山の女神は不本意ながら村の少女を嫁にする
長埜 恵(ながのけい)
第1話
「アタシは男の生贄を要求したはずだが」
「私も男神様に嫁ぐものと聞いておりましたが」
向かい合わせの神と少女。新緑の葉は目に痛いほどの青空を遮り、落ち葉でふかふかの地面に点々とした陽を落としている。
そこに一人と一柱はしゃがみこんで、じっとお互いの顔を見ていた。
山の神は、美麗な女性の姿をしている。人間と違うのは、額から三本のツノが生えている点と、カラスのような一対の翼が背中にある点か。
彼女は美しい顔を困ったようにしかめ、腕を組んだ。
「山の神といえば、醜い女神と相場が決まっておろう。故に同じ性を嫌うとし、山に女性が立ち入ることを忌避する地域さえある」
「はい」
「ここまでは分かるな?」
「はい」
「よし。ならば何故、君のような可愛い女の子が来てしまったのか教えてくれないか」
この言葉に、年の頃十六の少女は、綺麗に揃えられたおかっぱ頭を揺らしてはにかんだ。
「可愛いだなんて、そんな……嬉しいです」
「呑気な事を言ってないで答えろ。こっちはほとほと困ってるんだ」
神は腕を組み替え、呆れたようにため息をつく。
「確かにアタシは一人に飽いたさ。時期良くやってきた一人の男に呼びかけ、ブ男を寄越すように伝えたさ。それからかれこれ一ヶ月。待ちに待った婿殿は、なんとまさかのオナゴと来たもんだ。なぁ、どうしてこうなるんだよ」
「そりゃあ神様。耳が遠くて、最近とんと物覚えが悪くなった田吾作さんを使いの者にしてはダメですよ」
「その田吾作は、皆に何と伝えたんだ」
「若くて可愛くて両親のいない、ツツジを生贄に差し出せと」
「生贄の所しかまともに伝わってないじゃないか、田吾作ぅ」
神は真っ白な頭を抱えた。確かにこれでは、自分の人選を責められても仕方がない。神なのに。アタシ偉いのに。
落ち込む神に、ツツジという名の少女はのほほんと笑う。
「ねぇ神様、悩んでいたって仕方ありません。まずはお食事にしませんか? 私オニギリを作ってきたんです」
「神に食は必要無い」
「まあ、それは便利でいいですね。では私だけでもいただきます」
了解すら得ずに、ツツジは懐から取り出したオニギリを頬張り始めた。神の前だというのに、えらく豪胆な娘である。
「……君、それを食べたら帰れよ」
「おうひへへふは?」
「食べてから話せ」
「どうして帰らなければならないんですか?」
「私は婿が欲しかったんだ。嫁はいらない。君は早々に帰り、代わりに婿を寄越すがいい」
「……」
急に黙ってしまったツツジに、神は少し動揺した。どことなく、彼女の眼差しに影が落ちたようにも感じたからである。
「……なんだよ」
そんな顔をされたなら、訊ねないわけにはいかない。この神の問いかけに、少女はパッと顔を上げて言った。
「私は、既に神様と結婚した身です!」
「してない」
「したようなものです! それが、今更里に下りたらどうなるか……!」
「……どうなるんだ」
「決まっております! 神にすら離縁された女として、いい笑い者になるに決まっています! そんな女、果たして誰がお嫁さんに貰いたいと思ってくれるでしょうか!? 否!」
そういうものなのだろうか。人の事情にとんと疎い神は、元気いっぱいにまくしたてる彼女の前でぽりぽりと頬を掻いた。
対するツツジは、大声を出してお腹が空いたのか、また一口おにぎりをかじる。
「まひゅひゅ、もひゅもひゅ」
「食べてから言え」
「……なので私は、お許しをいただけるのであれば、神様のお側にいたいです」
「……」
――神は、ツツジのくりくりとした瞳に再び影が差したのを見てとった。
「里に下りた所で、誰も私を歓迎する者はおりません。ならば、私は私を許してくれる方の側で生きとうございます」
「……別に、嫁がなくても生きていくぐらいはできるだろう」
「それは勿論そうなのですが」
俯く少女。この時、神の長い耳は彼女のか細い呟きを拾ってしまった。
「……一人で生きるのは、とても寂しゅうございますから」
「……」
初夏の匂いをまとう風が、一人と一柱の間を駆け抜けた。
――思えば、自分の気まぐれだって発端はそうだったのである。一人が退屈で、誰か話し相手が欲しかった。それが自分好みの男であれば、なお愉快かなぁと思っただけで。
詰まる所、寄越された者が誰であろうと自分の目的は果たせるのである。
「……わかった」
まぁ、これも余興のようなものだ。永劫に渡る時間の中の、ほんの瞬きの一つに過ぎない。
神は光の粒で作った白い衣をバサリと翻し、少女に背を向けた。
「そこまで言うのなら、好きにするといい。寝床ぐらいは用意しよう」
「はい! ありがとうございます!」
「ああ、これからはまあ、よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします! 神様!」
弾んだ声のツツジを背に、神はぼんやりと考える。
――とりあえず、人の子とは米以外に何を食べるのだろう。
案外順応性の高い神は、ツツジとの生活を思い描きつつ、寝ぐらに歩を進めるのであった。
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