何度目かの春



***




「あの時しょぼくれてたことを思うと、お前たくましくなったよなぁ」

「なんです、藪から棒に」

「褒めてるんだって」

 ニヤけないでください、と軽く睨んでみても効果はなく。金子さんは楽しそうに私を眺めていた。

 いつものようにちょっとした外出をして、喫茶店でコーヒーを飲みながら話していた時のことだ。先輩兼恋人となった金子さんとは、今でも“どちらの苗字になるか”論争を続けている。やはり金子琴子かねこことこになるというのは納得しがたいのだ。

「あぁでも、打ち上げでのやってやります宣言の時にはすでにたくましくなってたか。しょぼくれまくって成長したんだな、駒沢」

 嬉しそうに続けられた言葉に一瞬固まる。それは私だけの思い出のつもりだった。あの夏、ひどく優しい笑顔を向けられた理由は今でもわかっていない。

 交わした言葉は短く大層なものでもなかったので、きっと金子さんは忘れているだろうと聞くのを諦めていたのに。

「どうして……どうして金子さん、そんなこと覚えて」

「俺にとっても印象的だったから。あんないい目するとか、予想外の成長ぶり」

「目って何がです、意味がわかりません」

 身を乗り出す私に、金子さんはまた笑う。あの時みたいに柔らかな眼差しで私を見る。

「褒めてんだからいいだろ。いいよ、駒沢は知らなくて」

 現在に至るまでの大きなきっかけは、あの打ち上げで彼が笑顔を向けてきた理由が気になったことだった。でももし、金子さんも同じタイミングで、私に何かを感じていてくれたのなら。

 気恥ずかしくも温かい気持ちになって、私は金子さんにそっと微笑みかけた。


 私は今、この人に恋をしている。


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恋と呼ぶにはまだ早い 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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