第47話 池田谷事件当日②

 *慎一郎 side *


 これまで同様、三軒ほど回ってからのこと。会津藩との合同捜索の為、取り決められている陣地、とでもいうか。僕らは集合場所へと急いだ。

 現地へ到着した時にはもう、既に明仁さんたちがいて、土方副長と近藤局長が何やら作戦を立て始めた。その後、隊より距離を保ち、明仁さんと中村くんと近況報告をし合うことになったのだけれど、やっぱり京香さんの言っていた通りの結果となってしまったことに軽いショックを受けていた。

「寺田屋にも行ったのか」と、明仁さんが今は青々とした桜の木を背に腕組みしながらいった。それにつき、中村くんからも京香さんたちのことを尋ねられ、僕は寺田屋でのやり取りを簡潔に伝えた。

「京香さんも、お登勢さんたちも元気そうでした。特に揉め事もなく済んだのですが、新選組がどれほど嫌われているかがよーく分かりました」

「寺田屋は、薩摩や土佐の人間が多く利用する旅籠屋ですから……」と、中村くんが苦笑いしながら言う。少し離れた場所から沖田さんの咳き込む苦しそうな息遣いが聞こえてきて、僕は中村くんと共に沖田さんに近寄っていく明仁さんの後に続いた。

 大丈夫か。と、明仁さんが声を掛けながら沖田さんの肩に手を置いた。途端、沖田さんは日陰へと駆け込んでいった。同時に大きく咳き込む息遣いが聞こえ、心臓が激しく脈打ち始める。

「お前……」

 沖田さんに寄り添う明仁さんの、聞いたこともないような愕然とした声色によって、喉の奥が詰まるような息苦しさを感じた。そうしながらも、僕は無意識のうちに足で地面の赤を周りの土や落ち葉で覆い隠していた。

「……見られてしまいましたか。とうとう」沖田さんの微かに震えたような声。青ざめた横顔からさらに血の気が引いていくのが分かる。

「とうとう、じゃねえよ。なんで早く言わなかった」

「言ったら、ここにいることは叶わなかったでしょう?」

「当たり前だ。病人なんだから」呆れたように明仁さんが呟いた。

 短くも長い沈黙。それを破ったのは土方副長の一声だった。

 僕らは、まだ少し咳き込んでいる沖田さんを隠すようにして副長の声に耳を傾けた。その内容は、京香さんから聞いていた通り、会津藩を待たずに土方隊と近藤隊とに分かれて捜索する。と、いうもの。またもや、明仁さんと中村くんと目を合わせ頷き合う。きっと、ここに沖田さんがいなければ、「やっぱそっか」と、明仁さんがいつものようにぼそりと言っていたことだろう。


 それから、何とか持ち直した沖田さんを説得し、明仁さんと共に土方隊へ移って貰うことにした。近藤局長や土方副長から、変な風に思われてやしないか緊張は否めなかった。明仁さんが、どうしても沖田さんと行動を共にしたいと言い出した時には、僕は例のごとく苦笑いをするしかなくて、不思議そうに見ていた中村くんには後で説明するにしても、周りにいた隊士たちには説明のしようがない。

 明仁さんが何故、急にそんなことを言い出したのかは分かりすぎるほどだった。このまま近藤隊にいて、池田屋に突っ込んでいくようなことがあれば再度喀血は免れないと思ったからだろう。

 僕らの知っている史実通りなら、沖田総司は近藤隊として池田屋に突入した際、喀血してしまうことになっている。これ以上無茶をさせたくない気持ちは僕も同じで──。

 京香さんから聞いていた史実通り、土方隊の行く方に敵がいないことを願っていた。


「しかし、いつもあんな感じなんですか?」と、中村くんが僕に耳打ちをしてきた。先に出陣した土方隊を見送り、さりげなく二人して隊から距離を置き、作戦会議でもするふりをしながら話し始める。

「明仁さんのこと?」

「はい」

「無謀すぎるっていうか、何ていうか。でも機転が利いているし、あれはあれでいつも何とかなっちゃってるところ。明仁さんのすごいところなんだけどね」

 どういう訳か、あの沖田さんも明仁さんの言う事には逆らえないらしい。昔から、何も考えていないように見えてじつは、常日頃から綿密な計画をしている人だということ。

 旅行などでも、行先の博物館で使用できる割引券などを前もって用意して来ていたりと、その抜け目の無さに感心させられることが何度もあった。

 どうせ行くなら皆が楽しめるようにしたい。当たり前のことかもしれないけれど、見かけによらず、その主婦並みな計算高さはいつも見習いたいと思ってきた。

 京香さんの時もそうだった。「どうせなら、体験していって貰うか」と、明仁さんが言いださなければ、京香さんをあんなに喜ばせることは出来なかっただろう。

 そんなことを思い出して、鼻で笑った。途端、近藤局長から号令がかかり、僕らも出陣となった。


 日が暮れ始めて来たことで、提灯を片手に近藤局長の前を速足で歩き始める。

 今度こそ、真剣による斬り合いが始まるかもしれないんだ。

 まずは藍屋へ向かおう。と、いう近藤局長の檄が、急な耳鳴りのせいでやけに遠く感じられた。



 *明仁 Side*


 先に出陣となった俺たちの最初の行先は、東穀屋という旅籠屋だった。慎一郎たちのことも気になったが、今は相変わらず顔色の悪い総司の面倒を看るほうを優先させている。

 一番の心配ごととしては、慎一郎と中村の命が脅かされることになってしまったということ。俺たちが合流するまで持ちこたえてくれるかどうか分からないという不安に駆られていた。

「ここもハズレか。次、行くぞ」

 土方さんに促されると、俺たちはまたすぐに隊列して歩き始める。俺は徐々に遅れ出す総司の肩に手を回し、

「マジで無理すんなよ」

 と、さりげなく声を掛けた。

「だから、心配無用だと言っているでしょう」

 総司は俺の腕を面倒くさそうに払い退け、速足で歩みを進める。まるで、幼い子供が不貞腐れているようだ。

 まてよ。こんなこと前にもあったような。

 思い出した。あれは慎一郎と出会って間もない頃。試合の日、慎一郎がライバル視していた奴に倒されたことがあった。そいつに勝つ為だけに朝から晩まで稽古していたにも関わらず、「派手な突き」を食らってしまったんだったな。その後の慎一郎は、何を言っても聞く耳を持たず、ただ悔しがっていた。自らが得意とする突きによって負けたことが許せなかったんだろう。

 あの頃の慎一郎とそっくりだ。

「くれぐれも内密にお願いしますよ」

「わかってる。特に土方さんや近藤さんには、だろ」

 わざとおどけながら問いかける。と、総司は真顔で頷いた。


 池田屋ではなく、俺たちが行くことになっている旅籠屋だったとしたらという懸念はあった。

 あまりにも、俺が知っている史実通りのメンバーで揃えられていることから、史実通りに展開すると、賭けてみたのだが。

「しかし、どうしてあんなにも必死だったんです?」

 と、総司から尋ねられる。俺は少し考えた後、

「お前は俺がいないと何をするか分からねぇからな」と、言い返した。総司は一瞬、何とも言えない変顔のまま固まり、唇を尖らせ呆れ顔を返してくる。こんだけ回復していれば、こっちで何か起こっても対処できるだろう。

 それともう一つ。中村の腕はいまいち分からないが、慎一郎が命を懸けた実践で生き残れるかどうかということ。


(頼む、頼む、頼む。俺の人生最初で最後の願いを聞き入れてくれ…)



 *慎一郎 side*


 祇園祭のお囃子もピタリと聞こえなくなった。再出陣してからどれくらいの時間が経っただろう。ほぼ無風のせいか、蒸し暑さが増してきた。辺りはもう提灯無しでは歩けないほど薄暗い。

 五軒ほど廻った後、藤堂さんの、「次は池田屋へ参りましょう」と、いう声に思わず肩を震わせた。

 どこかで、京香さんの言っていた史実が間違っていますようにと、願ってしまっている臆病な自分がいる。

 池田屋へ辿り着くや否や、藤堂さんが先陣を切り足を踏み入れる。すぐに主人らしき四十代前半くらいの男性が顔を出し、少しうろたえた表情で僕らを出迎えてくれた。

「これはこれは、新選組の皆さま。今宵も警護お疲れ様でございます」

 これまで同様、藤堂さんが主人と話していた。その時、主人の背後を速足で歩き、近くに設置されていた階段を上っていく浪人の姿を不審に思った僕は、近藤局長を見遣った。と、局長も一つ頷き、主人の横を通り過ぎるようにして近くに設置されていた狭くて急な階段を駆け上がっていく。

 すぐに主人の素っ頓狂な大声が、池田屋中に響き渡った。


(いよいよ始まるんだ……)


 耳をつんざくほどの心臓の音。冷や汗が頬や背中を伝っているのが分かる。どうしたって鼓動が速くなる中、局長に続く僕とは別に、永倉さんと藤堂さんが一階を。中村くんが表口と裏口を固めている武田観柳斎さん、谷万太郎さん、浅野藤太郎さん、奥沢栄助さん、安藤早太郎さん、新田革左衛門さんたちに合図を送りに行く。

 次いで、局長と共に部屋中の襖を開け放っていき、座敷の明かりを消していく。客の発する驚愕の声など聴く耳をもたなかった。というよりも、そんな余裕がなかったという方が正しい。

 最後に辿り着いた一番奥の座敷。不自然に灯りが消えたままの座敷が目的地だと確信し、汗まみれの手で腰元に携えた刀の柄を握り直した。

「いくぞ」

「……はい」

 局長の、小声ながらも力強い一声に頷く。不思議と恐怖心は感じられなかった。どうしてだろう。

 局長が襖を勢いよく開けた。刹那、僕は局長の隣に並び、暗闇の中で目を凝らした。


(稽古じゃないんだ……実践なんだ……)

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十六夜の月 ~想い果てなく~ Choco @yuuhaya

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