大都市東京の一部を成す武蔵野、そこにはその時代その時代の人々が関わっています。 そんな人たちの営みが、幾つもの層となって、武蔵野の大地に染み込んでいるのです。 労力をかけて築き上げたものも、その一部です。 しかし、その多くが失われています。見たくても見れません。 ここには、それを見たいという夢が詰まっているのです。 時間に乗って人・土地・文化も流れていくのだと思わせてくれました。 人々の、人々が成してきた歴史に想いを馳せる作品でした。
日本史を専攻する大学四年生の伊達明人。江戸の六上水を卒論のテーマに選び、武蔵野台地の東縁にたたずむ。関口大洗堰――それは神田上水を分水していた巨大な建造物。ひょんなきっかけで、伊達はその大洗堰を目の当たりにする。――堰は、たしか太平洋戦争前には取り壊されたって……そんな不思議な世界で、伊達が出会った人物とは?その人の言葉が、不思議な世界と現実とを結び付ける。椿山荘の周辺を散歩してみたくなるような、歴史のロマンに溢れる作品だった。
大学生の僕が散策中にまさかのタイムスリップ! 現代にはあるはずもない物を目にし、そして信じ難い人物との出会いを果たします。当たり前の話ですが…我々は日本人であり、先人の努力と歴史があったからこそ現代を平和に生きていられるのだな…と改めて考えさせられました。こんな現代ですいません。お目汚しでなければいいのですが。偉大な先輩に謝りたくなってしまうのは、精進の足りない自覚があるからでしょうか。歴史という物の重みを感じてみたい貴方へ、おススメです!