三人だけの同窓会

夏村響

第1話

「陽子、遅せえな」

 太一がぶっきらぼうに呟いて、梅雨が明けたばかりの初夏の空を見上げた。その透明な瞳に映る青は眩しいばかりに明るくて、俺は思わず目を背ける。

「……いつものことだろ」

 俺もぶっきらぼうに呟き返すと、太一は軽く頷いた。

「だな。それに」

「それに?」

「いい天気だし」

 ふっと笑って太一は言う。

「曇り始めたら来るかもな」

「何だよ、それ」

「何って、お前、忘れたの? あいつ、超がつくほどの雨女だったろ?」

「雨女?」

 芸もなく繰り返してから、ああ、と思い出す。

 三人でどこかに出かけようと待ち合わせていると、その日は朝からどんなに天気が良くても、陽子が現れた途端、空は一転、どんよりと曇り始めてあっという間に雨が降る。神かと思うくらいの確率だった。

「よくこの駅で待ち合わせしたよな。決まって陽子は遅れてきて」

「うん。遅刻の常習犯。それで雨が降り出すと、三人で慌てて待合室に逃げ込んだ」

「そうそう。待合室しか屋根のある所、ここには無いから」

 と、その待合室のベンチに座って太一は笑う。

 待合室と言っているのは便宜上でしかなく、そこは簡単な屋根があるだけの吹き曝しの場所で、横長の三人掛けのベンチが一つ置いてあるだけのものだ。

 個室ではないから当然、暖房も冷房もない。冬は寒いし夏は暑い。

 それでも俺は、俺たちは、この不便で気の利かない田舎の小さな駅が好きだった。一日に数本しか電車は来ないから死ぬほど長い待ち時間を多分、きっと、俺たちは愛していて、陽子を真ん中に、ベンチで並んで腰かけてどうでもいい話に花を咲かせていた。

 あの頃、どんな話をしていたのか、ほとんど覚えていない。けれど今、大人になって振り返ってみると、あの時間がとても幸せで、この夏空のようにきらきら輝いていたことを痛いくらいに思い知る。

「……無くなっていくんだな」

 太一のつぶやきに俺は思わず振り返り、まっすぐに彼の顔を見た。透明に澄んだ瞳の、その無垢な輝きがたまらなくなって、つい目を伏せようとすると太一が不意に強い声で俺を呼んだ。

「おい、あきら!」

「え? ……何だよ?」

「無くなっていくのは寂しいものだと思うか?」

「何だよ、急に」

「答えろよ。どう思う?」

 少し考えてから俺は言った。

「……時間の流れには逆らえない。格好つけて言えばそんなとこだ。今、確実にこの手の中にあるものも、いつかは消えてなくなっていく。この村の、俺たちが通っていた小学校や中学校も廃校になった。そしてこの駅も」

 と、小さな寂れた駅を今更ながら俺は見回す。

「この夏の終わりに廃駅になる。利用者がいないんだから仕方ない。当たり前のこと。自然の摂理だ」

「自然の摂理。晃らしい言い方だな」

 ふふと口元で笑って、太一は続けた。

「高校に通うために、俺たちは毎朝、ここで待ち合わせをしたよな。休みの日にどこかに遊びに行く時も。決まって陽子はぎりぎりに現れて遅刻するかとはらはらしてさ」

「……ああ、ここで一本、乗り遅れると絶対、遅刻。俺たちは焦るのに、あいつ、いつも笑ってて」

「名前の通り、太陽のような女の子だった」

「でも雨女」

「そうそう、大事な日に雨を降らす迷惑な奴」

「だけど陽子は雨女を認めないんだよね」

「そう言われるたびに怒ってたな。太一の方が雨男なんだって言い張って。そんな陽子を太一はいつもからかってたよな」

「陽子、からかうと可愛いんだよ。だからつい意地悪したりいたずらしたりしてた」

「そういえば、誕生日のプレゼントに蛇のおもちゃが飛び出す箱を渡して泣かしたこともあったな」

「そんなの小学生の頃の話だろ。……一週間、口を利いてくれなかったけど」

「陽子のこと、雨女って言い出したのも確か太一だったな?」

「うーん。今思うとそれは憧れだったのかもな」

「は?」

「だって、雨女とか雨男とか、その存在だけで雨を降らせることができるんだぞ? 何か格好よくない?」

「何だよ、それ」

 二人で顔を見合わせて、ひとしきり笑い合った後、太一が静かに、そして唐突に言った。

「俺、好きだったんだ、陽子のこと」

 とくんと胸が鳴った。

 けれど、俺はそれを顔に出さずに頷いた。

「そんなの、とっくに知ってるよ」

「……そっか。お見通しか」

 ははと太一は短く笑う。

「高校を卒業して、俺たちはバラバラになったな。夏の休暇を利用して、毎年、ここであの時のように待ち合わせして、三人だけの同窓会をしたよな」

「今もこうして、同窓会、してるじゃないか」

「そうだな。まだ、陽子は来ないけど……晃。これで終わりにしよう」

「……終わりって?」

「この駅は無くなる。だから、今年で終わり。三人だけの同窓会」

「……それは、陽子にも聞いてみないと。勝手に決めるとあいつ、怒るよ」

「すべてのものはいつか必ず無くなってしまう。お前の言う通り、それが自然の摂理だ。仲良し三人組はこれにて解散。もう自由だよ。お前も俺も、勿論、陽子も。だから、俺に気なんか遣うな」

「おい、太一。何を言って……」

「陽子、来るかな。もう、来ないかも」

「来るよ!」

 俺はムキになって太一に言った。

「来るに決まってるだろ! 来るよ、約束したんだから陽子は……」

 ふと言葉を飲み込んだのは、頬に冷たいものが当たったからだ。

 驚いて顔を上げるといつの間にか空はどんよりと曇っていて、ぱらぱらと雨が降り出してきた。同時にふっと温度が下がり、半袖の腕がざわりと泡立つ。

 雨は一瞬のうちに本降りになった。

 これって……。

 思わず目を凝らすと、雨に煙るその向こう、若い女性が一人、駅の構内をこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 長い黒髪も身に付けている黒いワンピースも突然の雨でぐっしょりと濡れている。顔がよく見えないけれど、でもそれは……。

「……晃くん」

 立ちすくんでいる俺の、至近距離まで来るとその黒い姿の女……陽子は消え入りそうな弱い声で俺を呼んだ。

「遅れて……ごめん」

 はっと俺は小さく息を吐いた。

「何だよ、いつものことだろ」

 軽く笑ってそう言うと、彼女も静かに笑った。それから俺が黙って待合室のベンチを振り返ると、陽子も黙って屋根の下に入った。抱えていた花束を誰もいないベンチにそっと置く。

「もう、一年経つんだね」

「そう、だな」

「……急にいなくなっちゃうんだもん、泣くひまもなかったよ」

「太一らしいだろ」

「そうだね。……ねえ、太一くんと何の話をしてたの?」

 俺に背中をむけたまま、陽子が言った。

「今日は約束の三人だけの同窓会の日。太一くん、私と違って時間に正確だったから、もうとっくにここに来ているんでしょ」

「ああ」

 俺は少し考えてから言った。

「ただの思い出話だよ。陽子がとんでもない雨女だったって」

「ええ? それは違うよ」

 ふくれっ面を作って陽子が振り返った。

「私が雨女じゃなくて、太一くんが雨男だよ。だって、太一くんはもうここにいて、私が来るより先に雨は降り出していたんだから。……そうでしょ?」

 俺は黙って空を見上げる。

 気が付くと雨はもう小降りになっていて、空の向こうは暗い雲から青色が透けて見えていた。

 そう、陽子の言う通り、この雨を降らせたのは太一だろう。雨男に憧れていた太一の、陽子に捧げる最後のいたずら。

「……え? 何か言った?」

「何も。ただ」

 俺は空の向こうに聞こえるよう、大きな声で言った。

「どんなに時間が経とうと、何が変わってしまおうと、絶対に消えないものもここにはある。それも自然の摂理だ」

 だから、俺は……。

「晃くん? どうしたの?」

「陽子」

 俺はまっすぐに彼女の顔を見て言った。

「俺、お前のこと……ずっと好きだった。だから、その……」

 一瞬、陽子は驚いた顔をしたが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻ると頷いた。

「そんなの、とっくに知ってるよ」



おわり

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