カエルの私と人間の平田、湧きいずる恋

空色蜻蛉

その湧水池には、化け蛙が棲んでいました。

 私は、三宝寺池に住むカエルである。

 ただのカエルではない。化け蛙だ。

 姿は人間の握りこぶしと同じくらいで、体色は艶やかな若草色。アマガエルが大きくなったものを想像してもらえば良い。

 

 自分の年齢は数えていないが、池に住んで百年以上経つ。

 三宝寺池の周囲は公園となっており、人間が多く訪れる場所だ。

 春ともなれば、桜の木の下にビニールシートを敷いた人間たちが、酒を手にどんちゃん騒ぎを繰り広げる。私はそれを眺めながら、彼らがこぼした菓子や握り飯の欠片を頂戴する。

 そんな、なかなかに快適な生活を送っていた。

 

 しかし、最近になって公園の近くで工事が始まった。

 地面をゴリゴリと掘りぬいているせいか、池の水に不純物が混じるようになった。

 この三宝寺池の水は湧き水だ。

 人間たちが管理する水道水や、天から落ちてきた雨水とは種類が違う。大地から湧き出る自然の甘露、命の水。その水の澄み具合は、のぞきこめば一目瞭然。水底の石を数えられる。

 湧き水だからこそ、付近の土の影響をもろに受けるのであろう。

 

 私は万が一のことを考え、引っ越し先の検討を始めることにした。

 引っ越し先も湧き水がある場所がよい。

 公園の外に出たことのない私は、誰か詳しい者に湧き水がある場所を聞いてみようと思い立った。

 久々に化け術を使い、人間の少女の姿に変身してみる。

 上は白い刺繍のブラウス、下は裾の長いピンクのプリーツスカートを着た、今風の美少女だ。

 

「こんにちわ。お仕事、お疲れ様です」

 

 そうして、池の調査に来ている眼鏡の男に声を掛けた。

 男は私の姿を見ると、目を見開いて、手にした筆記用具を取り落としそうになった。

 

「お、お疲れ様です?」

「水質の調査ですか? いつも何かされているなと気になっていたので、思い切って声を掛けてみました」

 

 私はにっこり微笑んだ。

 男もつられたように笑う。

 

「お兄さんは、お名前は何というのですか?」

「僕?! 僕は、平田といいます」

 

 平田は、優しいそうな面差しの中肉中背の男だった。

 くたびれた格好で、目の下にクマがあるからか、中年のように見えるが、近づいて見ると肌には張りがあり目元に若さがある。若いのに不摂生な生活を送っているのだな。きちんと整えれば、それなりに見栄えのする男子になるだろうに。

 

「平田さん、三宝寺池は水が綺麗ですよね」

「そうですね。湧き水ですからね」

 

 やはり湧き水。昔から住んでいる場所だから当たり前になっていたが、おそらく他の公園には同じような池はないのではないだろうか。

 

「湧き水の池って、ここ以外にあるんですか? 近くにあるなら、行ってみたいです」

「この近くなら、そうだなあ。善福寺池が有名ですね」

 

 ほほう。その善福寺池とやらを、一回見に行ってみようか。

 私が公園の外に出る具体的な手順について思いをはせていると、平田は話を続けたくなったのか、向こうから話しかけてきた。

 

「湧き水って、どうして出るか、仕組みをご存知ですか?」

「?……いいえ」

「この辺には、火山灰が降り積もって出来た関東ローム層という地層があります。その下には砂礫層があり、ここ武蔵野台地は水ハケが良く地下に雨水が浸透しやすい構造になっています。それだけなら地下に水が流れているというだけなのですが、武蔵野台地には河川が大地を浸食して作り出した谷、崖線がいせんというものがあり、地下水が崖線から溢れだしているのです。これが湧き水です」

 

 平田は、さらさらと解説をしてみせた。

 私は興味深く、その話を聞いた。

 湧き水のある場所を探す上で、重要な手がかりだと感じたからだ。

 

「では、その崖線の付近を調べれば、湧き水があるのですね!」

「その通りです! ええと、お名前は……?」

 

 平田に名前を聞かれて、私は困った。

 ただのカエルである。名前など無い。

 

「私は……アメと呼んでください」

 

 アマガエルだから、雨が好きだから、適当に自分に名前を付けた。

 

「アメさん。僕、明日、崖線の地図を持ってきます! 興味があるなら、いくらでも、話をお聞かせしますよ!」

 

 平田は、私に好意を持ったらしい。

 勢いこんで言ってくる。

 

「ええ、そうですね。是非お願いします」

 

 私は情報が欲しかったので、平田の提案を快諾した。

 人間と親しくなるなんて思ってもみなかった。ただ湧き水の場所が知りたいだけだったのだ。

 

 

 

 

 平田は、次の日、地図と一緒にチョコレートを持ってきた。

 私は、チョコレートを食べたことが無かったので、甘くて苦い味が大層気に入った。平田も私の様子に「菓子で釣れる」と確信したらしく、菓子と湧き水の情報を餌に、その次の約束を取り付けた。

 こうして気が付けば、毎週毎日、私たちは池の前で会うようになっていた。

 

「アメさんは、どこにお住まいなんですか?」

 

 人間同士では、世間話程度の話題なのだろう。

 しかし平田にそう問いかけられ、私はドキリとした。

 

「竜宮城、なんちゃって」

「ああ、浦島太郎ですか。昔話がお好きなんですか。僕は川が好きで、二子玉川の近くに住んでいるんです。場所は……」

 

 咄嗟に誤魔化した。適当に人間の住む地名を答えても良かったかもしれない。しかし、深く突っ込まれればボロが出る。私はこの石神井公園から出たことはないのだ。

 いつ逢瀬を終わらせようか。

 私は迷っていた。

 平田との話は楽しい。だが彼は人間、私は所詮カエル。何か建設的な関係に発展しようもない。

 それでも叶うなら、あまねく地をしろしめす天神よ。どうかこの時間が長く続きますように。

  

 

 

 

 その日は、雨が降っていた。

 黒雲が渦を巻き、重苦しい湿気が満ちている。

 降りやまぬ雨に私は嫌な予感を覚えた。

 池を出てペタペタと公園の中を歩き回る。

 さすがに公園内に観光客の姿は無かった。

 公園の前に車を止め、休憩している人間がいる。私は体を小さくして、開いた窓の上に飛び乗り、窓ガラスに腹をひっつけた。こうすると内部の音が鮮明に聞こえる。

 人間が聞いているラジオの音が、体に伝わってきた。

 

『台風十号の影響により、局所的な豪雨の被害が報告されています。二子玉川の近辺の住宅地では、床上浸水したという情報が』

 

 大変だ。

 平田は、二子玉川の近くに住んでいると言っていなかったか。

 私は雨に打たれながら少し思い悩んでいたが、決意した。

 人間の少女の姿に変身し、生まれて初めて、電車に乗った。

 運賃は葉っぱをお金に変えたもので支払った。無賃乗車だと怒らないで欲しい。

 大勢の人間に気圧され、電車に酔いそうになりながら、平田が住むという住宅地を目指した。

 

 

 

 

 道路は濁流にのまれていた。

 人間の姿では逆に進みにくいので、私はカエルの姿に戻った。

 妖術を使って、水の上を跳ねるように進む。

 

「平田さん……!」

 

 私は水没する車の中に取り残された平田を見つけた。

 おそらく移動中に冠水したのだ。

 このままでは平田が車の中で溺れ死んでしまう。

 人間の姿に変身しボンネットの飛び乗って、尖った石をつかみ、無我夢中で車の窓に叩きつけた。

 

「……!」

 

 平田が私の姿を見つけて、目を丸くする。

 窓ガラスが割れた瞬間、私は妖力が尽きて体から力が抜けた。

 人間の目の高さから一気にカエルの目の高さへ、そのまま濁流の中にボチャンと落下する……前に、温かい手が私の冷たい肌を包んだ。

 

「アメさん!」

 

 気が付くと、平田が私を両手ですくいあげていた。

 なんということだろう。

 私は醜いカエルの姿なのに、平田は私を真摯な目で見つめている。

 

「避難しなきゃ……!」

 

 平田は私を丁寧に抱え込むと、洪水の中を歩き始めた。

 

「平田さん、どうして……? 私はカエルだよ」

 

 全身の力を使い果たした私は、平田に運ばれるまま、信じられない気持ちで彼を見上げた。

 

「アメさんに秘密があるということは、気付いていました。あなたはいつも、同じ服装だった。普通の人間の女の子は、会うたびに服を変えたりします。それにあなたの年頃なら学校に通っているので、いつも日中に公園にいることはあり得ない」

「あ……!」

 

 私は間抜けにも、人間の生活習慣についてよく知らないまま、見た目だけ人間に変身してしまっていた。

 だけど、なぜ平田は怪しい私と会ってくれていたのだろう。

 

「あなたが妖怪でもカエルでも構わない。自然や湧き水が好きなひとに、悪いひとはいないんですよ。それに僕を助けてくれた」

 

 平田は、優しくカエルの私に微笑みかけた。

 

「公園の前の工事の方向を変えるよう、署名運動をしているんですよ。だから引越なんかせずに、三宝寺池にこれからも住んでください、アメさん」

 

 これもプロポーズの一種なのだろうか。

 その瞬間、私の胸の底から今まで感じたこともない歓喜の衝動がこんこんと湧き出した。

 どうやら私は、恋をしてしまったらしい。

 

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