銀漢高く澄める夜に
衞藤萬里
銀漢高く澄める夜に
びょう、びょう――と夜陰に山犬の吠え声。
暗夜である。ときは正平七(一三五二)年閏二月。空には絹の糸のように細い月の、銀漢高く澄める夜であった。
峠のあちらこちらでかがり火が揺らめき、山犬の吠え声に感応したのであろうか、騎馬がいらだつようにいなないていた。
「お眼が覚めましたか、宮様――」
近侍の者が幕の外から声をかける。
峠下の寺院の戸板を運び、ありあわせの陣幕を巡らせただけの寝所である。宮ですら甲冑を身から離すことなく、寝所ともいえぬその粗末な一隅に身を横たえていた。山の夜気は胸元にまで忍んでいる。
「今は何時ぞ?」
「もうとうに、深更をすぎております。お寒うございます、白湯でもお召しになられませぬか?」
「よい」
「なれば、少しでもお身体をおいたわりくださりませ。明日は……」
云いかけた近侍は、後をつづけることができなかった。
峠を取りまくかがり火の数は、立てこもるものよりはるかに多い。軒昂さはあきらかに足利方が上である。
かがり火に幽玄のごとき陰影を形づくる幕外に、宮は言葉を投げかける。
「新田らは、陣を捨ててはおらぬのか?」
「……無論にございます。新田めらも、何ぞ今さら足利ばらに降りましょうぞ」
近侍の言には、隠しきれない無念さがにじんでいる。
新田
新田兄弟は関東の反足利の勢力を集め、
従うものは義宗をはじめわずかの兵卒であり、峠下の足利軍はその数倍する。もはや趨勢はあきらかであった。
「宮様に拝謁願いたてまつる」
幕外で、近侍の者とは別種の粗の声音があった。
「ご就寝あそばされておる、下がりおろう」
近侍の者の言葉がきつい。しかし問答する幕外の声のいかめしさは、それをはじくような力があった。
「直言、構いなし」
宮中でもあるまい。宮の一言で、幕外で居住まいをただす気配があった。
「宮様の御身をかような御苦難にのぞませしこと、臣の非才、深くお詫び申し上げます。臣の武略、父の足下におよそおよぶものではございませぬ。なれど……」
重みを感じさせる声音であった。
「……なれど、主上への忠誠は、父に決して劣るものではございませぬ。足利がごとき無道の輩、我ら一統、戦い利あらずとはいえ、ふたたび帰らじとの心は、みじんも揺らいではおりませぬ」
昂ぶりはない、しかし熱があった。宮がその姿を見ることはないが、幕外から発せられる義宗の気配、息づかいは感じとれる。
宮は、幕外の武者の無念を知る。しかしこの者に、いかなる言葉をかけることができようぞ。
* * *
元弘三(一三三三)年、初の武家政権であった鎌倉幕府は滅亡した。
そして、大覚寺統(南朝)と
全国の勢力が、両統いずれかに与して争乱を繰りかえすこととなる。
幾度もの苦境にもくじけず、鎌倉の支配を打ち破ったのは、父後醍醐であった。
そして義宗の父義貞こそは、鎌倉を陥落させた建武の御代において比類なき武功をたてた功臣であった。
本来であれば人臣として栄華を極めているはずであったが、足利との権勢あらそいに敗れ、後醍醐に切り捨てられ討死をした。
しかし、義宗は恨みをみじんも表すことなく、宮を奉じて足利とのいくさに従っている。
その父も足利とのあらそいに敗れて都を追われ、怨念の塊となりはて、崩御した。
持明院統をうしろだてとし、征夷大将軍に任じられた足利尊氏であったが、幕府内部は尊氏派と弟
この時期、大覚寺統は尊氏不在の京都を占拠している。新田らの関東での挙兵も、足利の不和につけこみ、京都と鎌倉を同時に奪還せんとの大覚寺統の重臣北畠
親房は公家にはめずらしく現実的な男であり、尊氏すらも王権一統の手駒としようとした。
しかし――と宮は苦く想う。
その親房ですら、世に萌芽しはじめていたものを感じとることはできなかった。吉野の山中に立てこもる大覚寺の一統も、そして対立する持明院統も、しかりである。
鎌倉殿の強大な支配を目の当たりにしておきながら、武家という階層が皇室の威に愚直に首をたれる者どもであるという、上古のものの見方から、いまなお脱却できない。
ゆえに、反足利の想いにとらわれた義貞の遺児らを、親房は当たり前のように綸旨一枚で動かす。
宮は、京や吉野に逼塞していたわけではない。かつては僧籍にあり、流刑にもあった。各所を経めぐり、人の世を肌で感じていた。
武家はとうに、公家の無垢な衛護の者などではない。
古き秩序は薄れはじめ、かわって新たな秩序、力が勃興しつつある。
人が生みだしたものでありながら、もはや手綱をとることもできぬほどに大きく猛々しいそれは、人の世を疾駆し、古きものを、自分たちが属してきたものを蹴散らし呑みこんでしまうであろう。
今宵、足利の大軍にこの峠に押しこめられていることこそが、世は古きことわりを、秩序を選ばなかったことの証しである。。
おそらく、このいくさの勝者は大覚寺統でも持明院統でもない。自分たちは、かつての秩序の残滓を奪いあっているにすぎないのだ、と宮は想う。
あぁ……と、幕外に気取られぬように吐息する。
身が裂けんばかりの焦燥があった。
身を焦がさんばかりの憤怒があった。
できることならば、嗚咽したかった。
しかし、それは許されぬことである。
この身は滅びゆくものの一員であり、そして滅びゆくものを護る宿命を担う最後のひとりである。
そしてその一方、みとめがたく無念なことであったが、宮自身、その新しきものがもたらすであろう世に、一男子として爽快さをかすかに予知していた。
しかし、それ故――
なんぞ、上古のものを呑みこもうとするそれに、震えながら首を垂れることなど許されようぞ。
自分はまごうことなく古きものだ。
あがらう他はない。燃えつきるまで、あがらう他はない。
人に天命があるのならば、まさにそれこそが、この信濃宮宗良に課せられた役割なのであろう。
宮は天を仰いだ。
暗夜である。夜の昏さは、さながら古き世の象徴であった。
* * *
いくさ場にあってすら、傍らから離さなかった笛箱の紐をとく。父後醍醐から贈られた螺鈿細工の名笛であった。宮は元々、素養の高い文人である。
かろく唇をかみ、口に当てる。
暗夜が震えた。
新田勢に与した坂東武者たちは、ある者は甲冑を身から外すこともなく太刀を胸元に抱き寄せ身を横たえ、ある郎党は長巻を掻いこみ楡の古木に背をあずけ、短い夜をむさぼっていた。
何よりも貴重な彼らの夜を呼び覚ましたものは、嫋々たる笛の鳴りであった。
疲れぬいた武者たちが、ひとりふたりと耳をそばだて身を起こす。
――おぉ……
――何という雅やかな……
――まさか、宮様が……
野営のそちこちで、喘ぐような忘我の声が上がる。
「もったいのうございます。我らがごとき者の無聊をおなぐさめくださろうとは……」
近侍の者が肩を震わせていた。
かたわらの義宗のまなこからも、滂沱と涙が流れていた。悲運の新田の遺児は、ぬぐうことすらせず、陣幕から眼もそらさなかった。
が、近侍の者がうめくごとく、無謀ないくさに臨む兵卒たちを悼み無聊をなぐさめるような柔弱な響きを、義宗はみじんも感じることができなかった。
抑えることのできぬ激情――義宗だけが、それを感じえた。
義宗の涙は、別のものであった。
龍の鳴りにも似た音色は、やがてこの古き世のごとき渺々たる夜と溶けあっていく……
* * *
明朝、新田とともに峠にあった将兵の、少なからぬ者が陣を捨てていた。夜陰に紛れての逃走であった。
その報を耳にした信濃宮、義宗であったが、両者の胸中は不思議と平穏であった。 瓦解した軍の鋭利さが、冬の曙光の鮮烈さに映えた。
わずかな干し米を口にすると、義宗は三人引きの強弓を手にする。
峠でのいくさである。騎乗はできぬ。
愛馬の肩をなでる。ここ数日、満足に腹を満たしてやることもできていない。肉が落ちていた。二度とまたぐことはないであろう。名状しがたい寂寥が、悲運の武者をおそった。
そのとき、後方から薫風のごとき気配がたった。
陣幕へと眼をやる。何と、宮が幕内より出ているではないか。
義宗は一瞬、目を潤ませた。
宮と義宗の視線がからみあい、宮はかすかにうなずいた。
短き縁であった。足利の世への反抗という、
「宮様を落ち延びさせよ」
郎党に小声で命ずると、霜にぬかるむ赤土の古道に歩をすすめる。脇の笹が深い。
早くも遠方で喚声があがりはじめていた。
* * *
新田兄弟の挙兵から最後の名もなき峠まで一連のたたかいが、武蔵野合戦と呼ばれる。この峠のいくさをもって、関東における足利の支配権は盤石のものとなり、それはやがて新しき世への幕開けとなった。
かくて、世はみごとな流転をみせた。
義宗はその後越後へ逃れ、そこで戦死した。二十七歳であったという。兄義興も占拠していた鎌倉を追われ、矢口渡で謀殺された。
宗良親王は信濃方面に落ち延びて抵抗をこころみるが、もはや頽勢は挽回できず、ついに吉野に帰還し僧籍にもどった。
後年、選集した『
宮が笛で武者らの無聊を慰めた――とされるその峠は、後に
(了)
銀漢高く澄める夜に 衞藤萬里 @ethoubannri
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