第6話 画面越しの再開
20:00きっかりに画面の左半分に女性の上半身が映し出された。黒髪のストレートヘアで、長さは毛先が肩にかかるかかからないくらいのボブカット。目はくっきりとした二重で黒目が大きい。
「は、はじめまして……」
僕は画面の映る女性に挨拶をした。でも、その女性の顔を見て何か引っかかるものを感じた。女性の方も僕を見て何とも言いようのない表情を浮かべている。
「
その女性は恐る恐る確認するような様子で口を開いた。
「あ、はい……。上海です。えっと……あなたは……」
僕は確かにこの女性を知っている。以前会っている。ほんの数秒、脳の中の記憶をフル回転させて、思いつく限りの出逢った女性を思い出してみた。会社、大学、高校、中学、小学校……、そう、大学だ!
「杉江さん……だっけ……?」」
「うん。杉江です。久しぶり……だね?」
そう言うと、杉江さんは少し口元を歪ませながら笑顔を覗かせた。そう、杉江さんだ。
「かなり雰囲気が変わっちゃってたから、思い出すのに時間がかかっちゃった」
「そうだよね……。髪型も変えたし、眼鏡もしてないからかな……」
そう、僕が知っている杉江さんは大きい丸眼鏡をかけていた。髪型はかなりのクセッ毛でいつもヘアゴムを使って、収まらない髪の毛を後ろで一つに束ねていた。彼女は僕と同じく現役で大学に入学していたが、その容姿のせいで実年齢よりも多少年上に見られていた。
「こんな偶然、あるんだね。正直、かなりビックリしているよ」
「そうだね。私もビックリ」
「なんで、この講座に?うちの会社と杉江さん、何か関係あるの?」
「ううん」と杉江さんは首を横に振った。
「この前、大学の同窓会あったでしょ?上海くんは来てなかったみたいだけど……。その時ね、山南くんと少し話をしたんだ……。私、実はね、今は大学院でコミュニケーション心理学の准教授をしてるの。そのことを山南くんに話したら、今度、山南くんの会社でコミュニケーション講座っていうのを開講するから、講師のアルバイトしてみないって誘われて……。どうしようかなって迷ったんだけど、実際にコミュニケーションが上手にとれなくて悩んでいる人の話をじっくりと聴いてみたいなって思ってたから……。私、大学院で研究ばかりして、フィールドワークを全然していないから……。大学院でお世話になっている教授に相談したら、面白そうだからやってみなよって言ってくれて……」
そうだったのか。山さんは僕にはそんなこと何も言ってなかった。ひょっとして僕を驚かそうとしたのかな?
「……何か不思議な感じがするけど、とりあえず授業、してみる……?」
杉江さんは(私なんかでごめんなさい)という様な表情を浮かべながら僕に訊ねた。
「う、うん。ぜひお願いするよ。全く知らない人よりもむしろ杉江さんで良かったかも。よろしくお願いします」
僕は軽くお辞儀をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」と杉江さんもお辞儀をした。顔を上げたときに2人とも目が合って、何か照れ臭くなって、お互いにクスッと笑ってしまった。
「それでは」
杉江さんは少し真面目な表情になった。
「今日は、コミュニケーション講座の最初の一歩、ということで『アプローチ』について勉強していくね」
「『アプロ―チ』?」
「そうです。『アプロ―チ』。上海くんは、人とコミュニケーションを取ろうとするとき、つまり話しかけようとするときに、どんな話題から入ろうとしてますか?」
正直、あまり普段から積極的に他人に対して話しかけようと思ったことがないから、当然どういう風に話しかけようとか、考えたこともない。
「あんまり考えたことはないかな……。仕事以外のことで話しかけたりしないし……」
「そうなんだ……。普段、仕事以外のことではあまり人と話さないんだね……」
杉江さんは少し悲しそうな表情を見せた。
「うん……。あんまり面白い話題とか、思いつかないし……。僕とつまらない話をしてるよりかは、みんな仕事をこなしたいんじゃないかなって。そう思っちゃうんだ」
「うーん……。面白い話題、つまらない話……ね」
杉江さんは少し考え込んだ。なんか、カウンセリングを受けているみたいだった。
「上海くん、面白い話なんてする必要ないんだよ?」
「えぇ、そうなの?だって、話にオチとかついてないと話を聴いていてもがっかりするんじゃないかな?」
「それは、お笑い芸人がテレビでトークをするような時は、そうじゃないとマズいよね。面白いことを話すことでギャラをもらっているんだから。でも、上海くんとか私とかがそんなことを気にする必要は無いと思う」
「そうかな……」
「うん。そうだよ。例えば、山南くんは普段から話にオチってつけてる?」
そう言われてみれば、山さんは別に話にオチをつけてる訳ではない。ひたすら『おたマト』の話をしているだけだ。だけど、話をしていて面白いんだよな……。
「そう」と杉江さんは僕の心を読み取ったかのように話を進めた。
「でも山南くんの話は確かに面白いよね。この前、久しぶりに同窓会で会っても、話すことといったら『おたマト』のことばっかり……。大学生の時と変わらないんだもん……。なんで山南くんが話している事が面白いって感じるかって考えると……それって多分、山南くんが本当に好きな事を一生懸命、人に伝わるように話しているからじゃないかな?」
「確かに……そうかもしれない……」
自分が本当に好きな事を話す……か。
「上海くん、本を読むのが好きだったよね。良く、人が集まらないキャンパスの片隅のベンチで寝転がりながら本を読んでいたじゃない?そういう趣味の話とか、もっと周りの人に話してもいいと思うよ」
「う、うん」
確かに、僕は本を読むことが好きだった。子供の頃からずっと。特に高校生になってからは、好きなミュージシャンの影響でアメリカ文学を好んで読むようになった。サリンジャーとか、カポーティとか、スタインベックとか……。
「それはそれとして……。ちょっと話がそれちゃったけど『アプローチ』のことだけど……」
「ああ、そうだったね」
「それでは上海くんに質問です。当たり障りのない話題って、どんなものがあるでしょう?」
杉江さんは学校の先生みたいな口調で僕に質問した。
「う~ん……スポーツ……とか」
「ブ~。スポーツ好きな人の中には熱狂的なファンもいるからダメです~」
杉江さんはふざけて、わざと口を尖らせた。僕らは少し笑った。
「昨日のニュース……とか?」
「う~ん、ニュースの内容にもよるけど、政治経済よりならブーッだね。スポーツと政治とか、人によって意見や好みが分かれてしまうものはダメね」
「そうなんだ……。じゃあ、何が?」
「うん。実は、『アプローチ』としては天気の話が一番ふさわしいのです」
「天気の話?そうなの?」
「うん。そうだよ。意外と世間の大人たちは天気を気にするんだよ。特に女性は気温が1℃違うだけで会社に着ていく洋服も変わってくるしね。あと、外回り営業をする人だったら傘とかタオルが必要とか……。雨が降ると、商談が不成立になる可能性も高いっていう説もあるんだよ?特に日本は四季があって、季節によって気候が変化するから、毎日の話題にしてもいいくらい」
「そうなんだ。天気の話かぁ……」
「そうなんです……あ、ごめん、そろそろ時間が来ちゃうね」
そう言われて僕は部屋の壁掛け時計を見た。確かにもう1時間を過ぎようとしていた。なんか、あっという間だった。
「来週も、この時間に予約したら杉江さんが相手をしてくれるのかな?」
「うん。私のシフトは土曜日って決まっているから。ぜひ、来週もご利用ください」
杉江さんは営業スマイルっぽく、ニッコリと笑った。それが面白くって、僕らはまた笑った。
「では来週もよろしくお願いします」
杉江さんはまた、さっきみたいにペコリと頭を下げた。
「よろしくお願いします。ありがとうございましたー」
僕も頭を下げた。僕が笑いながら顔を上げて画面を見ると、プツッと通信が途絶えて杉江さんは画面からいなくなり、画面の右半分には微笑みを浮かべた僕の顔だけが浮かんでいた。英会話やヨガのレッスンと同じだ。予約された時間が過ぎると強制的に終了するシステムになっている。ほんの少し前まで杉江さんと楽しく会話していた時とレッスンが終わった時に感じる孤独感のギャップが大きくて、僕は僕が住んでいるこの部屋で生活をしていて初めて、言いようのない寂しさを感じた。
僕は寝る前にベランダに出て夜空を眺めながら、学生の頃のことを思い出していた。杉江さんが言っていたように、僕は本を読むことが好きだった。というか、それ以上にやりたいことも特になかった。大学の学部を選ぶ時も文学部か教育学部で迷ったけど、教員免許が取れるから、という理由だけで教育学部を選んだ。僕は大学で山さん以外に、どこかで食事したり遊びに行ったりする親しい友達は特にいなかったから、授業が無い時は基本的にベンチとか、芝生とか、図書館とかで本を読んで過ごした。懐かしいな、と思った。あれだけ大学時代に本を読んでいたのに、今では全くと言っていい程、本を読まなくなった。社会人になってから読む本と言えばビジネス系の自己啓発本ばかりだ。僕は久し振りにサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が読みたいと思った。それで実家から何冊か持ってきた小説を入れているカラーボックスを眺めた。でも『ライ麦畑でつかまえて』はそこにはなかった。実家から全て持ってきたはずなのに。大好きな小説で、何度も何度も読み返したのに、何故だろう?頑張って思い出そうとしたけど、理由はわからなかった。それでも僕はあの頃に読んでいた小説を読みながら眠ってしまいたかったので、カポーティの『草の竪琴』をチョイスした。寝床に入って、カポーティの繊細かつ色彩豊かな文体を読み進めながら、僕はいつの間にか眠りについていた。
ピョートルに恋して @suzumutsu
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