「最も恐怖した体験」

 最後に、私が今までで一番恐怖した体験を語ろうと思います。


 それは「金縛り」です。


 私はこの現象に悩まされておりました。

 該当する一年間で、月に2、3回の頻度ひんどで経験したと思います。それだけの密度で経験すると次第に慣れてきて、しまいには解除の仕方を把握はあくしたぐらいです。

 私の場合、丹田に力を入れて腹筋運動をするように全身に力を入れます。そしてそのままふんばり続ける。するとある瞬間に、まるでギアが噛み合って動力が伝わるように身体に気力が入ります。上手くいくと、そのまま起き上がれます。しかし気力を使いはたして疲れるので、ほとんどは無理に解除しようとはせず自然に治まるのを待っておりました。


 また、金縛りの最中には不思議な体験をすることも多いです。最初こそ驚いていましたが、最後の方は何が起きようとも気にしておりませんでした。それほどに慣れきっていました。

 色々と面白い経験をしたと思います。

 印象強く覚えているのは「見知らぬ女性が馬乗りしてきて、首を絞められた」ことや「頭上で、落武者の一団が部屋の端から端まですり抜けていった」ことなどがあります。

 言葉にすると結構な体験のように感じられますが、恐怖は感じませんでした。首を絞められたところで呼吸が苦しくなることはありませんし、部屋の中を通路にされようが、こちらに害がなければご自由にという感覚でした。

 なにせ、あまりに現実感がない。

 突飛とっぴな体験であるほどに現実から乖離かいりしてしまい、まるで夢を見ているようでした。というか夢です。最近、何かのテレビ番組で「金縛り最中さいちゅうの人間の脳波は、夢を見ている状態と同一である」と言っているのを見ました。確かに、そんな具合です。その時々で恐怖体験をしようとも、起きてしまえばただの夢幻むげん

 ああ怖かったなぁ。

 ぐらいで済む話でありました。

 

 唯一の例外を除いては。

 本当に怖いのは何もおきないときです。


 その日の私は遅くまで起き出さず、だらしなく午睡ごすいむさぼっていました。部屋の窓からは日が射し込んではいるものの、分厚い緑色の遮光カーテンが光を抑えており、部屋の中は薄暗うすぐらい。ただカーテンだけが透かすようにぼんやりとしていて、もしかしたらまだ朝早くなのかと勘違いしそうなりましたが、外からチラホラと街の生活音が聞こえてきます。


(またか……)


 起き抜けの感想がそれでした。体は指一本動かせずに、まるで見えない鎖でギチギチに縛られているかのよう。

 金縛りです。

 唯一自由がきくのは視線ぐらいで、私は異常はないかと辺りを見ます。見慣れた六畳間のワンルームがあるのみで、差し込む光に浮き出ている微細なほこりを見て、そろそろ掃除をしなきゃと、そんなことを考えていたと思います。

 妙にハッキリとした意識にこれは「何もおきないタイプ」の金縛りだと理解しました。意識は覚醒しているのに身体だけが動かせない、ただただ身体に動力が伝わらない。こういう時は前述のような不可思議な体験はしません。起きて見る夢なんてありませんから。


 ただどうしたことか、漠然とした不安が私をさいなみます。まるで視野の外に誰かが居て、私をジッと見つめているかのような錯覚さっかく。そして感じとれるのは悪意です。

 誰かが怒りを私に向けている。

 根拠がないながらも、私はそれを明確に感じておりました。そしてそれは自らの足下より、玄関の方から向けられている気がしました。


(……まあ、大丈夫だろ)


 実は同様の現象をこれまで何度か経験したことがありました。

 そのときは何が起こるか分からない恐怖もあり、無理矢理にでも起き出しておりました。ですが、そうは言っても最早慣れ親しんだ「金縛り」なのです。今更にいつもと様子が違ったからと、過敏に反応する必要性を感じません。

 悪意を無視して、平然と眠りにつくのも一興かもしれない。

 当時の私はそんなことを考えてしまいました。

 その日は午前中に何も用事がなく、私は二度寝を決めこみます。昼過ぎに起き出すという堕落した快感は何物にも代えがたく、そして向けてくる悪意に気を害した私の、意趣返しなんて気持ちもあったのかもしれません。


 私はまぶたを下ろして、再度まどろみが身を包むのを待ちます。しかしながら一度覚醒した意識は中々に眠りにつかない。

 そんな風にぼんやりとしていたなら、悪意の気配が徐々に近づいてきているような気がします。それでも私は無視を決め込みました。ひとえにそれは、どうせ大したことはないという私の慢心まんしんが原因でありました。

 このときに起き出す労苦をしておけばよかったと、私は今でもいております。そうすればあんな体験をすることはなかったのです。


 そして、それは唐突に始まりました──


(やばいやばいやばい、ヤバイッ)


 起きろ起きろ起きろと、私は瞼をあけました。

 そしてありったけの力を丹田に込めます。

 覚えるのは圧倒的な恐怖の感情。

 私は狂乱しながらに、とにかく起きろと自らを叱咤し続けました。

 どうしてか、それは膝下からの感覚が無くなっていたからです。

 どういうことか、端的に言います。


 ──足先からソイツが私の中に入ってきました。


 これほどに怖いことは、それまでの生涯でありませんでした。

 これからも経験することなんてないでしょう。

 身体は太腿ふとももの中ほどからの感覚がありません。微動だに動かせないどころか、そもそも足が切り離され、消えて無くなったかのように感じます。すでに私のモノではないのです。足下に視線を向けたくても、金縛りで顔は動かせません。

 そうしている間にもジワリジワリと私の身体は侵食されていきます。これが頭部までとどいたなら、自分は自分ではなくなってしまう、直感としてそんな危機感を覚えました。


 自身が他に占領されてしまう恐怖。

 そんなのは初めて経験しました。


 やがてどうにか気力を振り絞り、声帯から獣のような唸り声を叫び、私は布団から飛び起きました。そして咄嗟にとった行動は、カーテンを開けて日光を部屋に充満させ、自らに取り込むことです。理由は分かりません。とにかく混乱していたのだと思います。

 ハアハアと荒い息を吐きながら、次第に私は落ち着きを取り戻していきます。

 初冬の朝という時節にも関わらず、滝のような汗が全身に吹き出ておりました。


 月並みな言葉になりますが、怖かったです。

 それしか言うことがありません。


 起き出してからもしばらくは「私の身体は確かに自分のモノなのか?」という疑念が尾を引きました。

 それほどの恐怖体験でした。

 この経験はスリルなんてものではありません。

 教訓もなにもなく、ただただおぞましさしか残らなかったのだから。

 根拠がなくとも恐怖を感じるなら近寄らないこと。勘違いならそれでいい。それだけが、この経験を通して私が伝えたいことです。


 あなたの眠りの横には誰が立っていますか?

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