第3話

 人生の晴れ舞台って、どういうのだろう。

 

 間近に控えるのだと、卒業式。

 『人生の』ってほどでもないか。でも、つかっちゃんはうちの女子高の王子様だからな。後輩ちゃんたちに泣かれ惜しまれ、結構な晴れ舞台になるかもしれない。

 結婚式とかかな。

 つかっちゃん、かっこよくても女の子だもん。いや、女の子の夢が結婚なんて考えも決めつけかな。でも、きっと綺麗だろうな。


 つかっちゃんは、そのどっちの晴れ舞台に立つこともなく、人生の幕を閉じてしまった。


 病気だったんだって。二年の文化祭が終わる頃には、もうわかってたんだって。

 夏のコンクール直前のつかっちゃんは、しょっちゅう顔色が悪かったし、痩せていた。

『猛暑クソだね!』

 って、夏バテだって誤魔化して。

 つかっちゃん、よくそんな体でさ、舞台に立ったよ。

 っていうか、気づかなくてごめん。止めなくてごめん。

 人の死を、『ウケる』なんて言ってごめん。

 気づいたところで何もできなかったし、止めたところで、あなたは舞台に立っただろう。私の無知も軽口も、あなたは笑って流してくれたけど。


 つかっちゃん迫真の演技が光った夏のコンクールで、私たちは最優秀賞を受賞した。

 わが校の演劇部にとって、栄えある結果だ。

 でもさ、つかっちゃん。

 一地方の高校演劇コンクールが、人生最後の晴れ舞台って、そんなのってないよ。


 市大会の最優秀賞を受賞した演劇部は、県大会に出場する権利を得る。

 普通、三年生は夏のコンクールを終えると引退するんだけど、秋の県大会に参加するために、今年の三年生は引退を秋まで待ってもらうことになった。


 つかっちゃんは、県大会には出られなかった。

 夏のコンクールが精一杯だった。夏のコンクールが終わってすぐに夏休みに突入して、その間に入院してしまった。

 県大会は、つかっちゃんの役は代役を立てようってなった。

 私はそんな舞台、出たくなかった。

 つかっちゃん以外を、応援なんかしたくなかった。

 私と、特につかっちゃんを慕ってた子たちが、いっそ県大会なんて辞退しようって言って。

 つかっちゃんのためにも県大会に出ようって言った子たちと、言い争いになって。

 部内の雰囲気は最悪になった。

 そんなことつかっちゃんには言えなかった。

 つかっちゃんと違って、私には部をまとめる力なんかなかった。

 結局、私を含めて数名が県大会の前に演劇部を去った。

 その後演劇部は、抜けた子の穴は代役で埋めて県大会に出場したらしいが、舞台の出来はボロボロだったそうだ。

 副部長だったのに部をほっぽり出した私は特に、演劇部に残った子たちに恨まれたようだ。

 真冬に行われたつかっちゃんの葬儀で、参列した演劇部の子たちにずいぶんと睨まれたから。

 そんなこと、もうどうだってよかった。

 いろんなことが、どうだってよかった。

 

 つかっちゃんのいない残りの学校生活。

 階段で時々すれ違う後輩たちは、沈痛な面持ちで軽く頭を下げるだけで、黄色い声なんて上げなかった。

 お弁当の時も、机の向きは変えなかった。

 文化祭の今年の花形は、吹奏楽部だった。

 学校の王子様がいなくなって、私はお姫様じゃなかった。


 そういえば私は受験生で、とりあえず、夏前には目星をつけていた短大に推薦の申し込みをした。たったそれだけで、私の高校卒業後の進路は決まった。

 受験勉強をしなければならないのなら、両親も先生も私の尻の一つでも叩いたかもしれない。だけどそうじゃなかったから、私はただ漫然と、日々が過ぎるのに任せていた。


 大学受験組がピリピリする中、ただぼーっと過ごしていた私のところに、ある時後輩たちが訪ねてきた。

 三年生の教室にまでは入ってこない二年生に呼ばれて、廊下に出る。部に残った子達で、きっと恨んでいるだろう私に何用だろう。

「あの、先輩。この前、夏のコンクールの時に回収した感想用紙を、整理してて」

 後輩の手には、小さな紙片が握られていた。はがきくらいの大きさの紙に、枠線と学校名、名前を書く欄があるコンクール専用の感想用紙だ。

「これが、出てきて。先輩に」

 差し出された感想用紙を受け取る。

 他校の生徒からの、称賛だったり指摘だったりが書かれるその用紙。

 ファンレターみたいな熱心なメッセージは、うちの部ではつかっちゃんくらいしかもらったことがなくて。

 だけどその感想用紙には、『三波葵さま』と書かれていた。

 回収箱に入れるために四つ折りにされたそれを、そっと開く。


『走ってけ、空まで』


 なんだかクサいなあって思ってた、そのセリフが。

 つかっちゃんの字でそこに書かれてた。


 違うじゃん、つかっちゃん。

 この台詞は、私がつかっちゃんに言うやつじゃん。

 あの、スポットライトの熱い舞台の上でさ、私があなたを応援するために。

 あなたがくじけないように。


「先輩、ごめんなさい。県大会の件で先輩を責める側に回って、ごめんなさい」

 カーディガンの袖で涙をぬぐいながら、後輩たちが言う。

「何で謝るの。謝ることないよ。私こそごめん、何もできなくてごめん」

 

 あなたの大好きだった演劇部をほったらかしてごめん。

 腑抜けててごめん。

 ごめん。

 ごめんね、つかっちゃん。


 感想用紙に涙が落ちる。

 用紙を慌ててたたんで、つかっちゃんのエールを涙から守った。

 通りがかりの子たちがぎょっとするのも構わず、私たちは泣きじゃくった。


 ふと顔を上げると、窓ガラスに水滴が叩きつけられていた。

 涙だ、と思ったけれど、それは雨で。

「お天気雨」

 空で混ざり合う、暗いところと明るいところ。

 陽の光にきらきらと、透明な雨が降り注ぐ様は、作り物みたいで、嘘みたいだった。

 嘘だったらよかったなあ。

 つかっちゃんがいなくなったこととか、全部。

 

 役者は嘘を本当に変えるってつかっちゃんは言ったけど、私はそんなに演技が上手じゃないから。

 だからこの悲しみも、この涙も本物で。


 次第に弱まる雨、遠くの方の空で、雲の隙間からまっすぐと太陽の光がさしている。

 この世界は作り物の舞台の上なんかじゃないけれど。

 それはまるで、スポットライトのようだった。

 

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