「失礼するよ」


 言動と行動が表裏一体状態のミムは、引き留める俺を押しのけて家の中へと押し入った。そもそも、触れやしないミムに力技は通用しない、ゆえにほぼ無理やり、有無を言わさずに玄関扉をすり抜けていった影を追って俺も中へと入る形となった。

 無論、中にいるアイツはぶったまげて。


「あー、しょーくんおかえり―――ってどなたですかぁッ!?」


 姉貴があんぐり口空けるさまが目に浮かぶ。

 逆にいえば、脳裏に浮かんでいる程度の話であって。眼前に広がっているのは、ミムと姉貴の不可解な邂逅みたいな、想像するだけで恐ろしいシチュエーションのように思えるが。

 でも、この瞬間をよくよく考えれば、おかしな話なわけだ。

 なんせ、ミムはもう、イナミの姿を解いている。つまりは、俺とミムのプライバシーとやらの時間のはずで、ミムの声が飛んでくる空間にはただの存在感が漂っているだけ。俺の妄想力を持ったとしても、ミムの姿は浮かんで来やしない。

 じゃあ、なんで姉貴には、ミムの存在が確認できるのか。

 俺の肩がかっくりと落ち、吐息を右手で覆い隠すと同時に、ミムから冷たい解答が暴き出される。すとん、と何かがピースが綺麗に当てはまったみたいに「なるほどね」と吐いたのちに。


「君の姉、朱莉は、幽霊だったというわけか」


 もはやそこに姉貴の姿は浮かんでこない。俺しかいないはずの空間は、七年前に姉貴と再会したときのような、真っ暗で、かつ何かがそこに佇んでいるような、デジャブを想起させる。

 つい最近も感じた、ミムと出会った瞬間に迸った、透明な冷気。

 その冷気はゆっくりと俺の方へと近づいてくる。


「えっとぉ。翔くん、これどういう状況?」


「その答えは僕が示そう、辻山朱莉」


「……ぇええ。わ、私、けっこー人見知りなのに」


「僕は人じゃないから、問題ない」


 いや、そういう問題でもないだろ。

 ふっと、息が漏れたのは笑ってしまったからなのかもしれない。

 でもたぶん、こういう場面は笑っちゃいけないんだろう。だって、俺の掌を握るような温もりを感じさせる冷徹な化け物の瞳は、すっかり冴え切っているわけだから。アリバイやトリックをすべて看破した探偵の、事件に終止符を打ちつける際の、贖罪を迫る姿に俺は、ただ空いた口を乾かすことしかできなかった。


「翔は、誰かに強く呪われている。僕はその理由が知りたくて、彼と見知った仲になったミムというものだ」


「あー、こないだ翔くんがいってたおともだちのこと? 初めまして、朱莉っていいますよろしくね?」


「……翔の姉は、実にマイペースなようだね。ここまできてこの白々しさは、逆に恐ろしいよ」


「え、あれなんか怒られてる私? あー、やっぱり初対面の人は苦手だよぉ……」


 もしかして、じゃなくて、ミムと姉貴の愛称は最悪だ。どこまでもかみ合っていない二人にしばらく話が右往左往するが、結局ミムは言いきる形になった。


「翔を強く呪う犯人は、つまりは―――


 ああ、やっぱりバレた。

 茫然とする姉貴、思考についていこうとしない脳内。なにかを釈明しようとする論理的な解決手段に逃げることも出来ず、ただ気力のない俺の目は虚ろで、すべてを暴き出すミムの口を止めるような手段はどこにもない。

 辻山朱莉は七年前に、海難事故で帰らぬ人になった。

 若者がよくダイブする小さな海辺の崖での話だ。姉貴の友達と一緒に遊びに連れてこられた俺は、その一部始終をぜんぶ覚えている。ほんと、まるっきり。

 よくサスペンスとかで、犯人が全部自白するシーンを思い出す。

 あれって、現実の犯人もたぶん無意識にやってしまうんじゃないだろうか。事件を回想すると、誰かに理解されてもらいたくて、ついつい口走ってしまうわけだ。


「姉貴は引きこもりだから、身体が弱くてさ。みんながやるようにダイブを友達にいわれたけど、力ないから無理って断って。それでも友達が急かすから、俺に助けを求めてきたんだ」


 助けてよ、翔くん。って感じで。

 でも、俺にはわかんなかった。姉貴がひ弱だってのは知ってたけど、どっか頼り甲斐があって、いつも姉貴の面影があるから、実は強いヤツなんじゃないかって。


「だから、大丈夫だろ、って言い返して、姉貴は崖から飛び降りてって」


 そんで、溺れて死んじゃった。

 あの日、姉貴が来ていた水着は、姉貴の姿が見えない今でもよく覚えている。

 どこまでも水平線と入道雲が隣り合うような幾十も縞模様のついたビキニ姿だ。

 あの時に吐いた無責任な言葉を、俺は死んでほしいくらいに呪った。

 姉貴の葬式後、全部が憂鬱だった。

 そんな時に、姉貴と同じような設定で、ちょっと容姿も似ているエロゲーキャラに出会って。そっからどっぷり二次元に浸かった。まるで、自分に飛んできた返り血を必死に洗濯するみたいに、毎日毎日、そこにあるはずのない日常に逃げて。

 ほんと、全部くだらなくなって。


「死のうと思った。そしたら、姉貴に出会った」


「正しくは、朱莉の霊だけれどもね。そうだろう、朱莉」


「え、あれ。そうだったっけ」


「……朱莉、君の行動は正しいが、自覚していないのかい。君は、弟の自殺を食い止めるために、この世界で生活しているフリをしているんだぞ」


「あ、そういえばそうだったかもぉ?」


 そういえば、俺が海辺にいったとき、いっつも姉貴と出会っている。

 無意識に自責の念に駆られて、俺が海辺へ出かけるとき。なぜか、俺に姉貴が死んでいることを忘れさせるかのように、いっつもコイツがやってくる。というか、つい最近まで姉貴が死んでいることも忘れていたのかもしれない。

 だけれども、剣崎唯は、いつも俺に心配してくる。

 姉貴が死んだ俺のことを思ってのことだろうが、辛い記憶を呼び起こす彼女の行動は、俺にとっては害だった。


「だから、意識的に彼女を避けていたわけだね」


 これで、全部納得がいった、そういわんばかりにミムは、大きく空を仰いだ。俺から見えるのは六畳半に一人分の影を照らし出す電灯と天井くらいだが、ミムにはもしかしたら星一杯の空が見えているのかもしれない。


「それで、このあとどうするわけ、ミム」


 全部暴き出された俺としては、もう何かしようとは思わない。この真実を知ったとしても、何かが変わるわけでもない。

 すべてはミムの好奇心のため。個人的なプライバシー。

 ただ、ミムはあっけらかんと言った。なんというか、個人の領域を踏みにじるような。


「朱莉は地縛霊化が進んでいる。記憶も曖昧だし、君と一緒に居たがるようになっている」


「……はい?」


「つまりは、翔。もう朱莉と別れるべきだ」


 どこまでも冷徹な眼だった。

 俺を救ってくれた、誰よりも親身になってくれて、そんで死んだあとも面倒を見てくれた姉貴。俺のせいで死んだ挙句に、俺から別れを切り出せと。


「朱莉が地縛霊になってしまえば、君との記憶も忘れて彷徨うだけの亡霊になる。そうなる前に、別れるべきだ」


 君たち姉弟の絆が残っているうちに。

 なんだよ、それ。

 もう脅しじゃねえかよ。ふざけんなよ。

 記憶がなくなるって、姉貴が、姉貴じゃなくなるって。

 でも、かといって姉貴と別れたら、もう二度と話とか、存在すらも感じられなくなるってことだぞ。

 そんなの、どっちも嫌だってんだ。

 俺はもう、助けを乞うしかなかった。

 姉は、ただ弟をいつものように優しく諭した。


「まぁ、大丈夫だよ、翔。翔なら、一人でも生きていける」


「もっとも、一人にさせる気はないけどもね」


 姉貴は笑い、ミムは頷いていた。

 一つの存在感が消えたあと、居間にはやっぱり俺しかいなかった。

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