第4話

 それから山の女神とツツジは、長い長い時間を共に過ごした。


「神様、見てください! こんな大きなカエルを獲りましたよ!」

「どれどれ……。いやでかいな!? 想像以上にでかいな!!」

「これは食べ応えがありそうです!」

「食べる気なのか!? だ、だがこの色は人の体には毒では……」

「その時はよろしくお願いします!」

「どうよろしくしろと……ああああ早速火に突っ込むな! 待て待て待て! まずは他の動物に尋ね聞いてからにだな……!」




「神様ー! 無事にお芋が収穫できました! おひとついかがでしょうか!?」

「アタシはものを食べないのだが」

「でも私が村にいた頃は、あなたにお供え物をしておりましたが」

「あれはアタシも疑問だったんだよな……。他の神は好んで食べるものなのか?」

「ということは、神様は今まで私達が供えたものを食べてらっしゃらなかったのですね」

「ああ、代わりにいつも他の動物が食べにきてたよ。皆喜んで……って、なんで君が不満げなんだ」

「だったら私が食べておけば良かったと思いまして」

「不信心な奴め」




「なぁツツジ。君は、田吾作のことは気にならないのか?」

「え? それは気になると言えば気になりますが……」

「が?」

「……私は、もう二度と村に帰ってくるなと言われましたので。帰ったら怒られてしまいます」

「そうか。田吾作は存外厳しい人間だったのだな」

「いえ、そうではないのです。多分、田吾作さんは自分が元気な姿だけを私に見せたかっただけでして」

「元気な姿を?」

「はい。……人はいずれ老い、死にます。それは私や田吾作さんも例外ではありません。そして、田吾作さんはもう相当なおじいさんでした」

「……」

「私は一度、家族を亡くしています。だから田吾作さんは、もう二度と私から家族を失わせたくなかったんじゃないかなと。……口には出さなくとも、田吾作さんはそういう優しい方でしたから」

「……」

「……神様?」

「……いや、なんでもない」

「泣きそうなのですか?」

「神は泣かない」

「が、我慢なさらないでください! ああほら、季節外れの花がそこかしこから咲き始めて……!」

「もしアタシが田吾作に会うことがあれば、山のように川魚を贈ろうと思う」

「まあ、それは田吾作さんも喜びます! ありがとうございます、神様! ですが、今はどうか泣きやんで……!」

「ううう」

「あああ! 桜が! 桜がみるみるうちに蕾になって……! 神様! どうか我慢なさらず泣いてください! 春に咲く分が無くなってしまいます! 神様ーっ!」




「……ツツジ」

「はい」

「君は、だいぶ顔貌(かおかたち)が変わったな」

「ふふふ、美しくなったでしょう? 田吾作さんからも、よく『お前は大きくなったらとんでもない美人になる』と言われていたものです!」

「そうなんだな」

「あ、でも神様には負けますよ? んもう、いつまで経ってもお美しいままなんですから!」

「……姿が変わる君は、面白いと思うが」

「面白いなんて、そんなのお嫁さんに言う言葉ではありませんよ!」

「君はお嫁さんじゃないと何度言ったら……。いや、うん。まあ、いいか」




「神様ー!」

「なんだなんだ、騒々しい。また猪でも獲って……」

「人間の! 赤子が! 落ちてました!!」

「ほぎゃあ! ほぎゃあ!!」

「えええええええええ!?」

「ほぎゃあーっ!」

「あああっ、うわっ、え!? ど、どこに落ちてたんだ!?」

「神様の祠です!」

「んんん、村の者が育てられなくて置いていったのか……? と、とにかく、どうしたものやら……」

「育てましょう!」

「ええー!?」

「だって神様、山は来るもの拒まずなんでしょう? ならばこの子だって授かりものです。私達の子供です!」

「アタシ達の子供って……」

「ほぎゃあ! ほぎゃっ!」

「あわわわわわ! と、とりあえず、お乳です! 神様、お乳は出ますか!?」

「出るか!!」

「ならばヤギか何かいませんか!?」

「ヤギ!? ヤギかは知らんが、最近村から逃げ出してきたらしい動物がいたような……!」

「捕まえてきましょう!」

「分かった!」




「メェー」

「メェー」

「……まさか、ヤギもお母さんだったとは知りませんでしたね……」

「ああ……。それでまさか、子ヤギまで生まれていようとはな……」

「ですが、これで赤ちゃんのお乳には困りませんね! さぁたっぷり飲むんですよー、サクラ!」

「おや、名を決めたのか」

「はい! 私がツツジで、この子はサクラです!」

「……そうだな。名が無ければ、呼ぶ時に不便をする」

「神様には名は無いのですか?」

「ああ、アタシは名も無き山の神だからな。山に名がつけられていないのだ、アタシにあろうはずもない」

「でしたら、私がつけてあげましょうか?」

「ふふ、君はいつも不遜なことを言うな」

「私だって神様の名をお呼びしたいですからね」

「そうか。まあ何とでも呼べばいいよ」

「はい! では、二人でいる時だけお呼びする名前を考えましょう!」

「君はそれでいいのか」

「ええ。あなたはやっぱり、神様ですもの」




「う……だぅ……!」

「はああああっ! サクラ! サクラ! 頑張るのです……! そう! 足に力を込めて……! あああっ、お尻が! お尻が可愛い!」

「うううっ……!」

「が、頑張るのだ、サクラ! お前はツツジの子だ! 立てる! 立てるんだ!」

「だうっ……!」

「頭が重たいのはこの際仕方ありません! ですが、そこをぐぐっと耐えて……!」

「だぁっ!」

「ああああああーっ! 立ちました! 神様、サクラが立ちましたよ!」

「ああ、すごいな! 流石だ! やった!」

「あぶぁっ!」

「ああああっ! 転びました! おつむはゴチンしませんでしたか、サクラ!」

「びぅぅー……っ!」

「神様、見てます神様!? この子、頑張って泣くのを堪えています! なんて頑張り屋さんなのでしょう!」

「君の育て方の賜物だ! 人とは斯様に素晴らしきものなのだな!」

「びえぇぇぇ!」

「あああ構いません、構いませんよ、サクラ! 痛いのは当たり前です、泣くのも当たり前です! たんと母に甘えなさい!」

「ぶぅっ!」

「お……珍しいな、アタシに来るとは」

「あらまあ、きっと頑張ったご褒美が欲しいのですね! ええ、ええ! たーんと褒めてもらいなさい、サクラ!」

「む……あ、アタシからでいいのか。そうか、そうか……。見事だったな、サクラ。アタシは見ていたぞ、サクラ」

「べぅー……」

「ふふ、もう泣き止みましたよ。嬉しかったのですね」

「む、むう……」

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