第58話 【侯爵家と炎帝の学院入学試験 18 】

 ──翌日。


「ふぁ……。やっぱり物凄く眠い。昨日イーグリア侯爵と話すぎたかな……」


 俺はイーグリア侯爵の屋敷をとぼとぼふらふらとさまようように歩いていた。

 やはりというべきか、俺は昨晩は来客用に用意されている寝室で寝泊まりすることとなったのだが……しかし、貴族の屋敷だけあって、様々な高価な骨董品や美術品がそこにも置かれていた。

 寝起きというだけあって顔が少々パサついていて、かなり気持ちが悪い。あの貴族部屋にも見るからに高級そうな洗面台がもちろん付属していたのだが……。

 今こうして部屋から出て廊下を歩いているのは、そんな高価な品が幾つもあるところに密閉されるのは、どこかソワソワするものがあったからだ。

 いや……密閉というよりも、あんなところで顔でも洗うなど耐えられれない。もしも何かの因果で水が白璧にでもとびちったら……。

 うっわぁ──考えるだけでも恐ろしいぞ。

 ……まぁ、ただの平民が大貴族の屋敷に泊まる機会なんてそうそうないのだから、この点は許して欲しい。

 朝っぱらから俺は何を考えているんだか、と自らの貧乏性にどうしても失笑が隠せない俺であった。

 そして、時々すれ違うメイド達と俺は挨拶をしながら、屋敷の構図などは知らないのでそのまま適当に歩くこと暫く。


「やあ、おはよう。レイラと……メアリスさん」


 十字廊下の左側からレイラとそれに従い着く様に背後に待機しているメアリスさんが見えたので、とりあえず挨拶をしておく。


「ん……おはよう。カノン」


 彼女はそんな俺を見て、ぽやーと少しまだ寝ぼけつつも可愛らしく挨拶を返してくれた。

 まだ目が半開きだし、髪もぽさぽさしている。口もパサパサしているのか、むにむにと動かしているのもとても愛らしい。

 寝起きのレイラを見るのは何気に初めてだったが……やはり、美人はそんな姿でも美人なんだななどと思ってしまった。

 なんというか。──そう。幼さが、見事に際立ってるんだよなぁ。


「む……カノン・シュトラバイン……」


 ただ、メアリスさんは案の定の態度であったが。

 しかしまあ、ここで少し嫌な顔をされるだけで、野獣のごとき鋭い視線で睨まれなかった分、マシになってきているのだろうが。

 初対面の、あの鋭く凍てついた視線を向けられるのは正直勘弁して欲しいのだ。……しかし今の態度はどこか緩和していたし。もしかしたら、彼女は直接観戦していなかったが、昨日の戦いによる影響で、俺の誤解が少しは溶けたのかもしれないな。


「全く、こんな愚鈍野郎を朝一から見ることになるとは。正直、勘弁して欲しいですね」


 ……と、思いたい俺であった。


「メアリスさん相変わらず辛辣だなぁ。……と、レイラも顔を洗いに行くんだろう?是非一緒にどうかな」

「うん、そうだね」

「ちょ、ちょぉっレイラ様!?正気ですかこんな男と一緒に……おきゃ、おきゃおを……」

「うん?何言ってるの?」


 メアリスさんの噛み噛みな言葉に、レイラは首を傾げて心底疑問そうに反応する。

 どうやらレイラも今起きたばかりであったようで、俺と目的は同じだった。

 まあ俺が起きるぐらいだから現在の時刻は、遅い訳では無いがそう早い訳でもない。

 彼女はいつもはとても早起きなのだが、今日に限ってはこの時刻に起床したという事に少し驚きを持ったのだが……どうやら、実家という安心感から来たものであるようだ。

 少し俯き照れながら、教えてくれた。


「……それにしても、昨日はほんとにお疲れ様」


 てくてくと洗面所まで歩いていると、唐突にレイラがそう労ってきた。

 ちなみに完全な余談だが、レイラは寝起きのすっぴん姿を俺に見せても特に問題ないらしい。

 ここら辺が一般女性との感性の違いであろう。さすがの俺でも、普通ならそれは顔を顰める程度には拒否したい出来事であることは知ってるぞ。

 いやまぁさ。化粧してなくても、見惚れるほどに美人だからって理由が1番なんだろうけどね?


「……そうだな、本当に疲れたよ。この時間に起きたのだって、寝る時間が遅かったってのもあると思うけど、一番はレイバンさんとの戦いで疲労した身体を回復させるためだと思うし」


 昨日、と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、イーグリア騎士団騎士団長であるレイバンさんとの勝負についてだ。そして、レイラが労ってくれているのは恐らくこれに関してだろう。

 レイバンさんが俺に突きつけられた拳を見て、降参した後は俺はかなりきつい状態となった。

 腕は痺れて使いにくいし、体力も残り少なかったのでかなり厳しい状態であったのだ。

 まあ、幸いなことに肉体には怪我は一つも存在していなかったので、治療のため寝たきりなどと言うことは無く、その後もそのまま普通に過ごすことはできたが。

 具体的に言うと、イーグリア侯爵と炎帝学院入学についての話をしたり、あとはイーグリア侯爵以外のレイラの親族に会ったりもした。

 さらには有言実行タイプなのか、何故か俺とレイラを祝うという名目で立食パーティーなんかも行われた。

 参加者はもちろんイーグリア侯爵達以外ではメイドや執事、イーグリア騎士団騎士たちである。

 いや主の暴走を止めようよ。いくらなんでも、平民1人のためにパーティを開くのはやりすぎでしょうに。

 さらには、『レイラお嬢様をよろしくお願いします!』などと色んな人に泣きながら迫られたので、俺は対応に困ることとなったし。

 ……色々な意味で、意味がわからなかった。

 しかし、ゆっくりとイーグリア侯爵と話ができたのは個人的にも良い経験となったと思う。

 レイラの話だったり、俺の話だったり……あとは俺とレイバンさんとの試合の話もした。

「まさか、本当に勝つとはねぇ……お化けかい、君」と言われたのが頭に残っている。

 どうやら、イーグリア侯爵はどうやら俺が勝つとは全くもって思っていなかったようだ。いや、自分で言いだしたのにそれはどうなの?と思う俺は至極正常だろう。

 ……とまあ、しかし色々言ったが実際のところワイワイ騒いだり、色々な人と話したりするのは新鮮な体験で楽しかった。

 ついつい夜更かしをしてしまうぐらいには。

 そんなこんなでつい就寝時間が遅くなってしまい、しかし他人の屋敷であるということと、あの無駄にお高そうな部屋も相まって満足に睡眠も取れるはずがなく、起床時間も何時もとそこまで変わらないぐらいだったので、俺な眠気を抑えきれていなかったのだ。


「やっぱり広いな。……こういうのはできるだけ使いたくないんだけど、まあ洗面台はどれもこんなものだし、我慢するしかないか」


 共用洗面台に着いたは良いが、しかし結局のところ個室に設置されていた洗面台と大して変わらない……いや、むしろそれ以上の高級感が漂っていた。

 どうやら悪手であったようだが……俺はもう諦めることにした。まぁ、レイラやメアリスさんもいることだし、少しは乱れる心も紛らわせることができるというものであろう。

 あまりの高級感から、あまり進んでは使いたくはないという……とても贅沢な悩みだが。

 しかしそう考えていると、何故か無性にいつも泊まっている宿の洗面台が恋しくなったのであった。

 あの素朴で、質素で……普通な感じが良いんだよねぇ。


「がぼがぼがぼ、ばしゃばしゃばしゃ」

「カノン・シュトラバイン!あなたもう少し静かに出来ませんの!?というかなんですかその擬音は。まるで無様に溺れているようにしか聞こえないのですが」

「……癖なんですよ。というか、なんか今日かなりむしゃくしゃしてますね」


 そうして冷水で洗顔して、眠気を吹き飛ばす。

 およそ十分もすれば、この場でやることは無くなったので……そのまま彼女らと共に食堂まで向かう事とした。その際に、レイラは最低限の化粧だけ済ましていたのだが……まあそれに関しては、言うまでもないか。

 というか不思議である。なぜ俺と同じ行動時間で、倍の行動を執行することが出来るのだろうこのは。


「……やあおはよう。よく眠れたかな?」


 食堂に入ると……丁度食事をとっていたイーグリア侯爵がニコニコと笑顔で、そんなことを話してきた。

 まず視界に映ったのは中心にある、熟練の職人に作られたであろう高貴な巨大なテーブルである。

 食堂の隅にはメイドや執事などが数人控えていた。これは有事の際を警戒してのものだろう。


「あぁ……はい、おはようございます。イーグリア侯爵と……ヴィーナ様」


 チラリと視線を向けると。イーグリア侯爵の隣に、どこかレイラの面影のある外見年齢は二十歳ほどの美しい女性がいたるのを俺は発見した。

 上品に食事を摂るその美しい作法は、素人目の俺から見ても圧巻の一言に尽きる。すると彼女はナイフとフォークを丁寧に放し、ナプキンで口元を撫でながら微笑みを作った。


「あら、おはようございますカノンさん。うふふふ……そんなところにずっと立っていないで、早く座ったらどうですの?」


 笑みを浮かべて、そう勧めてくるヴィーナ様。

 もう何となくわかっているとは思うけど、この貴婦人はレイラのお母さんで、イーグリア侯爵の妻のヴィーナ・イーグリア様だ。

 なんというか……有無を言わせない謎の威圧感があって少し怖いのが特徴。

 しかしそれを補ってなおとても美しい。レイラやイーグリア侯爵と似た金髪色をロングヘアに持っている。どうもその金のロングヘアが揺れる姿が振り子みたいで、目で追ってしまう俺であった。


「あ、はい……そうですね」


 お恥ずかしい話、美人にはめっぽう弱いのである。

 

「おはよう、お母さんお父さん」

「うん、おはよう」

「おはよう。……レイラも、お座りなさいな」


 レイラは両親と挨拶を交わしながら、席に着いた。

 その隣には俺が……。なんだか家族団欒の時間を邪魔しているような気がするけど、まぁ気にしないことにしよう。

 内心で「うますぎでしょコレ」と考えながら、そうしていつの間にか差し出された朝食に俺が手をつけていると。


「ふふふ、カノンくんは見ていてとても面白いね」

「むぐぅ!?──けほっ、どういうことですか?」


 おっと。この人はいったい何を言い出すのか。


「さっき私がよく眠れたかどうかを尋ねたとき、君の視線の向け方や間のとり方に明らかな不自然さを感じたよ。……別に素直に言ってくれれば良いのに。あんな部屋じゃ到底満足に眠れませんでした、ってさぁ」

「ぐぬ……お恥ずかしい話です」


 最近こんなこと多いなぁ。……どうやら、そろそろ本気でポーカーフェイスを鍛えなければ、俺はこれからやっていけなくなるのかもしれない。

 会話を交わす度に、いちいち心情を見抜かれては、かなり厳しいものがある。

 と。イーグリア侯爵にそう指摘された俺は、言葉を濁すことしか出来なかった。しかし、彼の言うことには無理があるだろう。ただの平民の俺が、大貴族からの好意に物申すことなどできるはずがないのだから。


「あなた。そこまでにしたらどうですの?カノンさんもかなり困った様子でいらっしゃるわ」

「ははは、そうだね。からかいが過ぎたよ、ごめんごめん」


 思わぬところからの助け舟もあり、イーグリア侯爵はヘラついた笑みを浮かべて謝罪した。

 ナイスです、ヴィーナ様。


「でも確かに主人の言うことには一理ありますわ。カノンは少々分かりやすすぎます」

「そ、そんな事言われても……。どうやって鍛えれば良いかとか分かりませんし……」

「はぁ。カノンさんは強さ以外はからきしですのね」

「すいません……」


 するも何故かヴィーナ様に呆れられてしまった。

 そして俺が心のこもってない謝罪をしながら、どう反応して良いかわからずに黙々と手を動かしていると、ヴィーナ様は「そうですね」とナイフもフォークを傍らにおいて、その小さな口を開いた。


「でしたら明日あたりに、わたくし自ら教鞭を取ってあげましょう。どうせ暇ですよね?」


 今日はこの後の予定は埋まっているが、確かに明日は特にすることも無く暇である。

 ヴィーナ様が直々に教えてくれるというのは少々以外であったが。色々仕事もあるだろうしさ。

 ただ文句を言うつもりはサラサラない。彼女ならば侯爵家夫人としてとても高い教養を受けているだろうし、そんな方の教えを受けれるというのは名誉なことだろう。


「あ……じゃあ、お願いしても大丈夫でしょうか」

「はい、分かりました。ただし、かなり厳しく対応するので、覚悟しておいて下さい」


 それがどれほどかは上手く予想が出来ないけれど、あの2年間を乗り越えた俺ならば、1日ぐらいはどうってことないだろう。

 のほほんとそんな楽観的な考えを浮かべていた俺から視線を外し、ヴィーナ様は視線を隣で無表情で食事を取っているレイラに向けた。


「レイラ、あなたも参加しますか?親子の交流は、大事でしょうし」


 レイラは少し考え込んで、言葉を紡いだ。


「うん。カノンが参加するならそうしようかな」


 なかなか嬉しいことを言ってくれるパートナーである。まぁ、教養内容自体はレイラにはあまり関係ないものであろうが。

 しかし昨晩のパーティでも俺はレイラとヴァーナ様が2人で話すのをあまり目撃しなかった。ヴィーナ様も言っていたが、明日のコレは良い機会になるのかもしれないな。


「じゃあ、決まりだね」


 イーグリア侯爵の言葉が、妙に俺の頭の中を反復した。


「ぐぬぬぬぬ……悔しいですね。まさかレイラ様だけでは飽き足らず、その母君であるヴィーナ様という女神まで攻略しようというのですか。……そろそろ、本気で殺しにかからないと、いけないのかもしれませんねぇ……っ!!」


 メアリスさんは本当に何を言っているのだろうか。

 もうここまで来ると病気かと疑いたくなってしまう。というか俺の教養がどうこう以前に、彼女にこそ必要なのではないだろうか。

「はぁ……」とため息をつきながら、どうしてもそう思わずには居られない俺だった。

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