LOVE LETTER chu YOU

うるう

第1章

 ひとりぼっちのしちろうねずみはとても変わったねずみでした。


 茶色い毛、長いしっぽ、よく動くヒゲ、丸い耳、木の実のような円らな瞳。それらは大抵のねずみが持っているもので、しちろうもその他大勢のねずみとだいたい同じような見た目をしていました。

 じゃあどこが変わっているのかって? 彼はどんなねずみも持ったことが無いような大きな大きな夢を持っていました。


 しちろうの夢は、死ぬこと。

 眠るように、夢見るように、死んでいくこと。


 大抵のねずみの死に方は決まっています。

 一瞬で、自分が死ぬこともわからぬまま、「ちゅ」という鳴き声ひとつだけを残して、みんな悪魔に食べられてしまいます。断末魔と言うには余りにも儚い、まるでキスのような世界へのサヨナラ。しちろうの6匹の兄さんたちも、4匹の弟たちも、そして母さんも、みんながみんな、キスだけを残して死んだのでした。

 しちろうは、そんな死に方は絶対にごめんだと思っていました。眠るように、夢見るように、キスさえ残さずに死んでいく。それがちっぽけなしちろうねずみの大きな大きな夢でした。


 しちろうが暮らしているのは、赤茶けた土がむき出しになった荒野です。その真ん中に皆がロパの木と呼んでいる大きなバオバブがありました。その木の根元にしちろうはねぐらをもっていました。

 荒野はあまり食べ物が多いとは言えません。少し行けば人間の住処があり、そこには美味しい食料がたくさんあります。けれど恐ろしい悪魔も住みついているので、しちろうはあまり近づかないようにしていました。


 ある朝、いつものように用心深く散歩をしていると、突然しちろうの目の前に何かが落ちてきました。それは四角い形をしていました。綿毛のように真っ白な体と、ルビーのように真っ赤な目玉を1つ持っていました。しちろうは今までそんなものは見たことがありませんでした。

「いったいこれはなんだろう?」


 すると今度は、しちろうの目の前に別の誰かが現れました。それはねずみの形をしていました。綿毛のように真っ白な体と、ルビーのように真っ赤な目玉を2つ持っていました。しちろうは今までそんな色をしたねずみには出会ったことがありませんでした。

 彼らはいったい何者なんでしょう?


「ナイスチューミチュー」


 突然白いねずみが言ったので、しちろうはびっくりしました。それは人間の言葉だったのです。何も言えないでいるしちろうのことなんて気にもしないで、白いねずみは続けました。

「マイネーミーズアルビノーニ」

 しちろうは人間の言葉なんてちっともわからないので、仕方なく鼻をひくひくしていました。それしかやれることがなかったのです。すると白いねずみは自慢げに言いました。

「『はじめまして、僕の名前はアルビノーニ』と言ったのさ」

 なるほど、さっきの言葉は挨拶だったようです。その響きがあんまり格好良かったのでしちろうも真似したくなりました。


「ないすちゅー、みーちゅー、まい、しちろう」


 しちろうは初めてにしてはとてもよく言えたと思いました。けれどアルビノーニはなんだか変な顔をしたので、しちろうの挨拶はどこかがおかしかったようです。自分の名前が正しく伝わっていないと困りますから、しちろうはもう一度ねずみの言葉で言いなおしました。

「はじめまして、おれはしちろうだよ」

「しちろうくんか。兄弟が多いのかい?」

 聞かれてしちろうはどう答えようか少し考えました。そしてしばらくしてから「ひとりっこ」と言いました。


 アルビノーニはたいして興味もない様子で、白い四角いものの埃をはらっていました。

「よかったよかった。汚れてないや。さっき急に風がふいて飛ばされちゃったもんだから」

 白い四角いものはアルビノーニの持ち物だったようです。

「これっていったいなんなの?」

 しちろうが聞くと、少しもったいつけてからアルビノーニは言いました。

「これは、手紙だよ」

 しちろうは胸がどきどきしてきました。生まれてこのかた手紙なんて一度も見たことがなかったからです。ひとりぼっちで生きてきたしちろうには、手紙をくれる友達さえいなかったのでした。

「これは誰への手紙なの?」

 しちろうは自分だったらいいなと思いながら訪ねましたが、アルビノーニは意外なことを言いました。

「それが誰だかわからないんだ」


 アルビノーニは言いました。

「僕は人間のリリーと一緒に住んでるんだ。リリーはとても綺麗でやさしくて世界一素敵な女の子さ。彼女にこの手紙を届けてほしいと頼まれたんだよ」

 それを聞いてしちろうは不思議に思いました。

「なんで人間が、リリーが自分で手紙を届けないの?」

 アルビノーニはしょんぼりとしながら答えました。

「リリーは病気でね、太陽の下には出られないんだ。かわいそうな子なんだ。だから彼女のお願いはなんでも叶えてあげたい。でも…」

 アルビノーニは真っ白な手紙をしちろうの目の前に突き出しました。

「宛名も何も書いてないんだ。きっとリリーは書くのを忘れてしまったんだよ。そういうわけで、どこの誰に届けたらいいのかわからずに困ってるんだ」


 しちろうは、太陽にあたれないという病気の女の子をかわいそうに思い、同時にアルビノーニのことも気の毒に思いました。そこで、手紙の届け先を一緒に探してあげることにしました。アルビノーニは大喜び。

「ありがとう!手紙が無事に届いたらお礼にしちろうの願いをなんでも聞くよ」

「なんでも?」

「なんでもさ。リリーに言えばどんなお願いでも叶えてくれるさ」

 それなら自分も手紙が欲しいなと少し考えましたが、今はまずこの手紙を届けることが先決です。

「何か手掛かりはないの?」

 しちろうは真っ白な手紙をまじまじと見つめました。アルビノーニの目の色によく似た赤いものがついています。

「それはハートのシールさ。好きの気持ちを表す印だけど、単に手紙を閉じているだけだから、手掛かりとは言えないな」

 確かに、シンプルな手紙には赤いシール以外は宛名も何もありません。

「外側に何も書いてないなら、中身を読んでみればいいんじゃないかな」と、しちろうは言いました。きっと何かの手がかりを掴めるはずです。これ以上ないくらいの名案でした。


 アルビノーニは「プライバシー」だとか「モラル」だとか人間の難しい言葉を使って最後まで反対していましたが、とうとう諦めたようです。

「よし。少しだけ、ほんの少しだけ中身を読んでみよう」

 二匹は協力して手紙をあけはじめました。なにしろ手紙はねずみの体の大きさと同じくらいでしたから、開けるのも簡単ではありません。ちゃんと元に戻せるように、ハートのシールはアルビノーニが慎重に丁寧に剥がしました。

 封筒の中には空色の便せんが一枚だけ入っていて、しちろうがそれを引っ張り出しました。そこには小さな(と言ってもねずみにとってはかなり大きな)丸みを帯びた字が書かれていました。アルビノーニは「ふう」と息を吐いて、それから手紙の一番最初の部分を声に出して読んでみました。


『私は あなたを 愛しています』


「なんだって!?」

「なんだって!?」

 二匹はあわてて手紙から離れました。それがなんだかとても大事な言葉であることはしちろうにもわかりました。てっきり一番最初は「親愛なる〇〇へ」とでも書かれていると思ったのに、この手紙はいったいなんなのでしょう?

「僕知ってる。これはラブレターだ。愛を伝えるための手紙をそう呼ぶんだ」


 アルビノーニはそそくさと便せんを中にしまいました。大切な秘密を覗いてしまったようで、リリーにすまないと思ったからです。

「大事な手紙だ、絶対に届けなきゃ」と、アルビノーニは言いました。

 しちろうは、そんな大事な手紙をもらえる人がとても羨ましくなりました。

「きっと相手は手紙が届くのを今か今かと待っているはずだよ。だから皆に聞いてみよう。あなたは手紙を待っていますか?って」

 もししちろうがそう聞かれたら、真っ先に「ずっと待ってたんだ」と答えるでしょう。そしてまた、これが自分への手紙だったらどんなにいいだろうと考えました。

「よし、ローラー作戦だ。僕一人では無理でも、しちろうがいればきっとなんとかなるな」

 やるべきことが見えたので、アルビノーニは俄然やる気になっていました。しかし、人間の言葉が話せないしちろうは不安になりました。手紙を渡す相手が見つかったとして、いったい何と言って渡せばいいのでしょう。

 するとアルビノーニは笑って教えてくれました。

「簡単だよ。こう言えばいい。ラブレターをあなたに。『ラブレターチューユー』」


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