、過去に数えきれないほど読んできた著名な作家たちから貰ったアイディアが組み合わされば、リアリティのある重く深く暗い物語を書くことは造作もない。むしろこれまで書いた作品の中で一番書きやすかったくらいだった。

 最初に書きあげた時はさすがにリアリティがありすぎて読者も引いてしまうかとも思ったが、所詮は素人が書いたものなのだからと軽い気持ちでサイトにアップした。

 閲覧数とコメント数はこれまでの作品の最高記録を大幅に塗り替えた。


【主人公の気持ちがすごく共感できました。】

【僕も昔似たような目に遭ったのでとてもよく分かります】

【悲しい結末でも救いがあるお話に感動しました。】

【いつ書籍化されますか?】

【続きが読みたいです!】


 数えきれないほどの感想が寄せられたが、その中の一つが私の目を引いた。


【このお話を読んで自殺する勇気が持てました。ありがとうございます。】


 最初は嘘だろうと思った。

 いくらリアリティがあるかもしれないとはいえ、所詮は虚構でしかない。

 あるいはこの読者が本当に私の書いた作品で死ぬ勇気を貰ったのだとしても、本当にそれを実行に移せはしないだろう。


 思案する中で、一つのアイディアが私の中に浮かんでしまった。


 ———もし。


 ———もし本当に、私の書いた物語で人を殺せるとしたら?


 それはほとんど好奇心のようなものだった。

 言葉の力の誘惑に、私は逆らうことができなかった。


 ハッピーエンドの物語で多くの人を感動させたように、バッドエンドの物語で読者をネガティブにさせることはそう難しくなかった。

 私は試験的に、いくつかの短編小説を執筆した。

 いずれも救いのない、主人公が死んだりあるいは家族や恋人と死に別れるような物語だ。

 どういうバッドエンドの物語を読むと、人は最も死にたくなるのか。

 登場人物にどういうバックボーンを持たせればより多くの人が共感するのか。

 幸い私には固定の読者は沢山いたから、被験者に困ることはなかった。


【寂しい気持ちになります】

【読んでて死にたくなりました】

【昔のことを思い出して辛くなりました】


 そうするうちに、私はあることに気付く。

 登場人物のバッドエンドへの過程はどうあれ、そもそも死ぬことを不幸ではなく、幸福だと読者に思わせられるような物語を書いたときほど読者の反応や共感の声が大きいということ。新興宗教の教祖のようだが、結局のところ人が死を恐れているのは死の先にあるものが分からないからだ。死ぬことによって、あるいは死の先に幸福が待っていると思えば、死は終わりではなく単なる手段でしかなくなる。


 それまで感覚だけで書いていた執筆活動に指向性が生まれたことで、私の執筆へのモチベーションはこれまでの比ではなくなった。

 平日も高校を仮病で欠席することが増えた。

 親が仕事で家を空けている間に、私はネットで自殺者の心理について情報を集め、時には過去に実際に起きた殺人事件の情報を得るために図書館に行って過去の新聞を漁ることすらあった。

 それまで毎日のように新作を投稿していたが、徐々にそのペースは落ちていった。人を殺せる物語を書くために、可能な限りの時間と労力を費やしたかった。

 人を物語で殺すことに、私はすっかり虜になっていた。


 そうして書き上げた、人を殺すための物語は、明らかにこれまでとは作品の質が違っていた。

 登場人物の心理、死に至るまでの過程、風景描写に至るまで、すべてがリアリティに溢れていた。それでいて読んだ後には不思議と死への希望を抱いてしまうような、渾身の一作だった。

 感想コメントは、当然のようにこれまでの最高記録をさらに塗り替えた。


【読んでいて死にたくなりました。】

【不思議と私も死んでもいいやと思えるお話でした。】

【もし本当に死ぬことが救いなのなら僕も死にます】

【自殺を考えていましたが、これを読んで決心がつきました】

【ありがとうございます。これから死んできます。】


 ———やった。


 ———本当に、私は言葉で人を殺せたんだ。


 ———私の書いた物語は、人を殺せたんだ。


 ———私には人を生かすことも殺すこともできる。


 ———私は、人を殺したんだ。


 だけど、私は納得していなかった。

 紛れもなく過去最高傑作だったことは間違いない。

 しかし、ある一点で決定的に足りないものがまだあった。

 リアリティ。

 私は、死に至ったことがない。

 死ぬというのはどういう感じなんだろう。

 死に至るほどの痛みも、苦しみも、私は自分の身で感じたことがない。

 ナイフで首筋を裂いた時の血飛沫。

 ロープで首を吊った時の圧迫感。

 崖から飛び降りた時の浮遊感と一瞬感じる恐怖。

 いくらネットで記事を集めても、いくら他人が書いた小説を読んでも、死の感覚というものは私には分からなかった。

 それさえ分かれば、私の物語は完璧になる。

 そうすれば、もっと多くの人の心を私の物語で動かすことができるだろう。


 ———確かめる必要がある。


 その日の夜明け前、まだ両親が起きる前に、私はこっそりと裏口から家を抜け出した。

 行き先は、最近しばらく行っていなかった学校。

 建物が古くてセキュリティの緩いうちの高校は、鍵を閉め忘れたままになっている窓がそれなりにあるから簡単に中に入ることができた。

 下駄箱で内履きに履き替え、何かに導かれるかのようにその足は屋上へと向かう。


 ようやく日が昇り始めたのだろう。屋上から見える空は徐々に白み始めていた。

 私が書いたあの物語は、最後に主人公が希望を胸に校舎の屋上から飛び降りることで幸福を見つけていた。

 私にとっての幸福は、あの物語を完全なものにすること。

 そのために必要なことならなんでもする。

 そう、なんでも。

 そのまま私は屋上のフェンスを乗り越え、朝日を浴びながら空へ身を投げ出した。

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死に至る物語 棗颯介 @rainaon

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