第5話コミュニケーション講座


 翌日はひどい二日酔いだった。酒を飲み過ぎた次の日はいつも、ほどほどにしておけば良かったと後悔する。朝早く、喉の渇きで目が覚めた僕は、山さんの家の冷蔵庫からプラスチックのボトルに入った麦茶を透明なグラスに注ぎ、一気に飲み干した。山さんの部屋を見てみると、山さんはハチマキを巻いたまま床に寝ていた。生配信を見終わったらそのまま寝てしまったのだろう。起こすのも悪いと思ったので、僕は洗面所で顔を洗ったらそのまま山さんの家を後にした。


 土曜日の早朝だったので、山さんの家から最寄り駅までの人影はまばらだった。これから野球の練習に向かうユニフォームを着た小学生くらいの男の子や、愛犬と散歩をしている中年男性しか見かけなかった。電車に乗り自宅の最寄り駅に到着すると、僕は自宅近くのコンビニエンスストアで朝食にパンと牛乳を購入し、帰宅した。家に着くと汗臭くなった洋服を脱ぎ捨て、洗濯機を回した。洗濯機の中には1週間分の洗濯物がひしめき合っていた。洗濯機がガラガラと音を立てて洗濯物を洗っている間に、僕はスマホでネットニュースを見ながらパンと牛乳を胃袋に流し込んだ。朝食を食べ終わると今度はソファに寝転がって、またネットニュースやらネット掲示板やらSNSやらをぼんやり眺めながら暇をつぶした。1時間程、そんな風にソファでゴロゴロしていると洗濯の終了を告げる音が鳴りだした。僕はソファから身体を起こし、洗濯機から洗濯物を取り出し、白いプラスチックのかごに入れた。洗濯物を干す準備が終わると、僕はウォークマンを仕事用のバッグから取り出し、イヤホンを耳に入れた。僕は洗濯物を干すときや料理を作るときは好きな音楽を聴きながらおこなうようにしている。その方が作業をしている時間が短く感じるからだ。選曲リストを見ながらどの曲にしようか少し悩んで、アナンダ・シャンカールを聴くことにした。僕はアナンダ・シャンカールのノリの良い曲が好きだ。ゆっくりした曲は好きではない。シタールと笛とロックギターとシンセサイザーがダンサブルなドラムのリズムに合わせ、次々と見事な掛け合いを披露するような曲が好きだ。僕はアナンダ・シャンカールの音楽を聴き、ノリノリで頭と身体を動かしながら洗濯物を次々と干した。


 洗濯物が干し終わるとまた暇になった。僕はテレビを付けて面白そうな番組を探そうとチャンネルをスイッチし続けていると、エンタメ情報を紹介するバラエティ番組にピロシキ美里とナホトカ可南子が出演していた。2人は牛肉が美味しいお店をレポートしてきたらしく、そのVTRが流れた。ピロシキ美里が希少部位を焼いた牛肉のステーキを美味しそうに平らげながら食リポをおこない、ナホトカ可南子がその提供された牛肉の産地や希少部位について細やかで正確な知識を披露した。


 ピロシキ美里とナホトカ可南子のレポートの様子を見て、僕は山さんからもらったコミュニケーション講座のチラシのことを思い出し、仕事用のバッグの中を確認した。チラシはバッグの中に二つ折りになって入っていた。僕はチラシを広げ、改めてじっくりと眺めたみた。


 ミライゴトの新サービス、コミュニケーション講座がいよいよ開講!

 コミュニケーション力をアップして、新しい自分をみつけよう!


チラシのメインコピーにはそんなことが書いてあった。僕は自分が考えたホームページの文章を思い起こした。


「ミライゴト」で出会うのは他者かもしれませんし、今まで感じたことのない新しい自分かもしれません。」


(やってみようかな……)

 僕はノートパソコンの電源を入れた。ウィィィンと低い唸り声を上げ、パソコンが起動した。アドレスバーに、チラシに記載されているURLを打ち込むとコミュニケーション講座のトップページが現れた。同じく、記載されているモニター用のID、パスワードを入力すると、予約日時を選択する画面に変わった。特に満席表示は出ていなかったので、当日でも予約可能みたいだった。僕は夕食を摂った後の20:00~21:00を予約した。山さんの話によると、講座は完全に1対1。講師は男性、女性を合わせて数10名確保しているそうだ。そのなかにはコミュニケーション心理学を研究している学生もいれば、実際に企業の研修などで活躍しているプロの講師もいるらしい。この試用期間については受講者側から講師を選択することはできないが、基本的にはプロの講師を主体にシフトを組んでいるということだった。予約終了画面には幾つか注意事項が記載されていた。受講者側はボールペンとノートを用意しておけば、あとは特に必要ないみたいだった。


 講座の予約を終了すると僕はソファに横になり、またスマホのニュースを見始めた。見ている内に、朝食を食べたお腹がこなれてきたのか、猛烈な眠気に襲われ、そのまま深い眠りへと落ちていった。



「はじめまして」

「あ、は、はじめまして……って、ウ、ウォッカ舞衣子!!……さん……!?ですか……???」

 いつものようなポニーテールとサラファンの衣装ではなく、髪を下したスーツ姿のウォッカ舞衣子がノートパソコンの画面に、ニッコリと優しく微笑みながら映っている。

「はい。舞衣子です。……一応、ここでは舞衣子先生、ということで……よろしくね」

 ウォッカ舞衣子はナイショ話をするときのように手を口元にあてて、他の人には秘密ね、というような雰囲気で僕に話しかける。


「えっと、は、はい……。よ、よろしくお願いします……。ま、舞衣子先生……」

「それじゃあ、まずコミュニケーション講座のファーストステップね……。最初に、舞衣子の眼をじっと見つめてね……」

「あ、はい……。じっと……」

「そう、もっとじっと……。瞬きしちゃ、ダメだよぉー」

「え、あ、はい……舞衣子せんせぇ。じっと見ますぅ……」

「もっと近づいて、画面に……。もっと近くで舞衣子を感じて欲しいナ……」


舞衣子はスーツのジャケットを脱ぎながら、僕に囁きかける。

「はい……」僕は画面ギリギリまで顔を近づける。あぁ、舞衣子ちゃん、やっぱり可愛いなぁ……。今度写真集買おうかな……。


「目を閉じて……。舞衣子の声に耳を澄ましてぇ……。身体全体をリラックスさせて、舞衣子の声にすべてを委ねていいんだよ……」


僕は言われた通りに目を閉じて、画面から聴こえてくる音声に耳を澄ませる。ガサガサと音がする。ウォッカ舞衣子がブラウスのボタンをゆっくりと一つ一つ外す音だ。すでにCカップの胸元を包むブラジャーが露わになっているところだろう。


「いいよ、もう……目を開けて……。舞衣子のすべて、見せてあ・げ・る……」

「えっ、はっ、はぁい!」


僕がバッと目を見開くと、僕の眼前には源川さんの顔面が押し迫っていた。


「みっ、源川さん!?なっなんで!?」

「なにをウジウジしてんだよお前はよー!男だろうが!もっとシャキッとしないと、彼女なんか一生経ったって出来ゃしないよ!さっさと申請書持ってくんだよ!いつまでかかってんだよ!」

「わっ、はい!すみませーん!」


と返事をして立ち上がった瞬間、僕は目を覚まし、ソファから転げ落ちた。


「なんだよー夢かよ……。勘弁してくれよ……」


 起き上がって時計を見たら、もう夕方になっていた。僕は洗面所で顔を洗ってからベランダの洗濯物を取り込んで、一つ一つ丁寧に畳んでクローゼットのクリアーボックスにしまった。講座の時間まではまだ時間があるので着替えて近所のスーパーで買い物をし、それから夕食を作ることにした。


 近所のスーパーで1週間分の買い物を済ませ自宅に戻ると、僕は夕食を作り始めた。ぼくはゆったりとしたクラシックを流しながら料理を作るのが好きだ。この日はモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」を聴きながらツナと玉ねぎをマヨネーズで和えて簡単なパスタを作り、テレビのバラエティ番組を観ながらそれを食べた。


 夕食を食べ終わると、僕はもう一度顔を洗って髭を剃り、白いレギュラーカラーのワイシャツと、念のためズボンもコットンパンツに履き替えた。時刻は19:50になっていた。僕はノートパソコンの電源を入れ、コミュニケーション講座にログインした。ログインした後、画面には「入室」ボタンが表示されたので、それをクリックした。ノートパソコンは左右2つの画面に分割され、僕の顔が右半分に映し出された。僕は前髪の位置を直しながら、講師が画面に入室してくるのを静かに待った。

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