"わたし"と高田の兄ちゃんの話。
こちらの作品、ふたりの年齢について具体的な言及がないのですよ。ただ、"わたし"の「戦後って昭和だっけ」というふと頭を過ぎった疑問や、「友達より遠くて、クラスメイトよりは近い」高田の兄ちゃんとの関係性を「不思議」と形容する感性などから、ふたりの年齢だとか人となりが窺い知ろうとするまでもなく、すっと伝わるようになっている。
こういうただ綺麗なばかりではない、説明じみているわけでもない、言葉選びやちょっとした仕草から登場人物の年齢や人柄を伝えるって甚だすごいな──と私は思っていて。たとえば、高田の兄ちゃんが"わたし"に二百円を渡すシーンがあるのだけれど、コレ多分小銭を直に入れているのですよ。ポケットに。「ポケットに小銭を直入れしてる兄ちゃん」という情報だけで、私たちって「あーはいはい」と思い浮かべる人物像ってあるじゃないですか。
情景が、浮かぶ──とは、まさにこれなのだと。
「わからんよ。女の世界は怖いけね」
「……そうか」
件のシーンに至っては、もはや三点リーダーという"支援"さえなくとも「この『そうか』を発するまでには間があったのだろうなぁ」とか「今、高田の兄ちゃんはこんな顔をしているのだろうなぁ」みたいなのが、見えて。
改めて描写と説明は全くの別物だよなぁ──と思い知った次第。
余談。私やぐらは上ったことないし、ラムネも一二回くらいしか飲んだ憶えがないくせ、こういった作品を読むと何故かノスタルジーに駆られるわけですが。というか、大半の方そうだと思うのですよ。そこまで"よく出来た思い出"もないのにちょっと雰囲気あるお店見たら「懐かしいねぇー」とか云うじゃないですか。とはいえ、じゃあその言葉に嘘偽りはあるかと問われたら別段そういうわけでもなく──。
あのこみ上げるような感覚は、一体何なのでしょうね。
小さな田舎町の夏の様子の一コマ。
そんなイメージで読み始めたのですが、物語に描かれる中には時間の経過と共に変化していくいろんなものが入っていました。
毎年同じように祭りはあるけれど、毎年少しづつ街は変化していて、同じように自分と憧れのお兄ちゃんとの関係性も変化してくる。
そこで題名に戻ると、成る程、見えてくるものが広がるように思います。
変わるものと変わらない物をサラリと入れ込んで爽やかな風が吹くような感じでした。
そして色んな音が聞こえてくる感じ。
描写力はやはり上手いなぁ……
音と光と匂いと蒸せ返る暑さとが同時に感じられながらも、どこか爽やかなのです。
この世界観を2000文字ちょっとで描かれているのに少し驚きました。