第2章

【第2章】

 手紙を渡す相手はてっきり人間だとばかり思っていたアルビノーニは、このあたりにあまり人間がいないことをしちろうから聞いてがっかりしました。それでもうやけっぱちを起こして、いろいろな動物にきいてまわることにしたのです。

 アルビノーニはほかの動物の言葉がよくわかりません。それどころか他の生き物のことなんてほとんど何も知らないのです。なにしろ今まで人間と一緒に暮らしてきたのですから。

 そこはしちろうの出番でした。今までどこか偉そうにしていたアルビノーニに、いろいろなことを教えてあげるのはしちろうにとって随分誇らしいことでした。



 アルビノーニはぶんぶんとせわしない虫を見つけました。しちろうは「あれはミツバチだよ」とアルビノーニに教えて、「君は手紙を待っているかい?」とミツバチに聞きました。

「待っていないよ。おいらが待っているのは花のにおいを運んだ風さ」

 ミツバチはくるりと旋回して行ってしまいました。


 アルビノーニはパタパタと飛ぶ鳥を見つけました。しちろうは「あれはムクドリって言うんだ」とアルビノーニに教えて、「君は手紙を待っているかい?」とムクドリに聞きました。

「待っていないよ。私が待ってるのは木の実が赤く熟れる季節よ」

 ムクドリは高い木の上へ飛んでいきました。


 アルビノーニはむしゃむしゃと草を食む大きな動物を見つけました。しちろうは「あれは牛に決まってるじゃないか」とアルビノーニに教えて、「君は手紙を待っているかい?」と牛に聞きました。

「待っていないよ。わしが待っているのは一緒に草を食べるいつもの友達さ」

 牛は一頭だけで食事を続けました。


 アルビノーニはぴょんぴょん跳ねている小さな動物たちを見つけました。しちろうは「あれは野兎以外の何物でもないよ」とアルビノーニに教えて、「君たちは手紙を待っているかい?」と野兎たちに聞きました。

「待っていないよ。あたいたちが待っているのはママの帰りだけだよ」

 野兎たちは巣穴に潜りこみました。


 アルビノーニはゆらゆらとしっぽを振っている動物を見つけました。しかし今度は、しちろうは何も言いませんでした。声が出ないのです。その動物を見た途端、全身が硬直してしまったのです。

 しちろうが何も言わないのにしびれを切らして、アルビノーニが言いました。

「君は手紙を待っているかい?」

 舌なめずりをした獣は、「待っていたよ」と言いました。その意味はアルビノーニにはちっとも伝わらず、しちろうには嫌というほどわかりました。彼が待っていたのは手紙ではなく美味しい獲物だったのです。

 なんとか我に返ったしちろうはアルビノーニを引っ張って素早く岩の隙間に潜り込みました。耳をつんざくような鳴き声がしました。それからしばらくの間、がりっがりっと爪が岩にぶつかる嫌な音が聞こえていましたが、やがて嘘のように静かになりました。

「もういなくなったんじゃないか?」

 そう言ってアルビノーニが岩の隙間から顔を出した瞬間、しちろうはアルビノーニの綿毛をつかんでぐいっと引っ張りました。毛が何本か抜けてアルビノーニは痛さに声をあげましたが、さっきまでアルビノーニの顔のあったところを鋭い爪が通過するのが見えると、もう何も言いませんでした。

 悪魔の執念深さと、忍耐強さはよく知っています。しちろうは岩の奥へと隙間が続いているのを見つけました。それはねずみの身体でもようやく通れるくらいの細い隙間でしたが、悪魔が待ち構えている出口よりはマシでした。その道をなんとか潜り抜け、二匹はようやく一息ついたのです。



「いったいなんなんだあれは!」

 恐怖と怒りに全身の毛を逆立ててアルビノーニは憤慨していました。しちろうは悪魔の恐ろしさを語って聞かせ、たいていのねずみの死に方と、それからついでに自分の夢のことも話しましたが、アルビノーニはあんまり聞いていませんでした。

 それよりも狭い道を通ったせいでくしゃくしゃになってしまった手紙のことを、ひどく嘆いていました。

「こんなんじゃもう手紙を渡せない。リリーになんて言えばいいんだ」

 しょんぼりとするアルビノーニに、しちろうはずっと思っていたことを、でも言えなかったことをおずおずと伝えました。

「ねえアルビノーニ、その手紙、おれにくれないかい?」

「しちろうに?」

 アルビノーニは元から丸い目をさらにまん丸くしました。しちろうは慌てて言いました。

「駄目ならいいんだ。でも最後の最後まで誰にも渡せなかったらきっとリリーは悲しむと思うんだ。けれど、こう言ったら少しは慰めになるだろう?『あなたの手紙なら一匹のねずみが持ってるよ』って。だめかな?」

 アルビノーニはしばらく考えていましたが、やがてしちろうにむかって微笑みました。

「そうだな。誰にも渡せないより、お前に渡した方がいいに決まってる」

 そう言ってくしゃくしゃになった手紙を差し出しました。

「君は手紙を待っているかい?」

「ずっと待ってたんだ」

 しちろうは嬉しくて泣きそうになりました。


 アルビノーニに促されて、しちろうは手紙を開けてみることにしました。さっきアルビノーニがしたのよりももっともっと丁寧に、ハートのシールを剥がしました。折れ曲がった手紙を開けるのはさっきよりもずっと難しかったのですが、どうにかしちろうはどこも破くことなく空色の便せんを引っ張り出しました。でもやっぱり字が読めなかったので、アルビノーニにかわりに読んでもらうことになりました。

 手紙にはこんなことが書いてありました。



 わたしはあなたをあいしています

 あなたがどこのだれかはわからないけれど

 このせかいにあなたがうまれてくれたこと

 わたしのてがみをよんでくれたこと

 わたしがいきていたことをしってくれたこと

 そのすべてにかんしゃします

 あなたがそこにいてよかった

 わたしはあなたをあいしています

 こんなわたしがせかいのどこかにいきていたこと

 どうかそれだけおぼえていてください

 わたしはあなたをあいしています



 しばらくの間、二匹は何も言えませんでした。

 突然しちろうは大粒の涙を流しました。それを気の毒そうに見つめて、アルビノーニもがっくりと肩を落としました。あんなに苦労して運んできたのに、手紙の宛先は誰でもよかったのです。それなら女の子の家を出て、すぐ玄関先で鉢合わせた新聞配達の少年に渡してもよかったのですから。

 けれどしちろうは違いました。しちろうは嬉しくて泣いていたのです。

「はじめてなんだ。誰かに愛されるなんて。おれは天涯孤独のひとりっこだからずっとずっと寂しかったんだ。でもおれ、ひとりぼっちを我慢して生きててよかった。この手紙を読めてよかった。やっぱりこれはおれ宛ての手紙だったんだ」

 そう言ってわんわんと泣くしちろうを、アルビノーニは優しく微笑みながら見つめました。そして言いました。

「リリーに、返事を出してみないか?」

 しちろうはきょとんとしました。それから目を輝かせて頷きました。

「返事!出したい!『素敵な手紙をありがとう。おれも君を愛しています。』ってそう伝えたい!」

 けれどしちろうは手紙なんて書けないし、人間の言葉は難しくてよくわかりません。そのとき手紙に貼られたハートのシールが目に入りました。そのマークの意味は最初にアルビノーニに教えてもらいました。

 しちろうはハートのシールを切り取り、大事に抱えました。この印と、唯一覚えた言葉をリリーに渡そうと思ったのです。忘れないようにもう一度、噛みしめるように繰り返しました。


「ラブレターチューユー」

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