黄昏の分岐路

隠井 迅

堰口草庵

 東京メトロ江戸川橋駅の1a出口を出てすぐの所には、広場が位置し、そこから道が二又に分かれている。左が神田川沿いの遊歩道、右の車道が目白坂で、この急坂を登り切った所には、山縣有朋の旧邸で、今ではホテルになっている椿山荘がある。この椿山荘が位置している高台が関口台である。

 思えば、国木田独歩は『武蔵野』の中で、その地理的範囲に関して、「武蔵野は先づ雑司谷から起つて」と言及している。雑司ヶ谷は目白台や関口台に隣接しているので、ここを武蔵野の東縁部とみなしても差し支えはあるまい。

 目白坂を登り切り、平坦になった道を進んで行くと、椿山荘の少し手前に小学校があり、この学校は曲がり道に面している。そこを左折し、真っすぐ進むと、車道は行き止まりになっているのだが、そこから、眼下の神田川を見渡せるようになっている。

 その関口台地の斜面には雑木林が密生していて、こんな思い掛けない所に、武蔵野を感じさせる自然が残っているものだな、と伊達明憲(だて・あきのり)は独り言ちた。

 伊達は、とある大学の付属高校に通う高校三年生である。伊達の高校では、エスカレーター方式で大学に進学できる代わりに、卒業論文の執筆が課されていた。伊達は、日本史マニアなのだが、同じ高校の日本史好きの同好の士たちが、戦国時代や幕末を主題に選ぶ中、伊達が選んだのは、<江戸の六上水>であった。その六上水の一つである神田上水にとって重要な地が、ちょうど、今いる高台の真下に、かつて存在していた関口大洗堰なのである。

 神田上水は、井之頭池を水源としているのだが、大洗堰で、流れてきた水は左右に分脈し、左側は水戸藩の江戸屋敷に流れ、右側は余水として江戸川と呼ばれるようになったという。

 その大洗堰は、長さ十間、幅七間という巨大な建造物で、この大洗堰では、流水が大きな滝となっていたらしい。しかし、今現在、その大洗堰の壮大さを見る事は叶わない。昭和十三年の江戸川改修の際に取り壊されてしまったからだ。そして、かつて堰があった跡には橋が架けられ、ここは大滝橋と名付けられた。その名称は、大洗堰の大滝のような流水の壮大さに由来しているそうだ。また、この付近の地名が「関口」と呼ばれているのは、大洗堰の「堰」から来ていて、このように、今は無き大洗堰は、名称として痕跡を留めているのだ。また、具体物としては、大洗堰の石柱の一部は、史跡として江戸川公園に保存されている。

 伊達は、来た道を引き返し、江戸川公園の入口まで戻って、今度は左の遊歩道を選んで、大洗堰の跡を観に行こうとした。もはや大洗堰全体を観る事ができないのは、伊達も重々承知しているのだが、かつて堰があった地を、夏休みに卒業論文を書き始める前に、どうしても訪れてみたかったのだ。

 しかし、である。

 回れ右をしようとした矢先、伊達は、関口の高台から神田川方面に続く斜面に、数本のつづら折りの小道や、浮き橋状の遊歩道があるのに気が付いた。

 つづら折りの圓道の中には、途中で枝派分かれしている道もあり、伊達は、戯れに、斜面の小道を下ったり上ったりを繰り返し、何度も出発点となった高台に行ったり戻ったりしながら、能う限り全ての道を辿ってみる事にした。そして最後に、高台の中央部に位置している浮橋を通って、関口台地の直下にある児童公園にまで降りてみることにした。

 その浮き橋の道の一つは、児童公園の青きすべり台に直結している。


 七月三十一日・十九時前――


 時は夕刻という事もあり、もはや児童公園には、一人の子供の姿もなく、伊達は、すべり台を独占する事ができた。すべり台の天辺から、かつて大洗堰が存在していた大滝橋の辺りを眺めながら、スマホで、この日の日の入りの時刻を調べてみると、文京区の日の入りの時刻は十八時四十六分であることが分かった。

 数分後だ。

 そこで、伊達は、この時刻ちょうどに、人目を気にせず、この青きすべり台を滑り下りてみる事にした。

 昼と夜との境界ちょうどに、伊達は、童心に返って両手を上げてすべり台を滑った。しかし、勢い余って、頭から地面に突っ込んでしまった。 

 伊達が意識を取り戻した時、既に陽は完全に落ちていた。周囲を見回してみても、光源は月光だけで、何故か、星がやたら鮮明に見えた。耳には、川の流音が届いてきて、神田川付近にいるのは確かなようだった。だが、暗闇の中、ゆっくりと川に近付いてゆくと、そこには、川の流れを分岐させている大きな建造物が存在していたのだ。

 伊達の足のサイズはちょうど二十五センチメートルなので、闇に慣れてきた目で、その建物の大きさを測ってみた。長さは約十八メートル、幅は十二・五メートル、かなり大きな建造物で、そして圧巻だったのは、上方から下方へと落下している大滝のような水の流れであった。

「これって、本に出てきている大洗堰そのまんまじゃない? でも、堰は、たしか、太平洋戦争前には取り壊されたって、文献に書いてあったはずだ。今でも江戸川公園には大洗堰の石柱があるらしいけれど、これ程までに、壮観な史跡なの? まさか、夢? それとも、夢の中で、資料から大洗堰を復元しちゃったのかな、僕。だけど、夢でも、大洗堰全体を観れたのならば、それは本望だよ」

 伊達は、しばらく大洗堰の大滝を眺めていたのだが、思い出したかのように、ボディーバッグから、タブレットを取り出して写真を撮ろうとした。だが、バッテリーが切れてしまっているのか、何度ボタンを押してもスイッチが入らない。さらに、スマホもバッテリー切れのようであった。端末を二台持ってきていたので、油断して、伊達は、モバイルバッテリーを持参していなかった。現代人にとって、端末の充電切れほど不安を増大させるものはない。それ故に、伊達は、もう家に帰りたくなってしまったのだが、駅の方向が分からない。何故か方向感覚がおかしくなっているのだ。

 その時、伊達の鼻先を一匹の螢が通り過ぎて行った。

 そういえば、毎夏、椿山荘では螢を放っているんだよな。たしか、『ノルウェイの森』にも描かれていたはずだ。伊達は、螢に導かれるかのように、神田川沿いの道を右に曲がっていった。

 十分程歩いた所で、螢に導かれし伊達は、一軒の木造の小屋に辿り着いた。小屋というよりも草庵と称した方がぴったりな建物であった。たしか、この辺は、細川家などの旧武家の下屋敷があった地区だし、さすがに渋い建物が残っているね、と伊達は感心した。

 螢の行方を目で追ってゆくと、小さな光は、その建物の中に吸い込まれたかのように消えていった。それと同時に、家屋の戸が開き、そこから、三十歳半ば位の、髭を蓄えた一人の男が姿を現した。

 なんか、粋なお人だ。

 男は、左手には帳面、もう一方の右手には、<矢立(やたて)>を握っていた。

 矢立とは、筆と墨壺が一体化された携帯用の筆記用具のことである。毛筆で物を書く事が日常的でなくなった現代では、なかなか見かける事がない代物だ。

 伊達は、江戸時代をテーマにした展覧会で、この筆記用具を見た事があり、男が矢立を自然に持っていたことが、彼を粋だと伊達に感じさせた理由なのだろう。

「すみません、一体ここは何処ですか?」

 思わず、伊達は、その粋人に尋ねてしまった。

「ここは、私が仮の住処としている庵で、私は『龍隠庵(りゅうげあん)』と呼んでいます。名の由来は、すぐそこにある大滝なのですよ」

「何故、その名を?」

「『滝』という字から、<氵>を取れば、そこに竜が現れるでしょう。つまり、滝には竜が隠れているからですよ」

「面白いですね。そんな発想はありませんでした」

「ところで、あなた、奇怪な格好をしていますね。<何時>から迷い込んできたのですか?」

「へっ?」

「今は、延宝八年です。あなたが居た元号は何と言うのですか?」

「今年は、令和元年ですけれど……」

「『れいわ』? どういう字ですか?」

 伊達は、粋人から筆と帳面を受け取ると、不慣れながらも、筆で「令和」と書いてみた。

「ほう、『万葉集』の梅花の歌から採ったようですね」

 即答した粋人の歌の知識は相当なもののようだ。

「あなたは、何をなさっている方なのですか?」

「役人です。そこの神田上水の改修工事に携わっていて、人足の帳簿などをつけています。その傍ら、俳諧などもたしなんでいるのですよ」

「道理で、歌への造詣が深いわけですね」

「さて、この前迷い込んで来た『やまがた』とかいう武人は、<明治>という時から来たと申しておりました」

「はあ……」

「それでは問いましょう。あなたは、その<令和>で何か為すべきことがあるのですか?」

 なすべきこと? いったいどういった意図の問いなんだ。まあ、卒業論文を書かなきゃ、大学に進学できないしな。

「はい、やるべき事はあります」

「よろしい。それでは、元の時代に送り返してあげましょう」

 その粋人が右腕を差し出すと、上に向けた掌の人差し指の先に螢の光が灯った。

「これに案内させましょう。この螢に付いて、そこの急坂を登ってゆけば、元に戻れますよ」

 伊達は、登る際には、膝に胸を突けなければならない程の激坂を息を切らしながら登っていった。坂を上がり切ってから、螢の後を追って、坂の奥の細道を辿ってゆくと、螢光は消え去り、同時に、一瞬、伊達の視界がぶれた。

 数瞬後、視界が明瞭さを取り戻すと、目の前には車道があり、左に右にと、次々と車が通り過ぎて行き、信号の上には「目白台三丁目」という掲示板が見えた。

 自分の位置を確かめようと、無意識にボディーバックから右手でスマホを取り出して、地図アプリを起ち上げてみると、目前を走る道は目白通りで、右に曲がれば、十分程で江戸川橋駅に到着できる事が分かった。

 ちょっと待てよ。つい無意識にスマホを手に取ったけれど、さっきまで、僕の端末のスイッチ入らなかったよね?

 そして左手を見ると、件の粋人から手渡された帳面があった。その帳面には、筆で書かれた「令和」という自分の文字が認められた。頁を捲り戻してみると、そこには、先ほどの粋人が書いたと思しき俳句が崩し字で書かれていた。

 伊達は、来年から入学予定の大学が提供している、<お試しオンデマンド講義>で、『くずし字解読』の講義を受講していたので、どうにかこうにか、書かれていた文字を読むことができた。


 ふるいけや かはずとびこむ みずのおと


 えっ!

 伊達は、振り返って、先ほど登ってきた階段坂を見た。それから、身体を反転させ、坂を全力で駆け降りて行った。

 しかし、坂の麓には、つい先ほど存在していたはずの庵はどこにも見当たらず、そこに設置されていた史跡の説明板には、「関口芭蕉庵」と書かれていたのだった。

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黄昏の分岐路 隠井 迅 @kraijean

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