第3章
【第3章】
二匹は急いでリリーの家へ向かいました。荒野を駆け抜け、ロパの木を通過し、目指すは街と呼ばれる人間の住処です。アルビノーニが一匹で旅してきた道を、今度は二匹で。
道中しちろうは、もらった手紙の内容を歌うように呟きながらいきました。生まれて初めてもらったラブレターですから、すっかり暗記してしまったのです。
「リリーはどんな人かな?」
「それはそれは綺麗な子だよ」
「おれを見たら何て言うかな?」
「きっと喜ぶに決まってるさ」
しちろうは急に自分の見てくれが気になりだしました。たいていのねずみは自分と似たような色をしていましたから今まではちっとも気にしていなかったのです。けれどアルビノーニと出会ってからはすっかり惨めな色のように思えました。だってアルビノーニの体は本当に綿毛のように真っ白なんですから。
その時、夕陽に照らされたアルビノーニの毛色がいつもと違って見えるのに気がつきました。陽の加減のせいか、なんだか茶色く薄汚れているようです。長い旅の間、きっと水浴びもできなくて、土ぼこりに汚れてしまったんだと思いました。
そして、野生の中で暮らしていた自分はどれだけ汚れていることだろうと、また、心配になりました。
「少し休憩していく?体の汚れも落とした方がいいかな?」
「いや、時間がない。急ごう」
アルビノーニはなぜかとても急いでいました。時々息を荒くして、辛そうな顔をしながら太陽を睨んでいました。「リリーのことを思いだしているのかな」としちろうは思いました。
何度か休もうかと提案しましたが、その度アルビノーニは断り、苦しそうな顔をしながら走り続けました。しちろうはアルビノーニのことが心配でしたが、それ以上は何も言えませんでした。
「きっとリリーにはやく会いたいんだろう」
それはしちろうも同じでした。
丸一日走り続けて、二匹はとうとうリリーの家へ、アルビノーニが暮らしてた家へたどり着きました。リリーの部屋は二階の小さな窓です。二匹は壁を駆け上がり、窓枠から中を覗き込みました。
しちろうは息をのみました。そこには真っ白な体の女の子がいました。アルビノーニ似た白さでした。なんて綺麗な人間でしょう。彼女は眠っていました。眠っているように見えました。
「もしかしてルビーの瞳を持っているのかもしれない。瞼をあけないかなぁ。ねぇ、どうなんだいアルビノーニ?」
返事はありません。アルビノーニは青ざめた顔をして蹲っていました。
「どうしたの?」
驚いてしちろうが聞くと、アルビノーニは震える声で答えました。
「あれは僕のリリーじゃない。見た目はそっくりだけど、中身が空っぽだ」
しちろうにはその意味が全然分かりませんでした。
「リリーの中身はどこへいったんだい?」
「空へ。彼女の敵である太陽が支配する場所へ、とうとう行ってしまったんだ」
アルビノーニは絶望したように呟きましたが、やっぱりしちろうには意味が分かりませんでした。遠くへ行ってしまったのなら追いかければいいだけだと思いました。
そう告げると、アルビノーニは「駄目だ!」と、激しく怒ったように叫びました。しちろうは戸惑いながら言いました。
「どうして?遠くったって平気だよ。女の子にお礼の言葉と、ハートマークを渡したいんだ」
アルビノーニは深く息をはきました。長い長い沈黙があって、それからしちろうをまっすぐ見つめて言いました。
「お前は連れていけない。僕だけが行く」
その言葉にしちろうは頭を殴られたようなショックを受けました。
「なんでおれだけ駄目なんだ?一緒に行こうって言ったじゃないか」
アルビノーニは黙ったまま、背中を向けました。
「アルビノーニ」
呼びかけてももう何も答えてくれません。しちろうはわけがわからずに混乱しました。何か、アルビノーニを怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。険しい道のりを乗り越えられないほど弱虫だと思われているのだろうか。
出会いは偶然だったにせよ、アルビノーニとは楽しく旅をしてきました。一緒に頭を悩ませたり、危ない目にもあったりして、いろんなことを乗り越えてきました。何より、大事な手紙を届けてくれたのはアルビノーニです。大切な友達と離れたくはありません。
「きみはおれの初めての友達だったんだぞ」
その言葉にアルビノーニははっとして、それから小さな声で言いました。
「僕だってしちろうがはじめての友達さ」
思わず駆け寄ったしちろうを、アルビノーニは睨みつけました。
「それがどうした。手紙は届けたんだから友達ごっこは終わりだ。お前とはもう友達でもなんでもない」
しちろうは「そうか」とだけ言って、静かにその場を去りました。アルビノーニはしちろうの背中が夕闇に完全に消えるのを見届けてから、誰にも聞こえないような声で呟きました。
「ごめんよ、しちろう。お前は何も知らないから知らないままでいたほうがいい」
そうしてその場に座り込みました。しばらくの間、誰も何も動きませんでした。
その晩は優しい色の月が出ました。その柔らかい光の中で、小さく動く影がありました。しちろうです。しちろうが戻ってきたのです。鼻をひくひくさせながら、アルビノーニに少しだけ近寄り、立ち止まり、また近寄っては立ち止まります。
「アルビノーニ…?」
手を伸ばせば触れるほどの距離にきましたが、アルビノーニが立ち去らないのでしちろうはほっとしました。
「思い出したんだ。君、手紙を届けたらおれのおねがいをなんでもかなえてくれるって言っただろう?アルビノーニ、一緒にいてくれよ。それがおれの願いだよ。隣にいてもいい?」
アルビノーニはなにも言いません。けれどさっきのように怖い顔をして睨むこともありません。もう一度拒否されたら今度こそ諦めるつもりでした。けれどアルビノーニは否定も肯定もしません。しちろうはそっとアルビノーニの隣に座りました。
その顔を覗き込むと、アルビノーニの目は閉じられていました。
「眠ってるのかい?そうか、きっと疲れたんだ。君はまるで死んだように眠るんだな」
誰も何も言わず、時間だけが過ぎていきました。アルビノーニがあんな風にしちろうを拒絶したのにはきっとわけがあるのだと思いました。そしてその理由を話してくれる時を待とうと思いました。だって友達のことは信じるべきなのですから。
やがて東の空に太陽が顔を出しました。眩しい光がしちろうとアルビノーニのところまで届きました。するとアルビノーニの綿毛の体が昨日よりももっと濃いまだらな土色に変わっていることにしちろうは気が付きました。
「どこかで水浴びをしなきゃいけないな」
しちろうはもう一度アルビノーニの横顔を見つめました。朝になってもまだルビーの瞳は閉じられています。その横顔はあまりに穏やかで、なんだか胸がつまるような気がしました。
しちろうは自分の夢のことを思い出しました。
「きみは死んだように眠っているけど、おれは眠るように死にたい。そう言ったことを覚えてる?」
アルビノーニが聞いていても、聞いていなくても、言葉にしておきたいと思い、しちろうは独り言を続けました。
「今でもその夢は変わらないよ。でももうひとつ、夢が増えたんだ。リリーに会いにいこう。もちろんおれ達一緒にね」
死ぬために生きてきたしちろうが、初めて友達を見つけ、生きる目的を持ったのでした。
手紙をもらってどんなに嬉しかったか、アルビノーニと出会えてどんなに楽しかったか、リリーに伝えたいことはたくさんありました。けれどたった一言で充分でしょう。
「ラブレターチューユー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます