268 作戦会議 1

 ユーシャダイは少し逡巡した後、ため息を吐き席を立つ。

 剣を鞘に納めたことから、とりあえず今戦うことはなさそうだ。

 魔法を解除したのか、天使もどきが消えたのを確認したアンリは、軽い口調で声をあげる。


「あはは、嘘はもうついてもいいのかな? とりあえず、僕は無罪放免ってことでいい?」


 アンリの明るい声が、静まり返った空間に響く。しかし、その軽快さとは裏腹に、彼の目は警戒を緩めてはいなかった。

 ユーシャダイは姿勢を正し、深々と頭を下げた。


「これは大変失礼した。今回の私の召喚は異例なものだったため、不備があったのかもしれない。何か教会からお詫びをするよう、伝えておきましょう。あぁ、契約は解除したので、嘘が裁かれることはないが、人生において極力嘘はつかないようにお願いしたい」


 いきなり押しかけ、一方的に断罪しようとしてきた相手だ。

 完結ながらも意外にしっかりとした謝罪をしたことに、アンリは苦笑する。


「お詫びなんていらないよ。誤解が解けたんだ。それで双方、良しとしようか」


 直近の問題は解決したが、因縁が無くなったわけではないとアンリは理解していた。

 強さには底が見えない相手のため、なるべく戦わないですむように話を進める。


「しかし、無実の者にここまで迷惑をかけてしまった。私なりの誠意を受け取ってほしい、アーリマン・ザラシュトラ」


(うーん、ただより怖いものはないし、ここは貸しを作っときたいなぁ)


 打算が脳裏をよぎる。

 信頼という名の借金を作らせておいた方が、後々都合がいいのではないかと。


「それなら、僕のことはアンリと呼んでくれないかな。誤解から始まった出会いだけど、仲良くなれると嬉しいな」


 表面上は無邪気な提案のように聞こえる。

 その目にどこか含むものを持っていると理解したのは、ユーシャダイではなくカスパールだった。


「ふむ……到底埋め合わせにはならないが、今回はそれでよしとしよう。アンリ、申し訳なかった」


 再び頭を下げ、この場を離れようとするユーシャダイに、アンリが声をかける。


「それで結局、君は何だったのさ」


 振り向いた彼女の双眼には、闘技場に現れた時と同じ、揺るぎない意思が宿っている。


「我が名はユーシャダイ・ソーラス・ツァラトゥスラ。魔王を討ち、この世の平和を取り戻す者、勇者だ」






「ツァラトゥスラ……ね」


 今度こそユーシャダイが姿を消したことを確認し、アンリは作り笑いを止め考え込む。


「お主、どういったからくりじゃ? 嘘がなんとかの契約自体が嘘じゃったのか?」


 掌底で打たれた脇腹を押さえながら近づいてきたカスパールに、アンリは首を傾げる。


「ん? あの契約が本物だったかは分からないけど?」


「ぬ?」


「え?」


カスパールは引き攣りながら、アンリを指差した。


「お、お主……まさか、さっきのやりとりで嘘をついておらんのか……」


「あはは、何言ってるのさ、当然でしょ? あんだけ大層な天使もどきを召喚してるんだ。流石に嘘は不味いって、いくら僕でも警戒するよ」


「そ、そうか、ならばお主は正義……お主が…………正義?」


 カスパールは逡巡する。

 確かに、アンリが問答で答えたように、善悪の判断は難しい。

 どんな独裁者でも、本心から自分が正義だと信じている人もいるかもしれない。


「いやいや、いやいやいや、そうじゃなかろう」


 だが、今回アンリの結論は、曰く法律に基づいたものだ。

 だからこそ、カスパールは納得できない。


「エリュシオンでもアフラシアでも、他人に危害を加えることは悪じゃろう。お主の行為が明るみになれば、程度に差はあれ、法においては有罪のはずじゃ。それとも、許される国を知ってあるのか?」


 アンリは得意げに笑顔を作った。


「えっとね、カルネアデスの板って言葉があるんだけど」


「カルネアデスの板? …………あぁ……そうか、ふむ……」


 知るはずのない単語を聞き、カスパールが納得しそうになっていることに、アンリは疑問を持った。


「あれ? キャス、知ってるの? メルに聞いたことがあるのかな」


「いいえ、マスター。私のログに、そのような履歴はありません」


 カスパールは額を抑えながら、少し疲れた声をあげる。


「いや、わしの勘違い……のような気がする。嫉妬の能力の弊害か、最近こういうのが多くてな……すまん、続けてくれ」


「そう? 大罪人の能力は分かってない部分も大きいから、何かあったらすぐに教えてね? 絶対に無理は禁物だよ?」


 アンリにとっては、自分に迷惑がかからないようにという思いが強い。

 しかし、今のカスパールには、愛の囁きにしか聞こえなかった。


「く、くふふ、心配して……わしを、私を、心配して、くれるのじゃな、お主様……くふふふふっ」


 カスパールはぶつぶつと呟き始め、ユーシャダイのために用意されていた椅子に、しなだれるように座り込む。


「キャス、大丈夫? 何か大罪人の影響がでてるのかな……あんまり頻繁に能力を使うのはやめた方が良さそうだね」


「いや、構わぬ。それより続きを。お主の声、話をもっと聞かせてくれ」


 火照った様子のカスパールは、瞳に興味を灯し、続きを促した。


「そう? それじゃあ……えっと、なんだっけ……そうそう、カルネアデスの板だね」


 アンリは話の筋を思い出し語り始める。


「例えば、船が沈没したとして……3人の乗客が海に投げ出されたとするよ? あぁ、魔法は使えない前提でね。助かるには、海に浮かぶたった一枚の板にしがみつくしかないんだ。だけど──」


 アンリは少し間を置き、指を一本立てる。

 その表情には、微かな影が差していた。


「その板は、たった1人しか支えられないんだ。2人以上で掴めば、板ごと沈んじゃうんだよ。当然、3人は板の奪い合いさ。自分が助かるために、板を巡って争うしかない。しがみついてきた他人を殴り、蹴飛ばし、振り払うんだ」


 その冷静な説明に、カスパールの眉間に皺が寄る。


「──そうして1人だけが生き残った。他の2人を犠牲にしてね。その1人もちろん、裁判にかけられたんだ。2人を殺した罪でね。でも、結局──」


 アンリは小さく肩をすくめ、わざとらしい間を取って微笑んだ。


「無罪だったんだよ」


「無罪、か……なるほど、それは、まぁ、仕方ないじゃろうな。そやつが生き残るための選択じゃったから」


 カスパールは腕を組み、当時の状況をイメージしていた。


「だよね。同じさ。僕も同じ──」


 アンリの瞳には、いつの間にか暗い光が灯っていた。

 それは底が見えない程の深淵を思わせるものだ。


「溺死を免れるために他人を犠牲にするのが許されるなら、僕が永遠に生きるために、他の誰かを犠牲にしたとしても、罪には問われないはずだよね?」


 その言葉に、カスパールは目を細める。

 アンリへの援護射撃は、メルキオールからおこなわれた。


「エリュシオン刑法第37条第1項でも定められています。『自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない』と。マスターにとって避けようとしている害を考えると、その他大勢の不幸は捨て置いていいでしょう」


 メルキオールの援護を受け、アンリはこれで終わりとばかりに畳みかけた。


「あはは、そういうことだよ。僕が永遠に生きるために、やむなしの犠牲はしょうがないけど、基本的に僕は正義の味方さ」


「ふぅむ……納得してしまいそうになっておる自分が怖いわ。まぁ、わしな何も言わんよ。ところで」


 カスパールは、ちらりと隣に目をやる。


「正義の味方ならば、わしの可愛い孫娘をそろそろ回復してやってくれんかの」


 そこには、アンリのためにボロボロになり、今にも命の灯火が消えてしまいそうなジャヒーが地に伏していた。

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タナトフォビア ~サイコパスと言われようが、不老不死を目指す男の二度目の人生は、周りに絶望を撒き散らす~ 剣 道也 @michiya_tsurugi

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