メッセージの真意

 仕事について聞かれることがよくある。その時には、できるだけ胸を張って主張するように心がけている。別に、自分の仕事に自身がないからとかそういうことではない。彼らには、自分のしている仕事が世の中に貢献していることを正しく認識してほしいと思っているからである。


 遺体の検案とは、医師が遺体の死亡を確認して、遺体の外表面を検査することで、死因、死亡時刻などを医学的に判定することを言う。遺体にさらなる検査が必要だと判断された場合は、司法解剖などのさらに高度な検査に回される。俺は基本的に、その前段階の過程を任されている人間の一人である。


 俺の仕事場にはいつも一般的でない死を遂げた遺体が運び込まれるが、先週の件は特に異例であった。大島で発見された海水浴客の遺体であったが、死因はどうやら溺水による窒息ではないらしい。俺は真剣な面持ちで仕事にとりかかった。


「中毒死だと言っています。遺体は外生中毒によって、急速に疾病状態が生じたものであり、さらなる検査と原因の究明が求められるべきです。早急にこれらに対応して」

「何度も言っているだろう。これは溺死だ。すぐに検案を取りやめろ」


 政府関係者だとか、官僚だとか、そんな肩書の奴は俺の話を一切聞き入れようとはしなかった。俺の必死の主張もむなしく、あの遺体は溺死だと判定された。後日、その事件はメディアでさえも溺死として取り上げた。この仕事を続けること数十年、初めて自分の無力さを実感させられた。









 それでも、俺の心は折れなかった。これ以降は事件について干渉することが禁じられたが、そんなことは知らない。知ったことではない。俺は自らのプライドのために、大島に足を踏み入れた。


 ここまで大胆なことをしたのにはワケがあった。それは、あの検案の後、自分でこの大島について調べる機会があったからだ。今は有名な釣りスポットとして知られているようだが、七十年前の印象はそれとはまったく別のものだった。それこそ、『国家機密の島』として、ごく少数の人間がこの島を運用していた。


 軍需工場、それもただの兵器ではない。かつて第一次大戦中に広く用いられた化学兵器の生産工場があった。七十年前の工場を狙った爆撃によって島の大部分が焼け野原になって以降、製造されることはなくなったが、そういった負の歴史を現代にも語り継ぐために当時の資料を集めた施設が島に建てられた。資料館は現在でも一般向けに無料開放されている。


 俺が着目したのは、遺体の中毒死の痕跡とこの島で使用されていた兵器に転用される化学物質である。ここではヒ素化合物など、人体にとって大変危険な物質が使用されていたようで、遺体の中毒症状はそれらが原因である可能性が浮上したのだ。つまり、これらの危険物質が半世紀以上の時間を経て、現代の大島に残存しているという仮説である。


 政府はこのような化学物質はすべて処理済みであると発表しているが、どこかに残存していることは否定できない。もし処理しきれていなかった兵器や化学物質が国民に知れ渡れば、政府の信用低下は免れないであろうことは想像に難くない。その可能性を考えると、俺の仕事を邪魔したアイツの焦りも理解できるのである。


 これらの推察を終えて、俺はこの島に行くことを決心した。専門的な知識について多少の自負があれど、たった一人の男が調査するのは無謀だと笑われるかもしれない。それでも、俺の仕事場に運ばれる遺体が一つでも減る可能性があるのなら、俺は行動を起こす必要があると思うのだ。


「じゃあ、どうしてあなたはここで釣りをしているのですか?」

「私は魚が釣れなくてもいいんだよ」


 釣り少年は釣り客に扮した俺にもっともな疑問をぶつける。魚を釣ろうとしない釣り人……、これまたおかしな人間を演じることになってしまった。昼夜問わず多くの釣り人が行き来するこの島では、釣り人のふりをするのが一番だろうと思った。どうやら、化学兵器の汚染を懸念して、最近までこの島一帯が釣り禁止のエリアだったらしく、それが影響しているのだろう。


「私はもう少し向こうで釣ってくるよ」

 時々、少年は俺の顔色をうかがうような仕草を見せる。不審な釣り人を見つけて困惑しているのだろう。俺はようやく彼の目の前では何もできないことを察して、場所を移すことにした。


「僕が来る前に何か釣れたのですか?」

 少年は意外にも鋭い観察力を見せた。俺がクーラーボックスを重そうに持っていることを見抜いたのだろう。この中に入っている重いものは、魚ではなく検査器具だ。


「ああ、まあね」

「見せてもらってもいいですか?」

「……悪いが、それは出来ないんだ」


 俺はそう言って、再び歩き出した。

「明日はこの島以外の別の釣り場に行くといいよ」


 俺は背中を向けたまま、少年にそう伝えた。未来ある少年を、危険物質が残存しているかもしれないこんな場所に来させたくはない。明日からは、せめて別の場所で釣りを楽しんでほしいことを望んで、俺はその場を去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

道徳的な釣り人 河童 @kappakappakappa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ