第九章:葉桜の実は揺れて

「それで、昨日リハビリも終わって、ちょうど同じ日に退院した同級生の男の子にも会ったってLINEが来たの」


「良かったね」


 久し振りに会った級友同士で賑わう教室の中ではごく大人しい声で話し合っていても、あの子の声はすぐ分かる。


森谷もりや、おはよう」


 横合いから飛んできたガラガラ声に思わず振り向く。


「あ……」


 笑顔で挨拶してきた面影には見覚えがあるが、自分より頭半分背が高くなり、声も変わっている。


「おはよう」


 同じクラスになった体操部の仲間だ。


「随分背、伸びたな」


 この彼は休校前は中背の自分よりやや小柄で、声も子供子供した感じに高かったのだ。


「休みの間に十センチ以上伸びた」


 二ヶ月で二歳くらい成長したように見える相手は一オクターブ低くなった声で笑って付け加える。


「家にいても手足が痛くて大変だったよ」


 特に連絡を取っていない相手でも、人はそれぞれ悩んで変化を遂げるのだ。


 今更ながらその事実に思い当たる。


「森谷君、おはよう」


 行こうとした方角からまた声がした。


 振り返ると、浅黒い勝ち気そうな笑顔にぶつかった。


「航先輩にそっくりだからすぐ分かる」


 ポニーテールの髪を微かに揺らしながら、相手は女の子にしては低めの声で語る。


「兄弟だからね」


 出来るだけ笑顔で応じる。


 この平塚さんは自分にとってはまだクラスが同じになったばかりの間柄だが、櫻子ちゃんや兄貴にとっては大事な仲間のようだから。


「そんなに似てるかなと思う時も俺は正直あるけど」


 大柄な平塚さんの隣にいる小さな櫻子は黙って大きな黒目勝ちの瞳を自分に向けている。


 刈り上げた髪はおかっぱにまで伸び、セーラー服を着た童女型の日本人形じみて見えた。


 この子は「女の子」に戻った。


 カッと胸の奥に火が点くのを感じる。


「山下さん、おはよう」


 他人行儀な呼び方だが、取り敢えずはここからまた「櫻子ちゃん」と自然に呼べるまでやり直そう。


 こちらを眺める小さな蒼白い顔の大きな瞳が一瞬潤んだ風に光った。


「翔君、おはよう」


 ガラス窓の向こうでは深緑の葉の影で微かにあかく色づき始めた桜の実が揺れている。(了)

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近くて遠い、僕らの距離。 吾妻栄子 @gaoqiao412

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