第4章

 いつまでたっても目を覚まさないアルビノーニを背中におぶさって、しちろうは出発することにしました。アルビノーニの体はしなやかで、しちろうにすべてを委ねているようでした。それでしちろうは勇気がわいてきました。

「どこへ行けばいいんだろう」

 リリーは空に行ったと、アルビノーニは言っていました。ねずみが空に行くにはどうやったらいいのでしょう。しちろうが知っている中で一番空に近いのは、住処にしていたロパの木です。しちろうは長い時間をかけて、ロパの木のところまで戻ってきました。


 バオバブの立派な枝に見たことのない鮮やかな鳥が止まっていました。

「ねぇ君は、空にどうやって行くのかわかるかい?」

「おかしなことを聞くねずみだなあ。翼を広げて風に乗るんだよ。やってごらん?」

 意地悪く笑った鳥は、お手本を見せるかのように大きく翼を広げて飛んできました。その飛び去った方向に高くそびえる山があることにしちろうは気付きました。あまりに山が大きすぎて、(そしてあまりにねずみは小さすぎて)今まで気にもしていなかったのです。そしてその山は、まるで空に突き刺さっているかのようでした。あんなに高い場所ならきっとリリーのいる空へも行けるはずです。しちろうはアルビノーニを背負いなおすと、山へ向かって歩き出しました。


 何日も何日も歩き続けました。熱く太陽が照り付ける日も。重く叩きつけるような雨の日も。体を押し戻すような風の日も。疲れたら岩の隙間で眠り、起きるとすぐにまた歩き出しました。その間、アルビノーニが目を覚ますことはありませんでした。しかししちろうは、懸命にアルビノーニを抱え、一歩ずつ進んでいったのです。


 振り返れば、ロパの木が遥か下に小さく見え、自分たちがかなり上の方まであがってきたことに気が付きました。しちろうは立ち止まり、荒い呼吸を繰り返しました。少し前からなんだか息苦しく感じるのです。

「疲れているせいだろうか」

 足取りは重くなかなか前に進みません。それにとても寒いのです。毛を逆立てた身体はぶるぶると震えました。そのせいでアルビノーニの体がずるりと落ちました。

「おっとごめんよ」

 相変わらず目を覚まさないアルビノーニをしちろうは不思議に思っていました。

「もしかして冬眠するタイプのねずみなのかもしれないな」

 寒くなるとカエルやへびが眠りにつき、また春になると目を覚ますことをしちろうは知っていました。きっとアルビノーニもあたたかくなればその目をあけるでしょう。そうして「なんだい、まだ着かないのか」なんて言うに決まっています。

「その時までにはリリーのところへ行けるといいのだけど」

 しちろうはまだ上へ上へと伸びている山の頂を見つめました。


 するとその時、空から何かが落ちてくることに気が付きました。それは綿毛のようでした。真っ白い、アルビノーニの毛色によく似た、小さなふわふわしたものがあとからあとから落ちてくるのです。そのなかのひとつがしちろうの鼻先に落ちました。

「うわ、冷たい」

 しちろうは初めて雪を知ったのでした。その不思議な綿毛に驚きながら、またひとつ身震いをしました。寒くてたまらずに、アルビノーニと体を寄せ合いました。不思議とこうしていれば温かくなるような気がしたからです。

 無数の雪が視界のなかで自由に動く様はまるでそれぞれがダンスを踊っているかのようです。それらはだんだんと地面に、木々の枝に、岩の上に積み重なり、あたりの景色をゆっくりと白色に染めていきました。

 しちろうはしばらくその光景に見惚れていましたが、はっと気が付き今日の寝床の準備をしようと思いました。雪のかからない小さな岩のくぼみを見つけ、その中にアルビノーニの体を押し込み、自分も潜り込みました。アルビノーニをぎゅっと抱きしめ、しちろうは目を閉じました。


 明日はもっと進まなければいけません。だいぶ遠くまで来たつもりですが、山のてっぺんはまだまだ先に見えます。リリーに会えばきっと、アルビノーニも嬉しくて目を覚ますに違いありません。その姿を想像して、しちろうは目を閉じたまま小さく笑いました。


 雪は音もなく降り続け、二匹が潜り込んだ岩の入り口を隠してしまいました。なだらかに盛り上がった小さな雪山があっちにもこっちにもできています。

 しんしんと。しんしんと。雪はすべてを包み込むように降り続けました。二匹のねずみがどこに隠れているのか、もう誰にもわからないでしょう。

 それっきり、しちろうも二度と目を覚ますことはありませんでした。

 

 眠るように、夢見るように、キスさえ残さずに。




 しちろうは夢を叶えたのです。

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