四次元的な考え

デッドコピーたこはち

四次元的な考え

「だからさ、四次元的に考えなきゃダメなわけだ」

 前席に座るシグオは身を捩ってこちらを向いて言った。単座の航宙戦闘機よりはましとはいえ、複座であっても航宙哨戒機のコクピットは狭い。シグオの無理な体勢も長くは持たず、すぐに前を向き直した。

「ジャン、お前はものわかりが悪い。だから、俺は同じことを違う言葉で何度も言う。お前がわかるまで繰り返し言うからな。いいか」

「わかった」

「よし」

 シグオは満足げに言った。

「三次元的にはあらゆるものは必滅だ。エントロピーの増大はこの宇宙の真理だからな。形あるものは全て滅びる。ヒトも、星も、銀河も、宇宙そのものでさえも。ここまではいいか?」

「ああ」

 俺は頷いた。もう頭が痛くなってきそうだが、ここまでは何度も聞いた話だから、ついてはいける。さて、今回はどこまで理解できるだろうか。

 ふと、横を見ると、キャノピーの外にまたたきもしない星々の光と真空の闇がどこまでも広がっているのが見えた。


 五十三年前、ワームホール・ゲート生成技術によって、外宇宙にまで版図を広げた人類に立ちふさがったのが、謎の知性体エグノミアである。彼らは天の川銀河の中心部を目指す第十二播種船団の全滅により初めて確認された。人類のエグノミアに対するあらゆるコミュニケーションの試みは失敗し、全面戦争が始まった。

 ワームホール・ゲート以外の超光速移動手段を持っているらしいエグノミアの戦闘部隊は神出鬼没だった。彼らに対抗するため、軍は人類の勢力圏の外縁部、広大な宙域に航宙偵察機を送り込み、警戒網を張り巡らせた。

 一機の航宙哨戒機に割り当てられる宙域は広く、対エグノミア警戒任務は場合によっては数か月にも及ぶ。航宙哨戒機が敵のエグノミア戦闘機に出くわすことはめったにない。退役まで一度もエグノミア戦闘機を見ない哨戒機乗りも山ほどいる。

 そんな状況で、ずっとこの航宙哨戒機の狭いコクピットに二人きりで居ることになるのだ。身体の方は生体維持スーツがなんとかしてくれるが、精神の方はそうはいかない。どうにか退屈をしのぐ必要がある。一応、映画や音楽が楽しめるアーカイブもあるにはあるが、それだけではどうしても限界があった。ゆえに、軍のマニュアルでは前座の操縦手パイロットと後座の航宙士ナビゲーターの会話が推奨されていた。

 とはいえ、数か月ともなると気の知れた仲であっても会話の種は尽きてくる。最終的には、話し合っても答えの出ない哲学的な話題に偏るのは必然と言えた。


「時間が経てば、いずれ物体の構造は破壊される。ここがミソだ。大切なのは時間が経てばって事だ。もし、時を止められるとしたら、いま存在するものが破壊されることはない。そのままだ。ファウストが望んだようにな。引き金が引かれて、弾丸が銃から飛び出しても、その瞬間に時が止まれば、鴨が撃たれることはない。わかるか?」

「なんとかな」

「こっからが本題だぞ。もし、無慈悲にも時が止まらず、鴨が撃たれたとしよう。鴨は当然死ぬ。だが、それを見た親切な四次元人が引き金が引かれる前に時を戻し、鴨をどこかへ逃がした。すると、鴨は生き残れるわけだ」

「四次元人ってのはなんだ?」

 俺はシグオに聞いた。

「時間軸も自由に行き来できる知性体だよ」

「そんなものがいるのか」

「そういうことじゃない。例えの話だ。四次元人の話はどうでもいいんだ。重要なのは、時を戻せば、鴨は生きてるってことだよ」

 シグオはうんざりという感じでいった。

「まあ、わかった」

 俺は釈然としないまま頷いた。超光速移動が可能なエグノミアだっているのだ。四次元人だっているかもしれない、そう思ったのだ。

「それでだ。3012年8月12日、俺はビーチに居た。最高に美しい……」

「知ってるよ。ガニメデのビーチに行った時の話だろ。何度も聞いた」

 それは、シグオが一番幸せだった頃の話。ワームホール・ゲートの不幸な事故で、シゲオが妻子を失う前の話だ。

「八年前の話だ。もし、四次元人が八年前のガニメデのニュー・オハマビーチにタイムスリップしたとするなら、俺が居るはずだ」

「そりゃそうだな」

 俺は頷いた。

「つまりだぞ、3012年8月12日13時43分53秒、俺が浜辺でコケて腕時計を壊したあの瞬間も、四次元的に考えれば、そのまま保存されてるってことだ」

「なるほど、ジオラマみたいにか」

 俺は流木につまづいて転んだシグオが、立体造形物として出力されている姿を思い浮かべた。

「ジオラマ……? ああ、ジオラマか。言い得て妙だな。そうだ、写真が三次元のものを二次元で保存してるみたいに、本来は四次元な世界の一部を切り取って、プランク時間長の三次元世界として保存されてる。まさにそういう感じだ」

 シグオは感心したように頷いた。俺はそこまで考えていったわけではなかったが、頭のいいフリをしておこうと、そう思った。

「たしか『人間は根源的に時間的存在である』って言ったのはハイデガーだったか。そう、俺たちが時間遡行を行えないから、『万物はやがて滅びる』ように見えるだけであって、過去に遡れる四次元人からすれば、『万物は不滅』のように見えるはずだ。実際、時を遡れば、死んだ鴨の生きてる姿はいつでも見られるはずだからな。まあ、『いつでも』って言い方はおかしいが」

 シグオは頷いた。

「どうだ、俺の言いたいことはわかったか」

 シグオはまた身を捩ってこちらを向いて言った。

「いや、実は、ちょっとよくわからない」

「なんで、ここまで来てわからねえんだよ」

 シグオは笑っていった。


 思い返せば、俺にとってはあの頃が一番幸せだったのかもしれない。対エグノミア戦争が終わって、平和になった世界でも、俺の胸にぽっかりと穴が開いたような心地だった。軍の時間遡行実験に志願したのも、それが理由だった。

 初めてエグノミア戦闘機――のちに巨大なエイのようなそれこそが、彼らの生身の身体であることが明らかになった――に遭遇し、攻撃を受けたあのとき、シグオの射出座席は作動しなかった。射出座席のロケットモーターが不良品だったのだ。俺は二十日間にわたって宇宙を漂ったあと、通りがかった救援艇に救助された。

 終戦を知ったのは前線病院船のベットの上でだった。エグノミアが突如として和平を申し入れたのだ。五十三年前に人類が送ったメッセージが、今頃になって解読されたのだという。


 融和のしるしとして、エグノミアが人類に提供した超時空技術は、世界を変えた。俺にはどうしてもエグノミアの超時空技術の仕組みを理解することはできなかった。しかし、超時空技術によって、莫大なリソースを投じてワームホール・ゲートをつくらなくても、惑星間航行が気軽に行えるようになったのは確かだった。

 軍はその超時空技術を使って時間遡行を行える時潜艇をつくった。俺は厳しい選定試験を耐え抜き、時潜艇のテストパイロットになった。


「カウントダウン開始、10、9、8、次元エンジン点火」

 オペレーターの声が聞こえる。生体維持スーツを着て、狭いコクピットに身をねじ込んでいると、航宙哨戒機に乗っていたころのことを、シグオのことを思い出す。

「7、6、5、次元エンジン出力最大」

 時潜艇が激しく振動する。俺はHUDヘッドアップディスプレイに表示されている座標が、書き換えられられていることを確認した。

 この時潜艇は過去に戻ることはできるが、過去に干渉することはできない。時間遡行とはそういうものらしい。できるのは、過去をただ眺めることだけだ。それでも、俺には軍記違反をしてまでも、確かめなければならないことがあった。

「4、3、2、1。ジャンプ」

 キャノピーから見える実験場の景色が歪み、俺は過去へ跳んだ。


 断絶していた意識が復旧する。目をしばたかせると、キャノピーの外にまたたきもしない星々の光と真空の闇がどこまでも広がっているのが見えた。

 成功した……のか?

 ふと、横を向くと、航宙哨戒機が見えた。一瞬、心臓が強く胸を打つのを感じた。航宙哨戒機のキャノピー越しに、談笑している俺とシグオの姿が見えた。

 シグオは狭いコクピットの中で身を捩って後ろを向いていた。彼は笑っていた。記憶のままの笑顔だった。俺は今よりも若い顔を、少ししかめていた。俺はあのときこんな顔をしていたのかと、不思議な気持ちになった。


 懐かしい、輝かしい過去がそっくりそのままそこにあった。まるで一瞬を切り取ったジオラマのようにそこにあった。


 ようやく、俺はシグオの言う事を理解した。何も、何も失われてはいないのだ。ただ、見えなくなっているだけ。こうして、彼はあの時にあの時のまま存在している。きっと、彼の家族もそうなのだろう。シグオの語ったガニメデの美しい砂浜に美しいまま。そこにはもちろんシグオもいる。

 俺は生体維持スーツのヘルメットの中にゆらゆらと輝くものがあるのを見た。俺の涙だった。無慈悲な時間の流れの中で、何もかもかもが雨の中の涙のように消えていってしまうのだと、俺は思っていた。そうではない。そうではなかったのだ。シグオは正しかった。ありとあらゆるものが本当は不滅なのだ。


「ありがとう。シグオ」

 俺はHUDに時間遡行の制限時間が迫っているという警告が出ているのを見た。次元エンジンが自動的に再稼働し、出力を上げていく。

「またな」

 キャノピーから見える航宙哨戒機が歪む。それが、次元歪曲の影響なのか、自分の涙のせいなのか、俺にはわからなかった。

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