7
「にしても、散々、剣崎唯にコンタクトをとることをためらった挙句、この作戦内容とは。翔の脳髄にはどうやら切っても切れないくらい非道という文字がこびりついているようだね」
「そんな作戦にホイホイついてきたのはどこの誰なんだよ、ったく」
「な、なんだい。その言い分だと、まるで僕も翔のように非道卑劣な女殺しの悪党の一派みたいじゃないか」
「いや、ミムうんぬん以前に、そのレッテル張り付けてもらうの止めてもらっていっスか」
場所は例によって廃神社。
ミムは常時、この廃神社を住処としているらしく、同時に百円夜行で連れ出すときは必ずここに立ち寄る必要がある。出張サービスはやっていないからといって、我が家まで迎えに来るようなマネは一度もしたことがないわけだが、どっちかっていうと必要以上に歩き回りたくないだけなのではと気付き始めたこの頃。
今日も今日とて、律義に縁側に百円玉を放置する。供えるというよりは、放置する方が語義的には正確だと思う。なんせ、ここ四週間分の百円玉が風に煽られ乱雑に散らばっているからだ。そういやこれ、いつ回収するんだろうな。
「にしても、傑作だね、この作戦は。君が振ったという少女―――剣崎唯に、わざわざイナミの姿を見せつけにいくだなんて。確かにストーカー的な呪いは断ち切れるかもしれないが、かえって反感を買って、恨みが強まるかもしれない」
ミムの嘲るような声に後ろを振り向くと、颯爽と砂風に巻かれながら現れるイナミの姿がそこにあった。
剣崎唯。
俺と同じく高校二年A組で、金髪ギャルをやってる中々のツワモノ。
見た目はなかなかにアグレッシブで、ギャルゲーなら姉貴ポジ間違いなしの強者感あふれる女子高校生で、人気も上々。彼氏を作ろうと思えば、ほんの数回教室を見渡すだけで事足りるのだろうが、唯はそうはしない。
なぜなら、クラスでも有名な話があるからだ。
唯には幼馴染がいて、未だにソイツのことを憧れているんだと。
つまりは、そう。
俺のがその唯の幼馴染というわけだった。
「苦悩の末の案とはいえ、本当に翔はひどいヤツだ。幼馴染をばっさり切り捨ててまで二次元に固執しようというのかい」
「ちょ、ちょっとここで俺の矜持を捻じ曲げようとしないでもらっていいスか!?」
「そもそも、よく考えれば、翔が剣崎唯とつきあえばすべては事足りるんじゃないだろうか? 剣崎は君のことを呪うこともなくなるだろうし、僕の直感がそう囁いているよ」
「あの、ほんと、ちょっとやめてもらっても……?」
え、まさかここにきて予想外の裏切り?
イナミの姿に化けたミムは相変わらず無表情に、なんとも言えない感情を乗せて俺の目をじとじと見つめてくる。黒くて丸い、ミムの視線は、ただひたすらに心が痛んでくるようで。
おかげで堪えきれずにミムが吹きだしたとき、俺の冷や汗が限界を通り越して涙に変わっているくらいだった。
「いやいや、ほんの発破をかけたに過ぎないよ。そもそも、翔がそこまで愉快すぎる矜持を持っていなければ、僕は君と出会うことはなかったのだろうからね」
君の世界で一番愚鈍な矜持に感謝をしているよ、猫の涙ほどね。
それをいうなら雀の涙だろうが、咽び始めていた俺の喉じゃあ訴えることもままならず。唯一俺にできることといえば、先陣を切って鳥居をくぐるミムの後姿を追いかけることくらいだった。
もはや、俺の隣にイナミが並んで歩く光景に何の違和感も感じない。
が、俺の生活が不動を確立している一方で季節はめくるめく変貌し、すっかり盛夏ムードの萎えた浜辺の人影といえば、休みの取り遅れた一般家庭の和やかなムードを微か残すばかりになっていた。夜ともなれば子供花火のパチパチ煌めく様子も目にかかることはなく、ただただ夜の海に幾何もの星屑が浮かんでいる。
当然、剣崎唯の住む浜辺近くの住宅街も、祭りの後のようにシンと静まり返っていた。
吹きすさぶ風は夏のものとは程遠く、さざなみの合間を縫う夜虫の合唱に、蝉のような騒々しさは片鱗も感じられない。
「もう秋になり始めてんのかね」
「……、君は幼馴染を虐めにいく最中で、よくまぁそんなことが宣えるもんだよ。オタクの図々しさもここまでくると罪だね」
ミムの浮かべる表情も、企業努力とやらで前よりも幾分か改善が見られている。
その後も他愛のない話に仄かな微笑を浮かべていたイナミだったが、すっと立ち止まった頃にはすっかりミムの表情に戻っていた。感情を殺したみたいな灰色の視線、噛みしめるように震える閉じた唇は意思疎通を断固拒否すると言わずもがなで表している。
「……ここからは僕は一切喋らないからな」
分かってるに決まってんだろ、一々おせっかいな奴だな。
ミムは百円夜行中、うっかりお客さんに話しかけることはあっても、赤の他人との意思疎通は許可されていない。許されるのは、ただ客の隣でじっと居座るという行為だけだ。
ミムに首肯を返し、そして視線を上へと向ける。一戸建ての、ちょっと潮風に煽られ錆の目立つ一戸建て。
……七年ぶりか。
そういえばここのインターフォンの音って、けっこう独特なんだよな。初めてこの家に足を運んだ時、ちゃんと呼び鈴が鳴ってるのかわかんなくて連投したもんだ。
息を飲む。
俺はインターフォンを押した。
……教会の鐘のような音が聞こえてくる。
『……はい』
機械から漏れてくる音声は案外そっけないものだった。
ちょっとばかり、どこかで黄色い声を上げる唯の姿を想像していた。いくら唯を振ったとはいえ、元々は幼馴染で小学生までは村一番の仲良しこよしの二人組で。いたって平坦な人生を送っていたのなら、俺は今ごろもきっと唯と共に日々を送っていたんだろう。
少し逡巡したのちに、俺は息をちょっと吐き洩らして、こういう。
「翔だ。話たいことがあるから、ちょっと表にきてくれないか」
『……わかった』
別に深いやりとりがあったわけでもない。
ただ、この瞬間にでも、俺の脳味噌は命を枯らさんとしてバクバクと警報を鳴らし続けていた。一歩間違えれば崖底に落ちてしまいそうな不安感に狩られながらも、数分間をしのぐ。
そして、玄関から姿を現す金髪の姿を確認した瞬間、全細胞が活性化したような錯覚に襲われた。
「……なに、話って」
剣崎唯は、少しばかり訝し気な表情を隠せておらず、猜疑と不安の直視に俺の眼に痛みが走る。反射的に視線をそらしてしまっていたが、逃げても前に進めない。
思い切って踏み込んだ俺の口からあふれ出た台詞はなかなかに強烈だった。
「いや、ちょっとな。あのとき、あんまりにも振り方が酷かったかなって思って、釈明しにきたんだよ」
「しゃ、釈明……?」
「実は彼女がいるんだ」
そのとき剣崎唯の表情と言ったら、もう。
だから、人間の感情を言葉に正確に翻訳することは不可能なんだと思う。
ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで、それでもどこか悟っているような雰囲気が、夜の蛍光灯の元で照らされ、暴き出される。焦燥だとか、怒りだとか、悲嘆だとか、安心だとか。
とにかく入り交ざっていた時に、俺が直感したのは『安心』だった。
しかし、現実はやっぱり酷だった。
剣崎唯は最終的に、俺のもっとも恐れていた感情を吐き出す。
イナミの、ミムの顔をしっかりと見据えたうえで、小さく息を吐くようなくらいの声で。
「……その人、翔君のお姉ちゃんに似てるね」
————……あ。
間に合わない。
唯が吐き出したのは―――『理解』
「朱莉さんも生きてた時、そんな恰好だったよね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます