冒頭集・極
瀬海(せうみ)
炎の獅子と大聖堂≪カテドラル≫
「正面より増援、おそらく後方に術隊」
丸く切り取られた視界に、幾筋もの閃光が飛び交う。「……だが少ないな。注意しろ、別動隊が右舷から回り込む魂胆だろう」
堅牢な塁砦は敵を迎え撃つことには向いていたが、如何せん、奇襲を想定に入れた造りにはなっていなかった。仮に背後や横腹を突かれた場合、総崩れになる可能性も充分に考えられる。いくら防壁そのものが堅固であろうと、内部に侵入されてしまっては意味を為さない。
無論、そちらの防御にもそれなりの人員を割いてはいた。しかし、仮に正面の部隊が陽動で、主力を奇襲に回しているのだとしたら? 数でも力でも今のところこちらが上回ってはいるが、万が一ということも考えられる。……厄介だな。
男は双眼鏡を外すと、傍らの部下に指示を出す。
「壁術持ちを幾らか戻せ! 杞憂かも知れんが、ここで余計な被害を出すわけにはいかん。……くそ、長丁場になりそうだ」
「伝達します。ところで、部隊長」
「なんだ」
「リコはどうしますか。一応、陣内で待機を申し付けられているようですが」
「……ナスタチウムか」
短く刈り込んだ髪の下で、部隊長と呼ばれた男――フレッグ・ヒューストンは眉根を寄せ、鼻筋の通った精悍な顔立ちにあからさまな渋面を浮かべる。
確かに彼女を出陣させれば、それなりの戦略的効果を見込めることは間違いない。余計な戦術など用いず相手を鎮圧することも可能だろう。だが、難しいのだ。……扱いが。とりあえず敵陣に放り込んでみて、充分な成果を期待するようなタイプでは少なくとも、なかった。
「あいつは奥の手だ。無駄に出して消耗させることはない」
こちらの部隊を消耗させることはない――言外に込められたそんな含意に、部下も思わず苦笑を浮かべる。……フレッグに睨まれ、慌てて伝令に走ったが。
彼は眼下に視線を注ぐ。決して戦況が悪いというわけではない。
ただ、このまま主力を分散させて戦い続けていては、結局消耗は避けられない。かと言って正面の戦闘に集中すれば、隙を突かれる可能性もある。要するにフレッグは守りに入っているのだったが、こうした堅実な性格が彼を今の地位まで押し上げたのも事実ではあった。
どうする。どうするべきか。
いや、是非もない。この戦力差であれば、時間が掛かってもいずれは――。
「——なんだ、戦闘始まってたのか」
背後から聞こえてきた声に、フレッグはぎょっとして振り向く。
見ると、慌てて制止しようとする兵士を押しのけて気だるげな女性が一人、砦の外に出てくるところだった。目つきが悪く、すらりとした抜き身の剣のような出で立ちに剣呑な雰囲気をまとっている。顔立ちは整っているが容姿には頓着がないらしく、髪は肩口あたりでバラバラに切り揃えられていた。
そして何より、上官に対する不遜な態度。
「戦うならあたしを出せって何度も言ってるだろ。ちまちました采配で余計な時間かけるくらいならさ。……出るぞ」
一同には目もくれずに脇を通り過ぎ、軽い身のこなしで城壁の上に飛び移る。
焦ったのはフレッグだ。ここで勝手な行動を取られたのでは、また一から戦略を練り直さなければならない。……だからこそ待機を命じていたというのに!
「待て、ナスタチウム! 作戦に従え! これ以上目に余るようなら、今度こそ軍法会議ものだぞ。ただでさえお前は上層部から――」
「知るか」
言うが早いか、トン、と跳躍する。
垂直距離にして約三十メートル。頭を抱えるフレッグを尻目に、そのまま戦場目掛けて降下する。普通に落ちれば受け身がどうこうという高さではない。しかし、加速度による空気抵抗が一定の値を取らんとした瞬間――体が、燃える。
正確に言えば周囲の外気が。まるで炎の鎧を纏っているかのようなその威容は、徐々に火勢を増して流星とも火の鳥ともつかない姿へと変わる。……敵兵の一部が彼女に気付いたが、だからと言って対処できるわけではなかった。
自分目掛けて放たれる術式を文字通り焼き尽くしながら、不可避の災害が如く木々や岩石、辺り一帯の遮蔽物を薙ぎ倒して臨場する。狼狽える気配を隠せなかったのは敵側、「またかよ」と呆れの混じった視線を向けたのは味方側の人影だ。だがどのような形であれ、一瞬にして戦火の中心が移り変わったことは誰の目にも明らかだった。
「さて」
彼女はゆっくり立ち上がると、同心円状に開けた視界を一望する。良かれ悪かれ、自分が注目の的となっていることは意にも介さず。
畏怖、動揺。知ったことではない。
着地の衝撃に燻っていた炎が、彼女を中心に再び燃え上がる。
「――暴れるか」
リコ・ナスタチウム。
またの名を、≪炎獅子≫のリコ。
炎の獅子と大聖堂≪カテドラル≫
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