エピローグ

「これでようやく終わりだな」


 砂漠を彷徨うろつく二つの姿の、背丈の小さいフード被った女が大仰に溜息を溢した。


 無理もない。


 この数日、日が昇り、そして暮れるまで、ただひたすら広大な砂漠を巡り巡っては二束三文にもならない鉄鋼をしたためていたのだから。


「それにしても……不思議なもんだ」

「なにがだ?」

「あんだけ攻め込んできてたってのに……いまじゃすっかりなりを潜めちまった。流石のユグドラスも怖じ気づいたかな」

「そうでなければ困る。あれだけの規模で連日攻め込まれるなど想像すらしたくない」

「確かにそうか。それじゃあ用事も終わったことだし戻るとしよう」


 もう一人の女が帰路を指さす。


「そういえば、あいつはまだこの国に残るって?」

「ありがたいことにな」

「よかったじゃん。これでもうしばらくは安泰だ」

「安心してばかりもいられないがな。今後、さらに苛烈な攻勢を受けることは明白である以上、一国の主としてはとにかく軍事力を築きあげなければならないし」

「つうことは、あたしもがんがん兵器を開発しないといけないわけだ」


 国へ残ることを決めたという件の男から借りた二輪車のハンドルを握りながら、背丈の大きな女がちらりと背後をみやって口にする。掻き集めた鉄鋼の破片を抱きかかえた小さな女は器用に運転手の背中へ体重を預ける。


「そろそろ工員も増やしてほしいところだけどねぇ」

「目下カーラーンにいる父上に掛け合っているところだよ。あの窮地を乗り越えたのだ。褒美の一つや二つくらいは寄越してもらわねば我の気も済まん」

「それは流石に少なすぎるんじゃない? 辺境でずっと頑張ってるんだし、もうちょっと色々ねだっても罰は当たらないんじゃないのか?」

「褒美を一度にせがむのは品がない。要求は最低限に、けれど確実に必要となるものを見定めながら、だ」

「行儀がいいな。遠慮することないってのに」

「望んだとおりの要求など通らんのだ。どのみち最初はふっかけるつもりさ」


 自信満々に言ってのける助手席の主。


 そうは言っても交渉の相手はカーラーンの国王――すなわちアルシェラの父上だ。一筋縄ではいかないのは目に見えている。


 甘え下手な彼女が積み重ねてきた実績を振り返れば、さして期待はできないのだが……。


「ま、せいぜい吉報を期待してるよ」

「お主の学校行きも要求項目に入れてあるからな。存分に期待しておくがいいぞ」

「……そいつはどうも」


 余計なお節介を焼かれた運転手は大仰に肩を落とした。


「あんまり嬉しそうじゃないな」

「そりゃあね」


 当たり前だ。一体なにを考えているのだろう。


 これから軍事力を増強していくのなら自分が学校に行っている暇などない。

 ここぞというときに開発設計現場の主力を放り出してどうする。


 それに。 


 勉強は嫌いだ。

 机にじっとして話をきいているだけだなんて耐えられるわけもない。


「あたしの居場所はあそこだよ。いなくなったらみんなが困るだろ」

「心配しなくとも現場はどうとでもなるように差配するさ。さてはお前……、やはり学業から逃げようとしておるな?」

「べっつにー……」


 勘の鋭さも一級品なのは本当に厄介だな、と。


 フードを目深に被り直したメイは、アルシェラに聞こえないよう小さく溜息を吐いた。


※※※


「そうじゃねぇって言ったろ。何遍説明すりゃ要領を掴むんだ、お前」

「お前って言うのやめてよね。私にはリーラっていう大事な名前があるんだから」

「操術を使いこなせるようにならないと話にならないぞ。魔人である以上、体得できるものは使いこなせるようになってくれ」

「あんたに教える才能がなさすぎるんじゃないの? 機鋼蟲を動かしてみろだなんて急に言われたって無理な話だっての。コツくらい教えなさいよ、へんてこなイメージじゃなくてさぁ」

「コツがあったら誰も苦労してねぇ。つうか、そもそもユグドラスじゃあ数日あれば誰でもできるようになったぞ」

「悪かったわね才能なくって!!」


 アスラステラが誇る随一無二の兵器工場に響き渡る怒鳴り声。


 昼休みの休憩中に響く罵声をよくある男女の痴話喧嘩と受け止める工員たちが微笑ましく見守るなか、ライルによる操術そうじゅつの指導を受けはじめてから一週間が経過していた。


「まーまー二人とも落ち着いてくださいよぉ」


 連日のように仲裁役を買ってでているカイナも二人のいがみ合いに馴れてしまい、剣呑な雰囲気に割って入っては宥めることが一種の恒例行事になってしまっていて。


「一筋縄でいったら苦労しないですよ。ライルさんだって、ぶっちゃけそんな簡単にできるわけないと思っているから、こうしていまもつきっきりで教えてあげているんじゃないんですか?」

「俺はこの特訓を一刻も早く終わらせて自由になりたいだけだ」

「そのくせまともに教える気がなさそうというか、どうやって教えるのか分からないって感じですよね? 先輩のことじっと見つめてばかりだし……あ、もしかして惚れ――」

「勘違いすんな断じてそれはない」

「……そう言われると、それはそれでなんかむかっとする」

「ほんと失礼ですよねぇ、ライルさん」


 仲裁に入るかと思いきや一転、リーラの側にまわるカイナ。


「先輩はこんなに魅力的だっていうのに、微塵も意識してないとか……あ、まさか女性には興味が――」

「そうじゃねぇよっ!! っつうか、そういう話じゃなくてだな!!」

「ライルさんが人に教えるの下手くそって話です?」

「…………とにかく俺にも才能がねぇって言いたいんだなそうなんだな」

「そりゃあそうでしょ。感覚でしかものを言えないくせに教える才能があるとでも?」

「ぐっ……そいつはそうかもしれねぇけど……それにしたってリーラもリーラだろうが。機鋼蟲が動きそうな気配だって微塵もしねぇ。本気でやってるんだろうな?」

「やってるわよ、そりゃあ……。油を売っている暇なんてないんだもの」


 ガレス率いるユグドラスの本隊を壊滅させて以降、偵察部隊や斥候部隊も姿を見せなくなり、文字通りの平穏な日々が訪れた。


 だが、それも束の間でしかないことことを誰もが勘づいている。ガレスに代わる指揮官や兵士の補充が完了すれば、次こそは圧倒的な数の暴力で攻め込んでくることは確実。


 その『来たる日』までに、各自ができることを全力でやるしかないことに変わりはなく。


「分かってるなら早く習得してくれ」

「言われなくたって」


 やる気を灯らせたリーラが再び擱座した機鋼蟲に向き直り、両手を突き出しては目を閉じる。意識を研ぎ澄ませ、相対する機鋼蟲へと注ぎ込む。


 その様子を見てカイナは忍び足でリーラの側を離れ、いまは訓練所となったメイ御用達の研究室の外へと出て行った。


 それを見計らって。


「……なんでここに残ろうと思ったわけ?」

「聞いてどうする」

「気になっただけよ。そもそもあんた、この国に居座る理由なんてないじゃない。どこにでも行けるんだから」

「……そう、なのかもしれないな」

「なんなのよ、その歯切れの悪さ」

「……俺はまだ自分がどうありたいかを見つけられてねぇ。アルシェラには、それを見つけろって言われてんだ。ぶっちゃけ自分がどうしたいかなんて全然わかんねぇよ。けど、やっぱりさ……ユグドラスが間違っていることだけは断言できる。あそこから逃げ出したことだけは、正しかった」


 自分が自分を誇れるように生きろ。


 アルシェラにそう言われ、その生き様を探し続けて、まだそのなんたるかを掴むことはできていない。


 どこに進むべきなのか、なにをしたいのか、明確な答えがあるわけではない。


 けれど絶対に正しくないことの一つは理解していて。

 抗う力があるのなら、振るうことこそが生き様と呼べるものではないのかと。


 そう思うことは間違っていないはずで。


「ユグドラスにこれ以上、好きにさせたくないんだ」


 だから、ライルはアスラステラに残ることを決めた。

 過ちの蔓延はびこる国と戦い続ける、ただそれだけのために。


「だから、ここに残るってこと?」

「最前線だろ、ここは。おあつらえ向きじゃないかって、そう思った」

「……そう」

「なんだよ、その淡泊な返しは」

「だって……まさかそんな真面目な答えが返ってくるなんて想像してなかったし」

「本当に失礼なやつだな……。まぁ、とにかくそういうことだから。しばらくはリーラの面倒も見てやるし、攻め込んできたら前線であの鉄屑どもの相手だってしてやるさ」

「頼りにしてるわよ」

「ああ……任せな。だからリーラも早く魔人として一人前になってくれ」

「……………………善処は、する」


 言って、リーラは再び眼前に擱座する機鋼蟲に意識を注ぎはじめた。


「…………」


 ライルは背後でその様子を見守りながら、遠く故郷に思いを馳せる。


 清算なんて到底不可能な罪業を抱えたこの身の行く先は紛れもない地獄だ。


 きっと、一生をかけて背負った罪を償い続けることになるのだろう。


 それでも構わなかった。


 この身の命運が尽き果てるまでユグドラスに立ち向かうことこそ、己が定めならば。


 その定めを歩み続けることこそが、いずれは誇るべき道になると信じて。


 先人などいるはずもない未来へ突き進む。



 それこそを、己が矜恃としよう。

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魔人たる矜恃を胸に、少年は反旗を翻す 辻野深由 @jank

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