第5話 優しい毒
とある7月の日曜日にて
「ちょっと~、女の子を呼ぶには、汚くない?」
「片づけする余裕がなくてさ」
僕の部屋を見るや否や、円はそういった。
山積みにされた教科書が載った机。
パジャマが散らかったままのフローリング。
ベッドには、億劫で起動するのを止めた携帯ゲーム機が転がっている。
普段はもう少し片付いているのだが、気苦労が増えたせいか、部屋の中は雑然としていた。
物煩いの多い僕の心が、そのまま映し出されたかのように。
今日は他でもない。
彼女に、別れ話をするために招いた。
警戒される可能性を考慮し、それを匂わせはしていない。
しかし察していたのか、落ち着かない様子で辺りを見渡している。
「あのさ、円」
「ん?」
告げようとすると、クーラーを寒いくらいに利かせた室内だというのに、手には汗が滲む。
緊張しているのか、自分自身の荒い息遣いがはっきりと聞こえ、瞬き一つできずに、彼女を眺めることしかできなかった。
言わないと、言わないと……。
義務感が煽ってくる。
けれども いざ言おうとすると言葉を引っ込めてしまう自分がいた。
関係が壊れたら、元の幼馴染ではいられない。
そうなれば、高校で僕の味方は誰一人としていなくなるのだ。
クラスで、独り孤独の自分。
情景がありありと頭に浮かんできて、考えただけでも震えが止まらない。
円の幸せを取るか、僕の幸せを取るか。
二つを天秤にかけている内にも、無為に時間が過ぎていく。
「な、なんでもないよ。ハハハ……」
「変な亮ちゃん」
その後も何度か挑戦すると
「さっきから、どうしたの? もしかしてエッチなこと? ……亮ちゃんに、そんな度胸ないか」
「バカにするなよ。僕だって、男なんだからな。……一応」
「あ、嫌って訳じゃないよ。ただ恥ずかしくて……さ」
突拍子もない発言に彼女は勿論、それを耳にした僕も顔を伏せて黙り込む。
紅潮しており、とんでもないことを口走ったのは、理解しているようだ。
こんな時に限って、なんで薄着なんだよ。
タンクトップにジーパンの、露出過多な服装にケチをつけた。
制服姿ではお目にかかれない、太ももまで露わになっており、目のやり場に困る。
夏だからと分かってはいるものの、円の格好は異性には、あまりに刺激的すぎた。
まさか挙動不審だったのは、そのつもりだったからか……?
雰囲気に、僕は地蔵のように固まる。
なのに男の大事な部分は、痛いくらいに屹立した。
彼女がいいなら、遠慮はいらないのでは。
じっとしていると、邪な心が滾っていく。
円をそんな風に見るなんて、最低だ。
考えるのはよそうと、リモコンに手を伸ばした。
何の気なしにつけたテレビには、国民的なアニメが流れている。
もう、6時30を回ったのか。
現実から逃避しようとした先でも、現実を見せつけられるとは。
目を背けようとしても、このアニメが終わって夜が明ければ―――また苦痛に満ちた日々が始まるのだ。
気が滅入る一方だった。
明日は、刻一刻と迫っている。
時間的猶予は、最早残されていない。
とにもかくにも、僕は円との決別を誓った。
今日、全てを終わらせよう。
本心とは裏腹の行動を取ろうと、奮起させる。
プールでの出来事から、僕ではない誰かが、僕の意志をコントロールしていた。
癒しの場所であるはずの自室が、監獄の如く感じられた。
「円、話なんだけど……」
「ん、どうしたの」
興味なさげにスマホを弄りつつ、聞き流す。
目を見て会話してくれるのに、どうしたのだろうか。
もう恋人ごっこに、飽きたのかな。
なら彼女に負い目を感じさせないためにも、僕から切り出さねば。
……。
「き、今日はどうする。ウチで食べてく?」
「じゃあ、ご馳走になろうかなぁ。お手伝いすることあれば、遠慮なく言ってね」
「いいよ。円はお客さんなんだから」
「むぅ……私だって家事くらいやれるもん!」
一瞬の躊躇いが、別れの意志をねじまげる。
ああ、簡単に揺らいでしまった。
愛想をつかされて別れを切り出されるまで、いつものようにしていればいいのでは。
楽な方に流されそうになる自分を戒める。
しっかりしろ、亮。
円には、相応しい相手がいるはずだ。
それに長くなればなるほど、僕も辛くなるんだぞ。
「最近、亮ちゃん私のこと避けてない?」
惚れた子というのは、可愛く見える魔法がかかっているものだ。
頬袋にドングリを詰めたリスみたいに、小動物的な愛嬌があった。
「私、ウザかったりする? ダメな所は直すから」
「……はは。円は心配性だな」
「な、なんで頭なでてくるの~っ!」
不憫な円を、僕は慰撫する。
至らなさまで、彼女が責任を負う必要はない。
「僕って暗いだろ。自分のことについて考えてたんだ。だから責めないでくれよ」
「亮ちゃん暗いかな? 私とは普通に話せてるよね」
「はっ……?」
口数も少ない男を、暗いと思わないなんて。
彼女の発言が信じられず、何度も瞬きを繰り返す。
「でも確かに私以外と親しいの、見たことないかも。いつも味方だよ」
労わられると安堵が押し寄せ、わだかまりが揉みほぐされていく。
「学校って、つまらないよなぁ……。辛いだけだよ、僕みたいなやつにとっては」
「分かるよ、私も。その気苦労……」
強がっていたのさえ馬鹿らしくなって、隠していた心情を吐露する。
すると彼女は葬式に参列する人のように、物悲しさに感情を支配されていた。
二人きりの時まで、重荷になるわけにはいかない。
「ごめん、円にとっては楽しい場所だよな」
すぐさま話題を切り替える。
と、唐突に彼女は昔の思い出話をし始めた。
「ねぇ、亮ちゃんは小学校の時の事、覚えてる?」
「急にどうしたの。あっ、今も昔も僕が勉強を教える側なのは変わらないな」
「そ、そだね。本当に今の亮ちゃんは、昔の亮ちゃんとは違うのかなと思って、」
「……当たり前だよ」
何が言いたかったのだろうか。
追及こそしなかったが、気になってしょうがなかった。
表情や態度を無邪気な子どものようにコロコロ変える彼女は、さながら無地のキャンバス。
何色にも染まりかねない無垢さは、警戒心の薄い幼児の危うさがある。
これ以上関われば、彼女が悪影響を受けてしまいかねない。
「勉強再開しよっか」
「うん、変なこと聞いちゃったね」
「……ねぇ、円。僕と一緒にいて楽しい?」
「最近は亮ちゃんといても、あんまり面白くない……かな」
何の気なしに訊ねて返された言葉は、鋭利な刃物の如く僕の心を抉る。
自分で否定してきたものの、どこかで円の掛け値なしの母性を期待していた。
直接、円から詰られてこなかったこそ、甘えがあったのだろう。
けれど本心から放たれたであろう言葉は、グサリと胸に突き刺さった。
だがしかし、不思議と納得していた。
散々弱音を吐き出して、都合のいい台詞を引き出させてきた。
こんな人間は、誰からも受け入れられないで当然だ。
優しい毒は、たちまちに身体を巡り、僕を蝕んだ。
短編恋愛小説「これが僕たちの幸せの形」 ?がらくた @yuu-garakuta
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