第2話
結論から述べると、ツツジはとんでもなく手がかからない娘だった。
「私のお食事ですか!? お気になさらず! 私好き嫌いは無いんです!」
そう言ったツツジの口の端からは、厚みのある草がのぞいていた。……いや、もはや好き嫌いの域を超してやしないか? 草ぞ? それ草ぞ?
あまりにも豪快な彼女の食べっぷりに、山の神はたじろぎつつも宣託してやる。
「あまり偏って食べるなよ。自然の均衡は尚のこと、君の栄養面にだって問題が出てきては……」
「心配ご無用です! 熟したものから選んで食べ、新芽はきちんと残しております!」
「お、おう……」
「あと、村からいくつか種を持ってきましたので、神様さえ良ければ植えさせてもらえませんでしょうか。小規模のものであれば、さほど手もかからないかと……」
「え、ええー……」
それだけでは無い。
彼女は、狩りもできるようだった。
「神様! 猪様の肉を頂戴して参りました!」
「なななななんだと!? 君、怪我は……!」
「ご安心ください! かすり傷一つ負っておりません!」
「それもそれで驚きだがな!」
「村の掟に則り、祈り、感謝し、言葉を捧げて参りました。猪様の血肉は私と同化し、共に生きていくのです……」
「え、ええー……」
そして、着物の代えが無くては困るだろうと思えば、その心配も無かった。
「神様、ご覧ください! 新しいべべでございます!」
「まさか、葉っぱを繋ぎ合わせて作ったのか?」
「ええ! 本当は綿糸や麻糸で作りたかったのですが、あれには時間がかかりますので取り急ぎ……」
「しかしよくできているもんだな」
「天敵は強い風です!」
「縫合面では不安が残るのか……」
「糸ができましたら、神様のお召し物も作りとうございます! 良かったらぜひ着てくださいね!」
「え、ええー……」
こんな彼女である。当然、山歩きに慣れていないはずがなかった。
そういうわけで、山の神は日がな一日、ツツジを伴って山中を歩くのが日課となっていたのである。
「ついてきているか?」
「はい!」
スイスイと木々を縫って進みながら、山の神はふと思い出してはツツジを振り返る。少々遅れがちではあるが、彼女はちゃんとついてきていた。
「流石神様、足がお速いですね!」
「慣れた道だしな。ツツジもここにいるなら、じきに同じようになる」
「それはとっても楽しみです!」
「うむ」
季節は少しだけ移り、そこら中でジワジワとセミが鳴いている。木々を抜けて覗く青空には、もくもくとした白い雲が漂っていた。
――暑い。が、沢に沿って歩けば多少の涼も取れるというものである。
「そういえば」と、いつの間にか隣に追いついたツツジが口を開いた。
「神様のお仕事って何なんですか?」
「お仕事? ……ああ、役割のことか。そうだな、均衡を保つこと、と言えばいいかねぇ」
「均衡ですか」
「そう。例えばほら、あそこの木の洞(うろ)」
指を差し、そちらに向かって跳躍する。しかしツツジには険しい道だったようで、仕方なく一度戻って抱えて連れてきてやった。
「中を見てみろ」
「……んーと……小さな卵が、たくさんありますね」
「ああ。これは最近よその山から流れてきたアリの卵なんだがな。どうも力が強過ぎて、元からこの山に住むアリの居場所を奪ってしまいそうなんだ」
「まあ」
「で、どうするかというと……」
手をかざし、力を込める。うっすらとした光が手の平から卵に移った後、光が無くなるのを待ってから腕を下ろした。
「こうする」
「どうなさったのです?」
「自分の縄張り……えーと、住む場所に関する知恵を与えてやったのだ。ここからここまでの場所で暮らせ。数が増え過ぎたら別の山に移れ、と」
「なるほど。それなら元々住んでるアリさんも困りませんね」
「いや、アリは困らなくなったが、今度はこの辺りを根城にしてた虫たちが難儀するんだ。生きていくことは食べていくこと。必要以上にこのアリ達が虫を食べてしまったら、次はその虫を餌にしていた鳥達が困ることになり……」
「大変ですのね」
「大変さ。時々面倒くさくてたまらなくなる」
「……」
腕を組み、あれこれ頭の中で計算する。そんなアタシの隣で、ツツジはどこか浮かない顔をしていた。
「神様は……」
「うん?」
「……あのアリ達を、この山から追い出そうとは思わないのですか?」
「え、なんで?」
思わぬ質問にキョトンとする。ツツジは、こちらに顔を向けないまま言った。
「なんでって、大変なんですよね? 勝手にズカズカやってきて、勝手に他人様の場所を陣取って。その上世話も面倒ときたなら、追い出すのが一番手っ取り早いかと思うんです」
「おいおい、どうした。そんな言い方は無いだろう」
ツツジの言葉にムッとする。これは一度説教というものをしてやらんといかんな、と背筋を伸ばした。
「いいか、ツツジ。山とは来るものを拒まないんだ。そりゃ追い出す側はいいだろう。でも追い出された奴らは、そこから先どこでどうやって生きていけばいい」
「……それは」
「そいつらには悪意なんて無い。ましてや誰かを困らせようなんて露ほども思ってないんだ。だけど生まれてしまった。生まれてしまったから、もう生きる道を選ぶしかなくなってしまった。……そうやって生きる為に生きてるような奴らを、どうして神様(アタシ)が追い返せるもんか」
「……」
「だからアタシは神様として、そいつらにこの山での“生き方”を教えてやってるんだよ。せめてこの場所では、生きていけるようにな」
「でも」
なおも食い下がるツツジに、アタシは片眉を上げた。……なんだか、今日のツツジは強情である。
妙に思ったが好きにさせた。どうせ時間は山のようにあるのだ。
「ねぇ神様。言うだけしかしないというなら、無視されることもあるのではないのですか? 好き勝手して、山を食いつぶして。そんなことをする者でない保証はどこにも無いじゃないですか。……そうなれば、アリも、虫も、山も、神様も死んでしまいますでしょう」
「そうだな」
「そうだなって……!」
「だがなツツジ。アタシは、それならそれでいいと思うんだよ」
そう言い、眉間に皺が寄っているツツジの鼻の頭を指で弾く。拍子抜けしたように目をパチパチとさせる彼女の顔がおかしくて、つい吹き出した。
「遊ばば遊べ、滅ばば滅べ、だ。……構わないよ。無限の如き時間はあれど、万物には命がある。終わりがあるんだ。……それは、山とてアタシとてツツジとて、同じこと」
「……」
「ああ、確かに面倒だ。何かを生かすことほど面倒で大変で厄介なことはない。だがそれも全て命が関わっているからだ。有限の中で生きているからこそ、面倒事が生まれるのだ」
「……神様」
「アタシはね、ツツジ」
ツツジの言葉を遮り、アタシは笑ってやる。
「君のことも面倒事も、案外嫌いじゃないんだよ」
ツツジの顔が、くしゃりと歪む。可愛らしいおかっぱ頭は垂れ、ぼろぼろと大粒の涙が零れる。
初めて人が泣く所を見た神様は、オロオロと少女の前で戸惑っていた。
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