おわりに

 私小説を書く。

 いざやってみるとこれが中々勉強になることばかりでありました。

 実体験でありますからストーリー自体は考える必要はないのですが、創作したお話を書くよりも時間がかかりました。なにせ意図された演出や盛り上がりなぞはもちろんありません。それをいかに人にお見せできる文章に仕上げたものかと考えるのは、骨が折れる。もしかしたら私小説というものは小説を書く修練としては有効なのかもしれません。

 今後、機会があれば検討しようと思います。


 ただ今作については、補足をしたいというか解説をしたいというか。無粋ぶすいだとは理解しているのですが、どうか言い訳をさせてください。


 精神的にまいっているとかはありませんよ。


 というのも筆がのって調子づき、スピリチュア〜ルな文章を書いては満足してしまい、楽しくはあったのですが……一晩おいてから見直してみると「なんじゃこりゃ」となることは多々ありました。できるだけ淡々と事実を語るような論調で書きはしましたが、それでも上記の印象はぬぐえません。

 とにもかくにも、現在では霊感のレの字さえ発動してはないのです。


 それでは当時はどうしてこのような体験をしたのかと、自分なりに原因を思い起こしてみると、今更になって一つ気がついたことがありました。


 断食だんじきしておりました。


 いえ意図して絶食していたわけではないのですが、当時はかなりの苦学生をしており、それが食費に反映しておりました。米袋だけは何とか確保して、それをかゆにして水増しし、それだけをひたすら延々と。腹がクウクウと鳴ったとしても口に入るものはいっそ重湯おもゆのみ。しかも当時は本格的な運動部に所属していて、カロリーの収支はまったく釣り合っておりませんでした。

 人はひもじいと涙が出てくるというのは、このときに知りました。

 現在でも食や食卓に関する御涙頂戴おなみだちょうだいは私の涙腺るいせんのウイークポイントです。

 腹いっぱいに食えるというのは幸せなことだと、私はここに断言します。


 そんな具合であったものですから、当時の住環境やらが複合的に絡み合ってしまった結果だったのでしょう。当時も腹は空いていましたが友人達には恵まれて楽しくやっておりましたし、現在でも私は元気にやっております。

 以上で言い訳を終わります。

 

 今作を読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。

 私なぞの与太話にお付き合いいただいてありがとうございました。

 なにせ誰かに話してみたいネタを開示するとして出発した作品でありますから、語りきった今では満足している心境です。


 皆様も健全な食生活にお気をつけくださいますよう。

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実体験した怪奇現象 久保良文 @k-yoshihumi

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