青年と化け猫は夕日を眺め

バルバルさん

青年と化け猫は、夕日を眺め

 海が、空がゆっくりと深い闇に包まれていく。茜色の太陽はゆっくりと水平線の向こうへと沈み、一日中大地を照らした疲れを、海の向こうで癒すかのようだ。

 そんな太陽を、目を細め眺める俺。手には酒の缶。ちびちびと飲みながら、太陽がオレンジから茜色に代わるのを眺めていた。

 ここ、汐井町は塩辛が有名らしいので、そこの少し寂れた店で塩辛をつまみに買って、コンクリートの上で一人酒。

 潮風が、ゆったりとした海の上を撫でる。潮風は思ったより塩辛くないんだな。なんて思いながら、太陽が一日の最後の光を絞り出すのを眺める。

 この街の住人にしてみれば、一生のうち毎日のように見る光景だ。珍しくも、何ともないだろう。

 だが、内陸出身の俺としては、この光景は、何とも色っぽく、心を慰めてくれるような気がする。

 風景に、心和ませられるなんて思いもしなかった。だが現に、いろんなことで疲弊した心が、ほぐれる気がする。

 ふと、後ろに気配を感じ、顔を向ければ。そこにいたのは、一匹の猫。にゃあと一鳴きするのを聞いて、俺は噴出した。


「はは。ここでは化け猫も。ニャアと鳴くのかい」


 それを聞いた猫は、フンスと鼻を鳴らし。


「何だ人間。今時、只の猫と化け猫を見分けられる奴がいるとは思わなかったぞ」


 なんて、返してくる。それに対し、俺は驚きもせず、視線を太陽と海へと向け。


「見分けられたって、何にもならないさ」


 そう、化け猫と猫が見分けられたって……こういう、怪異のような存在を見つけられても、何にもならない。せいぜい、話し相手に不足しないくらいだ。

 それを聞いた化け猫は、やれやれとでもいうように首を振り。


「見たところ、まだ30年も生きてないだろう。なのに、海風と夕暮れ時の太陽を肴に酒など、年寄人間の様だな」

「そうかもね」


 太陽は、さらに力を失い、水平線の向こうへと、落ちていく。

 海はほとんど闇に彩られ、町の太陽に比べれば弱い明かりのみが、海を完全な闇の世界にしないようにしている。


「ま、人間が何を悩もうが、私にゃ知ったこっちゃないけれど、そこは私の特等席だよ。そこでそんなしけた顔されちゃ、せっかくの夕日の時間が味気なくなる」


 化け猫は、俺の隣に座る。そして、顔を数回こすった後、俺に向かい。


「海は広い。悩みを吐き出したり、自分の小ささを確認するにゃちょうどいい。でも、な。」


 そして、化け猫は尻尾を揺らし。


「海は広すぎて、人間ごとき、簡単に飲み込んでしまえる。それを忘れなさんな、若人」

「別に、海に飛び込むために来たわけじゃないよ」


ただ、少し疲れたのだ。


「妖怪とか、怪異に好かれたり、話しかけられたりしても。勉強がはかどるわけじゃない。運動ができるようになるわけじゃない」


 俺は、思わず見ず知らずの化け猫に、語り掛けていた。


「この力が嫌ってわけじゃないさ。でも、人間には、人間の生き方があるんだよ。勉強して、いい大学に行って、良い就職場所探して。でも、君たちは、人の生き方なんてお構いなしさ」

「当然だ。お前たち人間も、猫や妖怪たちのために生きないだろう?それと同じ」

「まあね。ちょっと、失敗しちゃってさ。鬱っぽい気分になったから、海に行こうと思ったんだ。海で、夕日でも眺めれば、何か、スッキリするんじゃないかってね」

「なるほど」


 そう、俺は妖怪と通じ合える、怪異に好かれる。そんな体質だ。そんな体質を利用して、ちょっとした事件を解決したりしていた。

 でも、先日。俺は救えなかった妖怪がいた。その妖怪は、ただ、自分を認めてほしかっただけだったのに。俺は、彼女の本当に欲しい答えを、あげられなかった。


海は、街の明かりをもろともせず、闇に染まり、まるで、俺を拒絶してるかのようだ。

 太陽はすでに、完全に沈み、水平線の向こうで、明日の大地を照らすために休んでいる。


「なあ、若い人間。お前は今、海が自分を拒絶している。なんて思わなかったかい」

「っえ」

「それは見当違いさ。海は、何にも考えちゃいないよ」


 そういう化け猫は、目を細め、海を見やる。


「何も考えてないから、いろんなものの母として、ある時は父として、命をはぐくめる。何にも考えてないから、命を簡単に奪える。何にも考えてないから、いろんな物を捨てられても、何にも思わず、何にもしないんだよ」

「なにも、考えてない」

「そうさ。だから、若い人間」


 化け猫は、優し気に尻尾で、俺の足をたたき。


「何も考えてないものに、何かを期待するな。本当に期待するべきは、何かを考えられる、自分だよ」


 そう言って、化け猫は去っていく。

 その言葉は、しばらく心に残り、少しした後ハッとして、俺は民宿へと帰っていく。


 太陽は、今日も一日大地を照らし、力を失い水平線へと眠りに向かう。

 それを今日も眺めていると、呆れたような声が。


「そこは私の特等席だと言ったろう」

「ああ、だから待っていたんだよ」


 化け猫は、呆れたような声でやれやれとした後、俺の隣に来る。


「で、今日も海に何か吐き出そうとしてるのかい?」

「いや、何にも考えてないものに、何かを期待するのは。しないことにしたよ」


そして、化け猫の前に、一尾の身を解しておいた焼き魚をおいてやる。


「これは?」

「俺の故郷の川魚を焼いたもの。身は解してあるから、骨は無いよ」

「ほう、気が利くな」

「別に、人生相談に乗ってくれた、御礼さ」

「はは、化け猫に人生相談とはな」


 ふと、潮風が吹く。潮風は、今日も海を撫で、大地を撫で、生けるものを撫でていく。心地よい、母から吹く風か。それとも、塩害などを起こす、厳しい父から吹く風か。

 いや、もしかしたらどちらでもないのかもしれない。何も考えてない海から吹く、気まぐれなだけの風なのかも。

 物事を、難しく考えすぎたのかもしれないなぁ。なんて思いながら、ハムハムと焼き魚の身を食べる化け猫を見やる。

 この化け猫だって、深い思いから俺の相談に乗ったわけでもないだろう。

 深く考えないといけないこと、考えなくてもいい事。物事はその二つなのかもしれない。

 そうだ、明日、故郷に帰ろう。もう一度、あの妖怪のことを胸に秘め、やり直すんだ。

 そう決意新たに、ゆっくりと、立ち上がった。


 太陽がゆっくりと、力尽きるように最後の光を発する中、海を眺める、一人と一匹。

 この後、彼らが再び出会うことは無いかもしれない。

 だが、少なくともこの出会いは、一人の青年に影響を与えた。

 この後、一人の超常現象を扱う探偵が内陸のほうで誕生するのだが、それは、別のお話。

 今日も、太陽は全力で輝き、夕暮れには力尽きる。

 今日も、潮風は海沿いを撫でる。

 今日も、海は……

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