アゾットの剣


 スイスはアインジーデルンに位置するベネディクト修道院は、年ごとに敬虔なカトリック教徒の姿で溢れ返るのだが、それと言うのもこの村が、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目的地とする巡礼路――いわゆる、聖ヤコブの道――の中継地として機能しているためである。

 このバロック様式からなる修道院の天井には荘厳なフレスコ画が描かれており、聖堂内部に施された絢爛な彫刻を眼下に守護天使たちが謳い、踊る。入り口付近の祭壇では聖マリアが幼いキリストを抱き、控えめながらも慈愛に満ちた様子で静かに佇んでいる――然してこの建築物は、一介の山村であるアインジーデルンを宗教色豊かに彩る要因の一つとなり仰せているのだった。しかしながら、ヴィルヘルム・フォン・ホーエンハイムがこの地へ落ち着いた理由を挙げるならば、それは信仰心と言うより単に恋情であると言うべきであり、放浪には常について回るあの頼りない心持ち、つまりは行く先も知れぬ暗澹とした孤独に対し、彼が遂には音を上げたからと言うべきだろう。

 ホーエンハイムはその名によって自らの祖先が貴族であることを暗に示していたものの、当の本人はフランドル地方を回って診療を続けていた医師であり、放浪の終着点としてスイスが選ばれたのは、単なる偶然と言う他にはない。彼の地で教会隷民の診察をしていたところ、その中で一人の娘と恋に落ちたのだった――ある意味では身分違いの恋と言えなくもなかったが、ホーエンハイム本人には一族がかつてやんごとなき家柄であったという自覚がなかったので、これと言う障害もないままに二人は結ばれた。ここでの一連の顛末は、別段特筆には値しない。むしろ問題となり得るのは、結婚後も妻の病状が改善しなかったことと、それでも二人が子供を一人もうけたことである。

 テオフラストゥスと名付けられたこの一人息子――ホーエンハイムがかねて尊敬していた、鉱物学者の名を貰ったのだった――は、母親の病弱な体質を極端に受け継ぎはしていたが、成長するとやがてアインジーデルンを離れ、父が教師の任に着いていたフッガー家創立の鉱山学校で学び始める。そこで彼は鉱物学の実験にうち込んだり、冶金学の理論を修めたりするばかりでなく、当時高名であったシュポンハイムの修道院長トリテミウスから魔術の理論をも教わり、占星術や錬金術の分野でも才覚を現し始めた。或いは自らの虚弱体質を知識で穴埋めするため貪欲に学問を身に付けているのかも知れなかったが、そこには病弱な性質を補って余りあるほどの天才があったと言えるだろう。何せ同年代の者たちの中に、テオフラストゥスに並ぶほどの知識の持ち主は、ただの一人もいなかったのである。故に成長するにつれ、彼が神をも恐れぬ傲慢さを身に付けていったとしても、それは血統と財産のみを自らの支援者とする、あの貴族的な尊大さとは種類を別にして考えられなければならない。彼は成人を待たず、既に医者として一方ならぬ技能を持ち合わせていたのであり、自らの後ろ盾を他ならぬ自分自身としていたのだった。

 様々な学問を修めて鉱山学校を出た後、テオフラストゥスは父親に倣って西欧を放浪しつつ、十七に差し掛かる年の頃にはバーゼル大学で医学を学び始める。しかしそこでの学問には得るところがなく、大学は彼をして手酷く失望せしめたのだった。彼が目にしたのは、地位や財産を築き上げるためだけに学究へ勤しむ、学問的には実入りのない利己的な態度と、旧態依然とした理論の収穫にありつくばかりで、開墾の度胸を毫も持ち合わせぬ小心者たちだったのである。

 失意の中で大学を卒業したテオフラストゥスは、一度は父の元に戻って化学を研究し始めたが、やがて再びヨーロッパ各地を巡り始めることになる。実地経験に勝るものなしとの考えからであり、その間、貧しい農村での診療から軍医としての治療にまで幅広く携わり、様々な症例に触れてきたとされる。そこでの経験が以降の治療に還元されたという推察は、恐らくそれほど的外れではないだろう――即ち、が恩恵に与ったあの魔術的なまでの医療の数々は、斯くのような背景から抽出され、編み出された技術であったと見て間違いない。

 以上が彼について私の知り及ぶ全てであり、親愛なる友人にして不遜なる錬金術師、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムの来歴である。

 しかしこれだけのことを語ったところで、彼という人間の全容を捉えられてはいないのだろう。事実、私たちが目にした奇蹟の数々は、今試みたような真実の表皮を撫でるが如き説明では、余りにも納得しきれない箇所が多々あるのである。彼は人間主義的な医者であり、優れた鉱物学者であり、また極めて怪奇な魔術師であった――私は未だ、彼の本質には指一本触れられてはいない。それを仔細漏らさず語るために、幾度も繰り返した無益な試み、つまり水銀のような記憶を把握せんとするあの試みを、死者への餞と今一度始めることにしよう。

 時は一五二四年、あのザルツブルクへと。

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冒頭集・極 瀬海(せうみ) @Eugene

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