命の輝き

木船田ヒロマル

命の輝き

 待ち合わせ場所は喫茶店だった。


 半地下の変わった作り。

 発掘現場のような凝ったインテリア。


八萬やよろず様ですね。お連れ様は奧の席でお待ちです」


 ミコトさん。

 SNSで出会った、僕の運命の人。

 今日、ついに、彼女に会える。

 例え多少その……見た目が美人でなくても構わない。僕は彼女の人柄に、その朗らかでひたむきな性格に惹かれたのだから。


 だが、僕のその心配は完全に杞憂に終わった。

 

 一番奥の、半分個室になったような席で待っていたのは、マスクをしていても美人と分かる、スマートな印象のスーツ姿の女性だったからだ。


「あ、あのっ」

「八萬ヒロシ君?」

「は、はい!」

「初めまして。まず申し訳ないが、私はミコトではない」

「えっ」

「まあ座って。コーヒーでいいな?」

 

 彼女の有無を言わさぬ迫力に負けた僕が言われた通りにテーブルの対面に座ると、彼女は僕の了解もそこそこにウェイトレスさんを呼び止め、ブレンドとチーズケーキを頼んだ。


「自己紹介しよう。私は難波なんば。ミコトの保護者……親代わりみたいなものだ」

「ミコトさんに何があったんです? なぜ来られなくなったんですか?」

「正確には、来られなくなったんじゃない」

 

 要領を得ない彼女の物言いに、僕はいらいらした。


「じゃあどういうことなんです⁉︎ 難波さんでしたっけ? あなた本当にミコトさんの関係者なんですか?」


 僕が少し感情的になった時、ウエイトレスさんがコーヒーとチーズケーキを運んで来た。

 僕はそれを受け取り、短くお礼を言った。

 ウエイトレスさんは伝票を置いていったが、難波さんはそれを自分の方に引き寄せた。


「ここの払いは私が持とう」

「そんなことでごまかされませんよ。ミコトさんはどこなんです?」

「スマートフォンを見てみたまえ」


 Twitterのアイコンに通知を示すマークが付いている。

 アプリを開くとミコトさんからDMが来ていた。


『ごめんなさい。エイトマンさん』

『その人が私の保護者なのは本当です』

『どうか落ち着いて、その人の話を聞いてください』


「ミコトさん……近くにいるのか……?」

「結論から言おう。君がSNSで出会い、互い惹かれあい、今日直接会う約束をしたミコト。彼女は人間ではない」

「ハア?」


 難波さんは、炊飯器くらいの大きさの何かのケースを足元から持ち上げて、テーブルの上にドン、と置いた。


「驚いてもいいが、騒がないでくれ。彼女にも悪影響だ」


 難波さんはそう言うと、僕の返事も待たず、そのケースの前面のカバーを外して中身を見せた。


「うっ……⁉︎」


 僕は短く唸った。

 その炊飯器のようなものは水槽で、中にはリング状の肉の塊に複数の目玉を付けた不気味なオブジェが浮かんでいた。


「なんですかコレ! きゅ、急にこんなもの見せて! 悪戯にしても悪趣味ですよ!」


 僕の言葉に反応して、目玉が一斉に目を見開き、そして瞑った。僕はギョッとした。生きてる。作り物じゃない。


「ミコトだ」

「はあっ?」

「君がSNSで話してた相手が、この子だよ」

「なっ……えっ……あ……」

「南極のヴォストーク湖は知っているかね?」

「いえ……」

「南極点から約1700キロ地点の地下4キロにある、琵琶湖の22倍の面積を持つ巨大な地底湖だ」

「はあ……」

「今から16年前。日本の第45次夏季南極調査隊は、ヴォストーク湖からバクテリアの生体サンプルを持ち帰った。当初バクテリアだと思われていたそれはは、実は未知の生物の幼体、ゾエアで、政府の特命を受けた柴崎大学生命科学研究所は極秘裏にその培養と飼育を行なっていた。その責任者が私の父、難波タカミチだ」

「つまり……それが」

「正式名称ヴォストーク湖第108号標本、輪状無脊椎生命体。学名はまだないが、我々は仮にミコトノワ、と呼んでいる」

「ミコトノワ……」

「成長するにつれ彼女……厳密には性別もないようなのだが……108号は急速に知性と呼べるものを獲得し、我々とコミュニケーションが取れるまでに至った。彼女は更に多くの他者との会話を欲したが、まあ事情が事情だ。公園デビューというわけにもいくまい」

「…………」

「私たちは彼女に直接電極を付けて……彼女は全身の殆どが脳みたいなものなんだが、その思考の電気信号を拾い、歌唱音声アプリの音声を当てて会話していたが、そのシステムに障害者用のキーボード入力システムを追加して、彼女がWEBに文章を書き込めるようにした」

「未知の生命体に、SNSを与えた……?」

「うって付けだったんだ。社会に出すわけには行かないが、他者とのコミュニケーションを希求している生命体に。匿名で非対面のSNSは」

「……そして、僕と彼女が出会った」

「我々としても計算外だった。我々はただ、彼女と一般の人間との会話サンプルが欲しかっただけなんだ。まさか彼女が、特定の誰かと理解を深めて……つまり、恋仲になるだなんて」

「…………」


 僕はミコトさんを見た。彼女も僕を見ていたが、その視線は、どこか申し訳無さそうだった。


「我々は君にお願いしたいことが三つある」

「お願い?」

「一つ。ミコトのことは、すっぱりと忘れて欲しいんだ。彼女は見ての通り人間じゃない。君と手を繋ぐことも。抱きしめ合うことも。キスをすることもできない」

「そんな言い方……ないんじゃないですか」

「二つ。ミコトのことは、他言無用にして欲しい。知っての通り、彼女にも我々人間と何ら変わらない知性……心がある。彼女の存在が表沙汰になれば、彼女を守ることが、難しくなる」

「それは……そうかも知れませんね」

「三つ。我々の謝罪と、誠意を受け入れて欲しい。八萬ヒロシ君。国を代表して謝罪する。我々の研究が君の時間を無駄にし、君に誤解を与え、結果君に精神的な苦痛を与えたことを謝罪する」

 難波さんは席を引いて立ち上がると、きちっとしたお辞儀をして言った。

「申し訳ありませんでした」

「……いいですよ。顔を上げてください」

「本当に、済まない。そしてこれは、少ないが今回の慰謝料だ。失礼かも知れないが、どうか受け取って欲しい」

 少ないという言葉とは裏腹に、テーブルの上に分厚い封筒が置かれた。

「この書類にサインを。今回の件の守秘契約書だ。慰謝料にはその報酬も含まれている。慰謝料を受け取り、契約書にサインしたあと、君が今回の件を公にした場合──」

「待ってください」

「なんだね」

「彼女と……ミコトさんと話をさせてください」

「……いいだろう」


 僕はゴクリ、と唾を飲み込むと、改めてミコトさんと向き合った。

 大小5つの眼球が、僕を見た。


「やあ……初めまして。エイトマンです。本名は、八萬ヒロシ」

『ミコト……です』


 ケースのスピーカーから、ボーカロイド少女の声がそう答えた。

 ミコトさんは哀しそうに眼を伏せた。


『ごめんなさい、エイトマンさん……こんなことに、なってしまって』

「ヒロシと呼んでください。直接会ってる時は」

『ヒロシ……さん。あなたから見たら、私は醜い怪物でしょう。私はそうと知りながらあなたと話すのが楽しくて、あなたとずっとお喋りしていたくて、あなたに会いたくて……ずるずると今日この時を迎えてしまった。真実を告げる勇気を持てず、結果騙したようになってしまって、本当にごめんなさい』

「ミコトさん……」

『でも、信じて欲しいんです。私は……見た目はこんなですが、決して、あなたをからかったりバカにしたりしたくて、真実を告げなかったのではない、ということを。私は怖かった。私の本当の姿を知れば、あなたが……私たちの関係は終わると知っていたから』

「信じます」

『……ありがとう』

 ミコトさんの目は、力なく微笑んだように見えた。

『その言葉だけで、私は救われます。この出会いに感謝して、短い間でしたが、あなたと楽しい時間が持てて。そのことを胸にしまって、私は明日からまた前向きに……生きて行こうと思います。私の寿命がいつまでなのか、誰にも分からないんですけれど、いつか命が尽きる、その日まで』

「…………」

「八萬君。申し訳ないがケースのバッテリーも無限じゃないんだ。我々はそろそろあるべき場所に帰らなきゃならない」

「……はい」

「我々の誠意を受け入れて、書類にサインをくれ。そしたら君も、我々も昨日までの普通の生活に戻る。それがみんなの為、全員の幸せのためだ」


「イヤです」


「なに?」


「イヤだと言ったんです」


「何が不満なんだ。金額かね」

「守秘契約書にはサインします。お金はいりません。ですが彼女と、ミコトさんとこれっきりだなんて、絶対にイヤです」

「しかし彼女は……」

「南極の地底湖から見つかった謎の生命? だからなんなんです? Twitterには彼女より全然タチの悪いモンスターがゴロゴロいますよ」

「八萬君……」

「それに僕は、彼女が人間だからとか、顔が可愛いからだとか、手を繋いで歩きたいからとか、そんな理由で彼女を好きになったんじゃない。彼女の書き込む文章、日々の呟き、そこに滲む彼女の優しさや真面目さ、柔らかな感性に惹かれて好きになったんです。例えその姿が謎の生命体でも、彼女を好きになった事実が覆ったりしません」

『ヒロシさん……』

「難波さん。僕をあなたの研究所で雇ってください。バイトでも雑用でも構いません。必要な学位や資格があるなら勉強します。正直僕もまだ分かりません……将来彼女とどう過ごすのか。でも、このまま彼女とお別れなんて御免です」

『ヒロシさん! お気持ちはとても嬉しいけれど、私はあなたにそこまでして頂くような身の上では……ありません。私は……パートナーとして、あなたに普通の幸せを差し上げられない』

「それは僕が決めることです。それとも、さっき僕に言ったあなたの気持ちは嘘で、あなたから見て人間の僕が気持ち悪いヒョロナガ二つ目生物に見えるなら……その見た目を嫌悪されるなら、勿論僕は身を引くしかありませんが」

「八萬君、よく考えたまえ。彼女が今後どう変化するのか我々にも全く分からない。寿命もだ。例えばだが……彼女は明日死ぬかも知れないんだぞ」

「だったら尚更です。それにいつ死ぬか分からないのは僕だって同じことだ。僕は彼女と、一秒でも長く一緒にいたい」

「八萬君……」

「それに難波さんたちも興味があるんじゃないですか? 人間と恋に落ちたミコトノワが、どういう反応を見せるのか。その心理的側面の変化や……成長の仕方が」

「それは……そうだが」

「ミコトさん。僕が今日、あなたに会いたかったのは手を繋ぐ為でも、抱きしめる為でも、キスをする為でもない。面と向かって、僕の気持ちを伝えるためだ」

『ヒロシ……さん』

「好きだ。ミコトさん。例え君が、君自身にとっても謎の生命だったとしても。この気持ちは、変わらない」


 水槽の中で、ミコトさんの表情がぱあっと輝いた。


 僕はなんだか照れ臭くなって、後ろを向いた。


「難波さん、彼女のケースをもう少しなんとかしてください」

「なんとか……とは?」

「だからつまり……彼女は何も着ていないじゃないですか」


 僕の背後で、コポン、と水泡が弾けるような音がした。




*** 了 ***

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

命の輝き 木船田ヒロマル @hiromaru712

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ