儚くて消えない

斉藤なっぱ

第1話

 昨日見た夢が思い出せないように僕は君のことが思い出せない。


 始業式が始まって僕があいつの姿を見つけ、ずっと見つめていると少し咳払いをした。少しもじもじとした様子で手持無沙汰なあいつのことが僕はずっと気になっていた、今では恋愛感情があったかどうかなんて全然わからない。なぜなら彼は男で、自分も男だからだ。おそらくだけど、単に気になっているだけで、そのような感情に溺れることなどないと思っている。おそらく異性愛者だと自覚しているし、多分、ただ気になっているだけなのだ。そう思い込もうとした。初めて出会った時、この進学校に似合いもしない金髪の少年だった彼は、すぐさま髪を染めさせられ、すぐに保健室登校になっていった。そしてだんだん不登校になっていったのである。そうして僕は先生から呼び止められた、「おい、あいつの家にプリントを運んでやってくれ」

 あいつが登校しない間、たまったプリントは凄い量になっている。それを持っていたトートバッグに押し込んであいつの家に行ったのだが、狭い集合住宅の一室に家族三人で暮らしていた。こんな環境でも勉強ができるのかと驚いたものだった。

 そしてジャージ姿で現れたあいつは 別に悪びれもせず、また髪の毛を金髪に戻していた。


 公園に呼び出し、ベンチに座りながら尋ねた。


「なあお前これから進路どうするの」


「さあ、どうするかな、どうせうちには進学する金なんかないし」


 そういって小石を蹴るあいつはたいして気に病む様子もなく笑みさえ浮かべていた。


「進学校にせっかく来たのにな、もったいないな」


 そう言うとブランコに乗ってあいつはケラケラ笑った。まるで幼児のような屈託のない笑顔を見せたあいつは、働くかなとそれだけ言ってブランコをこぎ続けている。


 僕の成績は伸び悩んでいた。このままじゃEランさえ怪しいと先生に言われたばかりであった。あいつに会いたくなった。あいつが学校に来なくなってもう三か月は経っていた。机は埃だらけになって残していった教科書や教材が虚しくそこに置かれている。あいつに何を求めて行ったのか。よく動機がわからない。


 チャイムを鳴らし、狭い住宅から出てきたあいつはバンダナに作務衣といういでたちで。以前みたへらへらとした様子はまるで感じられないいきいきとした表情をしていた。


「俺、陶芸家の先生のところに通ってるんだ、勉強はあきらめて。焼き物を焼いてこれから暮らしていくつもりだよ」


 そうして安物の玄米茶がちゃぶ台に置かれ、あいつが作ったのであろう。凸凹した味のある陶器があちらこちらに置かれている。その陶器で茶を啜っていると急に僕が泣き出した。なんで涙がでるのかわからなかった。「おいどうしたんだよ」慌ててあいつがハンカチを差し出すと、僕はそれで涙を拭った。僕は悲しくなっていたのか。感情が不安定になっていたのかよくわからなかった。なぜ涙が出るのか。将来の目標の決まったあいつが羨ましかったのかもしれない。僕は何者になりたいのだろう、あいつに比べて裕福な環境に生まれて、でもそれだけで。やりたいことが決まらないから勉強にも実が入らず、怠惰な日々を過ごしていた。親は成績のことで何も言わなかった。父はやりたいことをやりなさいとそれだけを言ってくれた、でも僕にはそのやりたいことが見つからない。自然とあいつの家へと足が伸びていた。何のために、何を求めてあいつの家に通っているのか自分でもよくわからなかった。


「また来たんだ。俺の最高傑作見てく?」


 そうして狭い部屋に所せましと並べられた陶器が僕の荒んだ心にずしりと何かを光らせる。そうしてあいつが最高傑作とやらを見せた。その陶器は浅葱色をした水差しで、そこに一輪の菖蒲が刺してある。


「これ自信作なんだ先生からも褒められた」


「なあ俺、これからどうすればいいと思う?」


 突然そんなことを聞かれても困ることはわかっている。あいつは父と同じようにやりたいことを見つければ?と言って笑った。僕はとぼとぼと帰路につく、帰りに書店寄って完全自殺マニュアルといった本を買ってしまった。暇で憂鬱な日々を過ごしていた僕が選んだ選んではいけないであろう選択の一つであった。


 どうせ死ぬなら楽な方法で死にたい。でも死ぬ理由さえはっきりとはしてない段階でまだ迷っていた。できることなら誰かに止めてもらいたいという気持ちがあった。そんな甘えた考えで自殺を決行できるはずもなく、そのまま時間だけが過ぎた。


 あいつに会いたい


 なぜ会いたいと思うのか自分でもよくわからなかった。久しぶりに会ったあいつはまだ陶芸を続けていて、芸術家の貫録さえ出ていた。死ぬことを選ぼうとしている僕とは雲泥の違いがある。「俺、世界一の陶芸家になるんだ」


 狭い家で夢を語るあいつはキラキラして見えた、何の悩みもない状況で。強いて言えば何もやりたいことがないから死にたいくらいの自分が恥ずかしくなった。


 そうしてその日々のことを大学に進学した今ではあまり思い出せない。

 この先もうあいつとの接点はないだろうと予感していた。


 彼女とのデートのとき。新進気鋭の陶芸家の展示会があるから行ってみたいと言った。


 そうしてデパートの一室での展示会でまたあいつと出会った。迷っていた頃の俺の友達。そうして僕は忘れることにした、あの浅葱色の水差しを眺めながら。

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儚くて消えない 斉藤なっぱ @nappa3

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