悪しき陰謀が抜天に影を落とし義太夫は戦いの中師と再会する

 南国の太陽が降り注ぐ【人間工房】跡地周辺。地上構造物が二十四本の剣閃に膾にされて、はや数日が過ぎていた。だがそこには、未だに鋼鉄と腐臭に満ちた平原が広がっている。焦げ臭さやうめき声は減ったものの、あまりにも荒廃していた。


「おお、武器じゃ武器じゃ。ここに来ればあると思ったが、正解じゃった。畜生、弱った途端にみんなして殴りかかって来やがって」


 そんな中、片目のふさがったボロ着の男が、杖で必死に屍骸を漁っていた。刀や技術てくのろじい銃、あるいは火器の中からまだ使えそうなのを見つけ出し、夢中で我が物にせんとしていた。しかし突如として、機械じみた警告の声が響く。


『警告、警告。貴殿は【人間工房】の領域を侵犯している。本警告終了後、本土標準時一分を過ぎても領域外に脱出しない場合、貴殿を掃討する』


 はて不可思議である。【人間工房】は義太夫によって輪切りの膾にされ、滅んだのではなかったか? 実はここに恐るべき秘密が存在するのだが、あまりに恐るべきことゆえ、開陳は慎重に執り行うものとする。


 ともあれ、男は警告を無視した。武器に夢中になっていたのか、それとも、滅びた【人間工房】からの、自動的な警告音とでも解釈したのか。その真意はわからない。事実として起きたことは、警告からきっかり一分後に地面から光芒レーザー銃が出現したこと。その一秒後には男が消し炭以下の存在と成り果てたこと。そして、男の無惨な死に様に目撃者がいたこと。その三つだけだった。


「イッヒッヒッヒッヒ。【人間工房】、やはり生きとるではないか。怨霊をまとっておいて、正解じゃったわい」


 屍骸の陰から目撃していたのは、あまりにも歪な風体の男だった。白髪の長髪を風に預け、杖で障害物をのけて進む。片足を引きずっているが、目の力は確か。黒のマントで身体を覆っているため、他の不具は判別がつかなかった。


「怨・怨・おんおんおん……」


 モニョモニョと何事かを唱えつつ、男はある屍体へと近づいていた。ひときわ目立つその屍体は、上半身の左半分を銃口に覆われ、右腕は長大な刀、左足は無限軌道への変形機構を持った義足となっていた。そう。義太夫に突きで脳天を撃ち抜かれた男、与四郎である。


「おお、こいつは損傷が少ないのぉ。ありがたいありがたい。真っ当な【葬儀屋】は【人間工房】に寄り付かんからのう。おかげで怨念がぎょうさん、集まっとるわ」


 おん、おん、おん……。男は髪を振り乱しながら、何事かを唱えていく。それも長い。にもかかわらず【人間工房】からの警告はない。悠々と長口上を続けていた。五分……十分……祈り手は汗を流しつつもなお、大声での詠唱を止めない。やがてにわかに空が曇り始めると、いよいよ祈りはヒートアップした。

 警告はない。祈りは続く。黒雲が下りてくる。瘴気じみた空気が生まれる。この場に霊感のある者がいたならば、卒倒するような光景を見ただろう。【人間工房】周りの屍骸から次々に人魂めいたものが飛び出し、与四郎の屍体へと群がっている。


「おお、おお……来た、来たぞ。掴んだ! 怨! 怨! 怨! ありがたいありがたい。【葬儀屋彦六】が現役じゃなくてまっことよかった。あやつはいかん。屍体という屍体を、全部片っ端から燃やしよる。おかげで長らく怨念が集まらなんだ」


 このおぞましい光景が見えているのだろう。男はいよいよ半狂乱になり、すり合わせ続けた両の手を左右に振った。手のひらの皮はめくれ、口の端からは血。髪は乱れに乱れ、腕も千切れんばかりに祈るさまはまさに狂気。しかしその一念は、生死の理さえも捻じ曲げる。


「お、お、お……!」


 与四郎の屍骸が、ぼう、と光った。男にはわかる。死者の怨念が数でもって与四郎の魂を冥界から取り戻し、肉体に引き込んだのだ。少しずつ、本当に少しずつ。その身が起き上がっていく。


「ぎだゆう……ギダユウ……義太夫!」

「おお、本人も相当の怨念を抱えておったか。良かろう。その恨み、この【怨霊使い】が預かってやろうぞ。おぬしにワレをくれてやる。ワレの念を用い、復讐を成すが良い。イッヒッヒッヒッヒッヒ! イーーーーーーヒッヒッヒッヒーーーーー!」


 おお、おお。あまりにも奇怪な笑い声が屍の平原にこだまする。にもかかわらず、【人間工房】に動きはない。げに恐るべきは自称【怨霊使い】。見よ、今や与四郎は完全に再臨した。義太夫を怨み、その感情を生きるための燃料とする冒涜の再生物となってしまった。義太夫は果たして、これを討つことができるのか?


「イヒヒヒヒヒ……! 抜天に流されて十から先はもう数えるさえ諦めた。だが、もう刀連中に媚びなくともよい。手先にならずともよい……! 我が怨念、我が怒り。存分にこの流刑島に叩きつけてくれる……」


 そして【怨霊使い】からは狂気にも似た怨念が漏れていた。彼はこの島で、この戦闘蠱毒で、いかなる苦しみを味わったというのか。引きずる足が、その象徴だとでも言うのだろうか。


「イヒッ! イヒヒッ!」


 やがて男は痙攣にも似た様相で顔をひきつらせて仰け反り、天を仰いだ。彼が引き込んだ黒雲はいつしか雨をもたらし、霞の中に狂気を覆い隠していた。強い雨が男と与四郎を叩くが、動じることさえしなかった。


「イーヒヒヒヒヒヒヒーーーーーーッッッッッ!」


 再び狂気がこだまする。しかし知る者はない。【人間工房】は壊滅を装い、地下に隠れた。他の剣客や闘士、【葬儀屋】などはこの地に寄り付きもしない。


 小さくも恐るべき復讐劇が、今始まろうとしていた。


 ***


 雨音の酷い日は、どうにも昔を思い出す。狭いところに隠れて、やり過ごすからだろうか。


 トタン屋根の下で雨上がりを待ちつつ、義太夫は煙管キセルを指で弄んでいた。トレードマークともいうべき朱鞘朱柄の日本刀は、反対の腕できっちり抱え込んでいた。


「ジジイの野郎、コレを吹かすとサマになったんだよなあ……」


 くるくる。くるくる。


 形見の代わりに盗み出した煙管を、義太夫は右へ左へと回転させる。過日もそうだが、どうにも吹かしたい時に限って雨が降るなと、義太夫はひとりごちた。


「ま、雨の間はそうそう他の連中も動かん。今のうちに……」


 休んでおこうと言いかけて、義太夫は耳をそばだてた。雨音に混じって、どうにも奇妙な音がする。


「……真っ当な歩き方じゃねえな。敗残か」


 義太夫は足音の聞こえ方から目星をつける。抜天は生き残った者が強い場所。それ故、瀕死でも生き汚く振る舞う者は少なくなかった。今回もその一人だろうか。


 ザッ……ザッ…………ドサァ。


 やがて敗残の足音が途絶え、転倒音がした。義太夫はトタン屋根の小屋を飛び出し、草むらへ分け入る。果たしてそこには、瀕死の男が倒れていた。


「罠じゃねえだろうな……」


 義太夫は慎重に近づいていく。抜天の戦人の中には、屍体や木々を使って罠を張り、弱ったところを仕留めに来る連中がいる。義太夫はそれらを嫌うが、嫌っているからといって、相手が仕掛けてこない保証は皆無だった。ともあれ、屍体から数歩の距離まで近づき。


「おい、生きてるか?」


 まずは煙管で、うつ伏せに倒れている相手の頭を叩いた。刀は義太夫にとって大事な代物ゆえ、この場で生存確認に使うには不向きだった。


「い、生きていますが……。にげてください……!」

「おう?」

「おん……ううっ……にげ、て……」


 相手は幸い生きていた。生きてはいたが、どうも様子がおかしかった。なにかを必死に抑え込むように、うわ言めいて逃げろと繰り返す。義太夫は逃げるか迷って、数歩飛び退く。腰を深く落とし、朱鞘の刀を抜刀態勢で握り込んだ。闘争と逃走。どちらにでも動ける態勢。


「にげっ……ああ、にげ……」


 うつ伏せの男がさらにうめく。うめくが、その身体は各所が膨れて変形していた。口や耳、鼻の穴からは瘴気めいた紫の煙があふれ、ボコボコボコと膨張と収縮を繰り返す。


「シェエエアッ!」


 義太夫は先手を打った。神速の抜刀で縦に空間を斬り、斬撃を飛ばす。だが一拍、ほんの一拍だけ遅かった。


「あ゛っ゛!」


 斬撃が切り裂く寸前、男が爆ぜ、肉が散った。残心を取るまでもなく、義太夫は飛び退く。肉に煙がまとわりつき、戦人の形を取っていく。数にして六人。全員が刀持ちだった。


「外つ国の魔女か? はたまた陰陽の係累か? どっちにしても、聞きかじりでしかねえぞ」


 刀を一本喚び寄せ、二刀流の構えを取る義太夫。しかし数的不利は否めなかった。飛び掛かれない内に素早く回り込まれ、あっという間に人形ヒトガタどもに囲まれてしまった。


「オオオオオ……!」

「ギダユウ……!」

「ウツベシ!」

「ウツベシ!」

「ウツベシ!」


 全方位からの怨み言に、義太夫の顔がこわばる。しかし、打つ手はあった。朱鞘さえ己に紐付いていれば、それは可能だ。ならば、やる。


「せやあっ!」


 義太夫は手にしていた刀を揃って宙に放り投げた。同時に二本を己に紐付け、浮かせてしまう。人形どもの真上、三メートルほどのところに、二本がまず浮いた。


「行くぜ……【殺戮報刀さつりくほうどう之十二時・時告げ落とし】!」


 投げ上げたままに掲げていた腕を、ぐるりと時計回りにする。四本、六本、八本。刀が増える。そして十二本になったところで、抜天では失われたもの、時計の如くに等間隔に並んだ。抜身の切っ先は、大地と人形を指し示していた。状況が飲み込めぬのか、彼らは天を仰ぎ、硬直していた。


「斬ッ!」


 それ故に、あとは簡単だった。汗を浮かべながらも、両腕を開くように振り下ろす。同時に刀が垂直落下。人形どもを無残に薙いでいく。脳天から貫かれる者。腕を斬り飛ばされる者。体を裂かれ、足を地面に縫い付けられる者。肉片と煙が散り、うめき声が辺りを埋める。だが。


「なっ……!?」


 見よ。斬られた肉片に、煙が再びまとわりつく。再び人形を取らんとする。その数は、六から倍以上に増えていく。脳から貫かれたはずの者さえ、二つに割れて人形になる。


「まさか……斬れば斬るほど」


 朱鞘一本に戻った義太夫が戦慄した時、新たなる声が響いた。義太夫には、あまりにも聞き慣れた声だった。


「技は増えたようだが、心が小さいままだぞ、義太夫」

「……オイ」


 声の主は応えない。思うがままに言葉を述べる。


「見ておけ。これが【葬儀屋】だ。【刀街道とうかいどう裏通り・火女街道ひめかいどう!】」


 飛んで来た刀は敵勢に対してわずかに五本。しかし義太夫には見えていた。不可視の線で繋がれた刀が、四角錐――ピラミッド――めいた形で並んでいる。


「ジジイ、まさかテメエッ!」


 完全に線が繋がる寸前、義太夫はバク転でピラミッドから脱出した。しかし知能の低い人形は、困惑したままに閉じ込められた。そこへ向けて、雨の中でも丁寧に培われた火種が飛んだ。


「グアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

「バアアアアアアアアアッ!!!!」

「アヅッ! シヌッ! マダジヌッ!」


 あとは簡単なことだった。断末魔が上がる地獄絵図がピラミッド内で展開され、肉も煙も等しく無に帰していく。そして義太夫の隣にジジイ――師にして父代わりだった男――が立った。腹掛に法被をまとい、頭は少々寂しいが目と足腰はしっかりとしていた。


「やれやれ。【人間工房】を膾にしたってんだから、ちぃと嫌な予感がしてたが、まさかの最悪だからぁ仕方ねえ。【葬儀屋彦六】、稼業再開だ」


 いつの間に奪い返したのか、彦六は義太夫の持っていた煙管を指で回し、口の端に据えていた。


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戦闘蠱毒・抜天之島 南雲麗 @nagumo_rei

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