N博士のカメラ

月人美下

第1話

○月×日

N博士に1台のカメラをもらった。これは不思議な機能を持ったカメラだそうだ。もちろん普通の写真も撮れるが、撮影モードを「スペシャル」に合わせると、写真に収めたもの自体を世界から切り取ってしまうカメラなんだと、N博士は鼻高々に語っていた。言葉で説明されてもいまいち理解の出来ない私は明日早速このカメラを持って出掛けてみようと思う。

実際、例の不思議な機能以外全く普通のカメラと変わりないようだ。帰宅後、簡単にシャワーを浴び濡れたままの髪をタオルで乱雑に乾かしながら、付属されていたバッテリーを充電器に装填しコンセントに挿してみる。正常に充電されていることを示すオレンジ色のちゃちな豆電球が光った。


○月□日

首にカメラを提げ、近場の植物園に足を運んだ。いい天気だった。雲一つない、とは言えないが外は明るく、今日初めてカメラを使う私には絶好の日和なのではないか、とスマホで検索した程度のカメラ知識で偉そうに語ってみる。まずはいわゆる普通の撮影モードを試してみることにした。シャッターボタンの近くにあるダイヤルをオートモードに合わせた。他にもAとかPとか色々とあるのだが、今の私にはさっぱりだった。適当に目に入った花にカメラを向けファインダーを覗きシャッターボタンを押し込む。

カシャリ

世の中にありふれた軽い音が聞こえてカメラのモニターを確認すると、オートモードに任せきったピントの合った一枚の写真が出来上がった。色気もこだわりもなんにもない。それでも目の前の事象と全く同じものが小さなモニターに写ったことがなんだか嬉しくて、今日カメラを持ってきた本来の目的も忘れて目に入るものをあれこれと写真に撮って歩いた。

休憩にコーヒーでも飲もうかと植物園に併設された小さな喫茶店に向かった。カウンターで注文を済ませ店外に並べられた金属製のシンプルな作りのガーデンチェアに腰を掛け、丸テーブルへとカメラを下した時にふと撮影モードのダイヤルに気が付く。そこでようやく今日の本来の目的を思い出した私は、カチカチとダイヤルを回し「スペシャル」モードに設定を変更した。そのままでは特段カメラに変化がないようだ。モニターを確認してみる。先ほど撮影していた時となんら変わり情報が映し出されている。次にファインダーを覗いてみる。見えるのは雨風に晒され若干痛みの見える丸テーブルだ。ぱっと見なんの変化も見られないカメラに私は少々肩透かしを食らった気分になるものの、試しに足元に咲く小さな名前も知らない青色の花を撮影してみた。

カシャリ

またあの音が聞こえファインダーから目を離す。今撮影した足元に目を落とし、そこで私は目を丸くした。撮影したはずの青い花が葉も茎も何も跡形もなくなくなっていたのだ。おかしい。ふと昨日N博士が言っていた「写真に収めたもの自体を世界から切り取ってしまうカメラ」という言葉が思い出される。いやいやまさか、そんなファンタジーが起こるはずもない。もしかしたら先ほどまで花ばかり見ていたせいで足元にない筈の花を空目したのかもしれない、そうに決まっている。戸惑いながら今撮影した写真を確認しようとモニターを見た私は、再び目を丸く見開いた。そこにはあったのだ、足元に今の今まで咲いていた青い花が。写っていたのではない、その花は確かにこの小さなモニターの中で”風に吹かれてそこに咲いていた”。一瞬の間に起きた不思議な状況に目を回し頭を抱えた。「お待たせしました。」と不愛想なマニュアル通りにコーヒーを運んできたウェイターに気のない返事をする。口に運んだコーヒーの味はいまいち覚えていない。



それからというもの、摩訶不思議な状況に最初こそ恐怖を感じた私であったが、徐々にその楽しさと便利さに気が付き、暇があれば決まってカメラを持って出掛けた。気に入った花をたくさん写真に納めた。綿あめのように柔らかい雲を見付けたら写真に収めた。時には道端でのんきに欠伸をしている猫も写真に納めた。ありがたいことにその写真を現像し紙に印刷してもその効果は持続した。おまけに写真の中では時間の経過はないらしく、花はいつまでも咲き誇っていたし、雲は流れ消えることなく写真の中の青空の海をふわふわと浮かんでいた。猫もおなかが空いたとぐったりすることもない。ひとつ残念なことと言えば、どうやらこの不思議なカメラは写真の中に音を閉じ込めることは出来ないらしく、猫の声を聞くことは叶わないとういうことだ。だが、愛らしく欠伸をし丸くなって眠る猫が私の写真の中に存在するのなら、それで構わない。一人暮らしの部屋の壁はいつしかそういった私の動くお気に入りたちで溢れていた、今日も撮影してきたお気に入りたちを現像していく。点けたままのテレビから、最近町の猫が激減しているというニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえても、知らないふりをした。



△月〇日

季節が変われば私のお気に入りの対象は変わっていく。今日もいいものが撮れた。早速紙に現像した花の写真は心地よさそうに風に吹かれている。これも飾ってやろう、と壁に近づいたとき、足の裏に紙の感覚を捉えた。どうやら一枚剥がれ落ちていたようだ。踏み付けた写真を手に取る。それは私が一番初めに世界から切り取った青い小さな花の写真だった。足を退かし腰を屈めて手に取

ると、私はこの写真を初めて見たときのように目を丸くして写真を凝視した。その青い花は、誰かに踏みつぶされ萎れていたのだ。誰かに、なんて白々しい。今まさに自分に踏み潰されてしまったのだ。これだけ摩訶不思議な状況に囲まれていればそう理解するまでに時間はかからない。花も葉も茎も昨日まであんなに綺麗だったのに。踏み潰され茶色くなっていく写真の中の花を私は静かに眺めていた。そして、今しがた現像を終えた写真を机に放ると一枚の写真を壁から剥がした。一匹の猫が塀の上で毛繕いをしている写真だ。ざらざらの舌で己の体を舐めている。その写真の両端を指でつまむと、勢いよく破り裂いた。鮮血は、流れない。ただ、半分になった猫は何が起こったのかわからない顔で、二枚に分かれた写真の中で分断された四肢をそれぞれ力なく投げ出していた。


△月□日

今日は出来ると頭では理解していながらやっていなかった行動に取ることにした。植物園のベンチに腰掛けた私は、行き交う人たちを目で追った。人通りの多いところでやるわけにはいかない。大人数を相手にすることも出来れば避けるべきだ。お昼も過ぎ、西日が痛い時間も過ぎ、閉園間近な時間になった時チャンスが訪れた。一人の女性は私の前を横切っていく。仕事帰りだろうか、少し疲れた表情でトートバッグを提げている。肩まで伸ばした髪は品のいい茶色に染められていた。私は徐にカメラを構えファインダーを覗き彼女を写真に納める。撮影モードのダイヤルはしっかり「スペシャル」に合わせられていた。


×月〇日

部屋の壁いっぱいの写真はいつしか花や雲、猫などの動物以外にも人の写真も増えていた。見た目が気に入った人間を写真に納め並べてみると、これがなかなかどうして気分が良かった。写真の中に切り取られた人間は最初こそ自分の置かれた摩訶不思議な環境にうろたえるも案外順応が早く、数刻もすればそれぞれの写真の中でそれぞれに楽しんでいるようだった。一人の写真ばかりもつまらないかと、カップルの写真を撮ったこともあるが、ある日壁に飾った写真の中でセックスを始めたものだから、それからはカップルの写真を撮ることはやめた。自分で選んで写真に納めた人間とはいえ、他人様の情事を覗く趣味はない。ちなみにその写真は引き裂くのも気が引けてしまいあれ以来そっと裏返しにしてある。さて、次はどんな写真を撮りに行こう。足元に散らばる引き裂いた写真の欠片を踏み付けながらベッドに寝転ぶ。天井のシミを眺めて今日出会えるであろう新しいお気に入りへと思考を目巡らせた。


×日□日

今日はとても気分がいい日だ。昨日見付けたお気に入りの写真を現像し、紙に焼いた。壁には沢山のお気に入りが、足元にはそうでないものが散らばるこの部屋が、いつしか私の中での日常となっていた。現像したが気に入らなかったもの、なかなか写真の中の環境に順応せず泣き喚いてばかりだった人間、はたまた飽きた写真は全て真ん中から破り裂いた。確かに写真の中のものはそれを機に動かなくなってしまうし、傷んでしまう場合も多かったけれど私の手に残るのは紙を破く感覚だけだ。誰が自分で撮った写真を破くことを非難するだろうか。大分作業を終えテレビをつけると、最近地元で行方不明になった人間のニュースをアナウンサーが読み上げていた。情報提供センターの電話番号と共に行方不明者の顔写真がテレビに映し出される。どれも見覚えのある顔ばかりだ。それも当然だ。今まさに私の部屋の壁で生活をする彼らが、力なく真っ二つに裂かれ足元に横たわる彼女らが、捜索の対象なのだから。それにしても映し出された写真はどれもぱっとしない。私のお気に入りは私が撮った写真の中でこそ輝くのだ、とコーヒーで満たされたマグカップを手に壁の写真たちを眺める。本当にN博士はいいものをプレゼントしてくれた。最初こそこの摩訶不思議な機能に戸惑い、使い慣れないカメラの扱いに困った私ではあったが、今は感謝しかなかった。いつかお礼に行かねば、などと考えていた時、インターフォンが来客を告げた。誰だろう、通販も最近はしていなかったはず。おかしな勧誘だったら適当にあしらってやろうか。壁に備え付けられたモニターに映っていたのはスーツを着た二人の男だった。インターフォンの通話ボタンを押す。


「はい、どなたですか。」

「こちら警察署の者ですが、近頃起こっている行方不明事件について近隣の方々にお話しを聞かせていただいておりまして。お時間よろしいでしょうか。」


今なんと言った。警察?ハッとして壁に飾られた数々の世界から切り取ったお気に入りたちの写真を振り返る。足元に散らばったものはさておき、この私のコレクションが人様の目につくわけにはいかなかった。何より誰がこの摩訶不思議な現象を懇切丁寧に説明したところで理解してくれるだろうか。ただこうして警察に目を付けた時点で今後これ以上外お気に入りを増やしに写真を撮るのは危険なのでは、と私の脳内は警告を鳴らす。今思えば、警察は私に疑いを向けていたのではなく、本当に近隣住民に事情聴取を行っていただけかもしれないが今となってはその実を問うことは叶わない。

警察に捕まるのも避けたい、このお気に入りたちを見られたくもない。今も玄関で待つ警察をどう対処する?ふと足元を眺めていると、一つ完璧な結論にたどり着いた。私は引き裂いた写真を踏み付けながら災害用に置いておいたマッチを引き出しから取り出し、部屋中に散らばる写真に火を放った。写真の中の彼らは部屋で起こっていることをどうやら理解しているようで、壁の写真たちが静かに音もなく騒ぎ出した。当たり前だ。床の写真の残骸が燃えた次は自分たちが燃えてしまうのだから。しかし物音一つ立てることが出来ず、狭い写真の中から動けない彼らが取れる行動など何一つありはしない。私のお気に入りたちは私の放った炎で赤く染まり塵になっていくのだ。芸術の一つに破壊行動があると耳にしたことがあるが、なるほど、今ならその理由がわかる。ごうごうと燃える炎が自らの芸術を飲み込んでいく感覚は背筋が粟立つほどに魅力的であった。私は例のカメラを手に取るとタイマーをセットした。そしてレンズを自身へと向け、全身が入るように腕を伸ばす。


ピッ、ピッ、ピピピピ

カシャリ

ゴトッ


誰もいない部屋にカメラが鈍い音を立てて転がった。





×月△日

『お昼のニュースです。先日T市で発生したアパートでの火災ですが、火元はその103号室ということが判明しました。部屋からはたくさんの写真と見られる紙が発見されておりますが、全て燃え尽きてしまっており、詳細はわからないとのことです。また103号室に住んでいた、職業――、――氏、―歳の行方は、警察の必死の捜索をもってしても未だつかめないようです。続いてのニュースです。最近頻発していたU市を中心とした行方不明事件ですが、新たな行方不明者は出ておらず――――』

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N博士のカメラ 月人美下 @tsuki10mika_ss

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