エピローグ

これが俺の運の尽き?


「ああああ……クソだるい。だるクソめんどい。仕事行きたくねー」


 どれほどの悲劇が起きようと、どれだけ俺がサボりたいと願っても。月曜日というものは全ての人間に平等に訪れる。シャツにネクタイを締めた俺は、朝から重い身体を引きずってとぼとぼ職場へ向かっていた。


 受けた傷は見た目が治っていても、奥の筋組織とかは完治していないらしい。朝から肩が上がらなかった。おかげで車じゃなくてバスで通勤するはめになってしまった。これも怪我のせいだ。歳のせいではないはず。


 学校も近くなればちらほら学生の姿が増え始める。まだ早い時間のはずだが、朝練でもするのだろうか。元気がいいな。分けて欲しいくらいだ。拒絶反応でもっと怠くなりそうだけど。


「おはようございます、柘弦つづる先生」


 いきなり後ろから挨拶されて振り返る。誰かと思えば柳楽だった。学校モードのキラキラした笑顔である。


「柳楽、おはよう。朝早いな」


「先生こそ、今日はバスでの通勤なのですね。驚きましたよ。早めに起きていて良かったです。一緒に通学するチャンスを逃すところでした。……本当、見張っていてよかった」


「最後なんか不穏なことを呟かなかったか」


 見張るとか聴こえた気がするんだが。そういえばちょっと様子も変だな。俺のこと下の名前で呼んでるし、なにより距離が近い。腕組めそうな近さだ。


 さりげなく道の端に寄って距離を取ると、柳楽も付いて来る。おかしいな、遠くならない。んんー、二人きりの時の距離感で慣れてしまったとかか? しかしここは公道。少ないとはいえ、たまに浦葉うらはの生徒ともすれ違う。


「おい柳楽、ちょっと近すぎるから離れてくれ」


「そんな、互いの深い内側を見た仲ではありませんか」


「公道で絶妙に誤解を招く発言は控えろ。あれは正しく内臓だ、グロ画像だ」


「そうだ、お身体のほうは平気ですか? お互い無理をしましたし。背中の引っ掻き傷、大丈夫でした?」


鉤爪かぎづめえぐられたやつね!? 肉ごっそり削れたから皮が突っ張ってるよ。つかお前、さっきからわざとだろ」


 このままではらちが明かない。柳楽の腕を掴んで路地に入る。表から顔が見えないくらい奥へ進み、俺は柳楽と向き合った。


「なんで誤解されるようなことばかり大声で言うんだ」


「外堀から埋めようと思いまして」


「俺の教師生命が埋葬まいそう間近だよ」


 人をからかって何がしたいんだよ。前は人目に触れる場所でそんなことしなかったのに。


「いやね、考えたのだよ。貴君の不幸体質をどうにかする方法。柘弦つづる先生に祝福を授けた者がこの世にいないのだから、今すぐ解決することはできない。一度依頼を受けた以上は、もちろん他に方法がないか調べ続けるが……。一つだけ、緩和策を思いついた」


 嫌な予感がしながらも、俺は相槌を打つ。


「なにを思いついたって?」


「貴君は自分が不幸になることで、周囲の人間に幸運を与える体質だ。ならば、貴君が不運な目にあうと不幸になる者が傍にいたらどうなる? 私の考えではね、貴君の不運体質は大幅に改善される。つまり貴君が怪我をすれば泣いてしまうような、貴君を心の底から大切に思う存在がいればいいのだ」


「―――――まさか」


「そう、そのまさかだよ。つまりは恋人! いては伴侶だ! しかし貴君には今そういう相手がいないだろう? だから私がその役割を担おうというのだ。たとえ演技混じりでも周囲と貴君の認識を騙せれば……まあ、なんとかなるだろう。手始めにこれを」


 頭のおかしなことを言いながら学生カバンから一枚の用紙を取り出す。


「これは柘弦先生に提出するものだろう? 遅くなってすまないね」


 進路調査書だ。そういえば柳楽はまだ出していなかったな。今日の柳楽はなんか言動が変だが、進路の問題は本人の意思に関係なく突きつけられるものだ。教師としてしっかり、書き間違えがないか上から順に確認を……。


『第一志望:春高はるたか柘弦つづる先生のお嫁さん(旦那でも可)』


「がっ――」


 絶句だった。校内で一二を争う優等生が、いきなり頭の痛い子になってしまった。あと旦那でも可ってなんだ。昨今の危ういジェンダー論争へのご配慮ですか。


「…………きっ、気遣いは嬉しいが、そこまでしてもらう義理がない。そもそもお前、こんなことしたら俺のこと好きだって周りに誤解されるぞ」


「誤解されるくらいじゃないと効果はでないぞこの策戦。それに以前も言ったと思うが、私は恋愛というものがよく分からない。結婚観も、子孫さえ残せればいい、というように合理的なものだ。柘弦先生は身体は丈夫だし浮気の心配もなさそうな真面目さを秘めている。それに、私のいみなも知っているしね」


いみながなんだっていうんだ」


「鈍いな、貴君は。巫女のいみなは両親ですら知らない。主人以外には人生を添い遂げる伴侶、つまり、夫にしか明かさないものなんだ、普通」


「そんな普通は聴いてない」


「言ったと思うがな? あ、さては痛みで私の話をしっかり聞いていなかったのだろう」


 呆れたようにため息をつかれた。話を真面目に聞いてなかったのは事実なので言い返せない。しかし、これはさすがに。


「悪いが、これは却下だ。俺は何があろうと未成年には手を出さないと決めている」


「以前から思っていたが、なぜ未成年なのかね? 女子高生避けの宣伝文句なら高校生でいる間は、と言えばいいではないか」


「当人の気持ちがどうだろうと、大人として未成年の判断に流されるつもりはねぇって意思表示だよ。それに、高校出て一、二年すれば、高校教師みたいのへの興味は無くなるだろ」


 教師の魅力なんて、閉鎖された空間でちょっと親身になってくれる異性というだけだ。社会に出ていろんな奴と出会いを繰り返せば、高校生の頃に好意を寄せていた相手のことなんかすぐ忘れる。


「なんだ、なら問題ないな」


「どういう意味だ」


「私は中学を出てから一年ほど、人脈を作りに海外を飛び回っていた。だから高校入学は他の者より一年遅い。つまり、私は今十九歳なのだよ。しかも四月生まれだから、卒業して数か月後には、貴君の条件から外れるぞ?」


「マジ、かよ……。じゃあ俺、お前の年齢を誤解してたってのか。……あれ?」


 じゃあ前に柳楽が言ってた、橋から落ちた奴を見たのって、俺が修学旅行で橋から落ちたのと同じ年?


 そんな偶然あるはずないと思って柳楽を見れば、彼女は少年のような勝気な瞳でニヤリと笑う。


「これはあの時、貴君が私の大切なものを拾ってくれたお礼でもあるのだよ、柘弦つづる先生。私はあの頃から貴君のことを憎からず好いている。もちろん人としてという意味だがね。この気持ちはあの頃からずっと変わらない。

 だが将来までは分からないな。人の気持ちは移ろいゆく。うっかり演技も忘れて貴君に本気で惚れてしまうかもしれんぞ? なにしろ私は恋愛初心者だから」


 照れもせずそんなことを言う。俺のほうが赤面してしまった。ニヤニヤと俺の顔を覗き込む柳楽は、思い出したというように学校の方向を仰ぐ。


「ちなみに今日あたり校長から、山尾先生の代わりに四組の担任として常勤講師にならないかと話を持ちかけられると思う。そうすれば学校でも一緒にいる時間が増えるな。堂々といちゃつけるではないか」


「いちゃつかねえよ!」


「何にせよ、どうやらまだ長い付き合いになりそうではないか。これからもご指導ご鞭撻べんたつよろしく頼むぞ? 柘弦先生」


 いたずらっぽい表情を浮かべた柳楽は、俺の肩を叩いて先に路地を出た。残された俺はその場に屈み込み、頭を抱えて苦笑するのだった。――あの日発揮してしまった、らしくもない遊び心を悔やみながら。




 不運な俺が不運なまま、柳楽紗希という少女と出逢っていた事実を、はてさてどう解釈していいものか。


 この後お給料が増えるかもしれない現役国語課教師としては、四個ほど妥当そうな可能性を提示し選択問題にしたくなるわけだが。どれが正解なのかてんで分からない。採点のしようがなかった。


 けれど一つだけ確かなことがある、と。俺は立ち上がって歩き始めた。


 彼女との出逢いが幸運だろうと不運だろうと関係なく。


 こうして、神様を信じていなかった俺と、神に愛された彼女の物語はもう少しだけ続いていくらしい。






  命運廻りて巫女と逢う ~不運な教師と神の名代~ 了


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命運巡りて巫女と逢う 〜不運な教師と神の名代〜 まじりモコ @maziri-moco

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