蛙の倒錯
住宅街の中で、蛙と遭った。
「あ」
思わず立ち止まり、声を漏らす。
大通りとはつかず離れずの場所に位置しており、全体的に清潔感は覚えるものの、少し錆びかけた標識や罅の入った民家のブロック塀など、端々に生活感も色濃い地域。登校時の最短ルートとして抜けていくのが常なのだが、そうでなければ、これと言った用向きでもない限り入っていく理由のない区画。
その道の途中にどこかほっそりとした印象の、自分の中の「蛙」というイメージをそのまま体現したような蛙が一匹、じっと留まっていたのだった。声を出したのはそんな折だ。どうしてこんなところに? 最初はそう考える。この近辺に水田などはなかったはずだから、迷い込んできたとするには腑に落ちない。ペットとして飼われていたものが逃げ出したのだろうか? 何にせよ、奇妙な邂逅には違いなかった。夕暮れ時、畦道を歩いていて出くわすのならともかく、朝、アスファルトの上で遭遇するというシチュエーションは、どこか非現実じみている。
この時間帯にしては不可思議なことに辺りには人気がなく、立ち止まっている自分を見咎める者がいなかったというのも非日常感を覚えた原因の一つだろう。しかし何より心を奪ったのは、飴細工を思わせるほどに美しく滑らかな体表の、朝日を反射してのっぺりと輝く、艶めかしいまでの深碧色だった。
寒天で暗さを包み込んだような。
一突きすれば、膜を突き破って中の緑が溢れ出しそうな。
蛙は白い喉を膨らませたり萎ませたりしながらその場に留まっていたが、やがて前触れもなく跳び上がると、朝日の降る歩道の上から電信柱の陰へと消える。なぜか慌てて裏側に回り込んでみると、そこにはもう、彼の姿は見受けられなかった。
何だったのだろう。
狐につままれた心持ちでしばしその場に佇んでいた。ただ不意に、そんな自分は傍から見れば妙な学生に映るかも知れない、ということに思い至る。気を取り直す――何をしているのだろう、こんなところで時間を無駄にしているなんて。誰にではないが言い訳するように苦笑を浮かべると、そのまま元の登校風景に紛れ込む。足を動かし始める。
言ってしまえば蛙に関してはその程度のもので、住宅街を抜け、大通りを経由し、学校に辿り着く頃には、すっかり朝の出来事は忘れてしまっていた。
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