38.頂、そして
新王タワーの頂上は展望台になっている。
階段を上がり、閉ざされた扉のノブに手をかける。
ここまで来た。この向こう側に、榎音未さんがいるという確信だけが存在している。
逆に言うと、それ以外の確信はない。榎音未さんが何を考えているか、この状況に対して榎音未さんがどのような意図を持って関わっているのか、それはわからない。
初めて会った時の榎音未さん。
私が五葉塾へ連れて行った榎音未さん。
私を信じると言ってくれた榎音未さん。
私に勉強を教えてくれるといった榎音未さん。
ファーストフードで先輩に過去を語った榎音未さん。
そして、この事態の渦中にいるであろう榎音未さん。
全てが同じ榎音未さんのようでいて、同時に全てがチグハグであるようにも思える。
本当のところ、私は榎音未さんのことをどの程度理解出来ていたのだろう。
私は、自分自身のこともわかっていなかったのに。
『瞳』を確認する。存在を今でも感じる。私を構成する言葉は、今でも私の全身を巡っていて、力を与えてくれている。
概念刀も、その存在に翳りは存在せず、同時に私は概念刀を完全に制御下に置けている感覚があった。自分を知ることが、世界に影響を及ぼすことがあるのだろうか?
私は世界を《言葉》として視ることが出来て、それは私の《視えると信じること》の範囲で可能となっている。
ドッペルゲンガーとの戦いで、私は確かに視えるものが増えたと感じている。
それは、私の戦闘力までをも向上させているのだろうか?
そこまで考えて、どうして私は戦うことにそんな意識をしているのだろうと思う。これから会うのは榎音未さんで、敵ではないはずなのに。
それなのに。
それなのに扉の前に立つだけで、空気は張り詰めていた。
まるでこの先に、決定的な宿敵がいるかのような、自らの運命がそこで待っているかのような、この扉を開けることが私の人生に最初から決まっていたかのような、そんな予感。
「……」
それでも、私はそこに立っていた。進む覚悟が出来ていた。
私を信じると言ってくれた人たち、ここに送り出してくれた人たち、その人たちの言葉が私を支えていた。
「榎音未さん」
私は扉に手をかける。力を込める。
あっけないほどに、扉は開いた。鍵もかかっていなかった。
扉の向こう側は、展望台というには何もなかった。空中で人が立つための人工的な地面だけが残されて、落下防止用の窓ガラスや手すりや、天井は何も存在していない。
ただ、街を見下ろすことの出来る高台がそこにあった。
風が吹いている。
タワー頂上付近であるというのに、街は見えなかった。
漆黒。遥か階下、地面に広がるものはそれだった。全てが溶け合っていて、そこにはもう光も届いていなかった。
この世界をどうやれば修復出来るのだろう、と一瞬思うけど、思考を切り替える。
私がここにいるのは、世界の命運のためではない。
世界なんて私には、扱えない。
私にとって関われるのは、私の手が届くほんの少しの世界の一部。
それに集中する。それに専念する。それだけは、最後まで。
扉から離れる。一歩ずつ、私は頂を進んでいく。
依然として、空気は張り詰めていた。ドッペルゲンガーと対峙してきた以上のプレッシャー。この空気は、師匠のそっくりさんのものだろうか?
それとも、榎音未さんなのか。
しばらく歩いていた。数十メートル程度の円形であるはずの空間がやけに広く思えた。
そして、不意にその姿が見える。
巫女の正装に身を包んだ榎音未さんの後ろ姿が見える。
「榎音未さん!」
私は歩みを止めて、呼びかける。
その時、榎音未さんの姿が揺らぐ。
「ごめんなさい」
一瞬だった。私に油断なんてないはずだった。
榎音未さんの姿が揺らいだとその刹那、声は私が榎音未さんの姿を捉えていた前方からではなく、私の背後から聞こえる。
私の体が反射で動くよりもなお早く。私の帯刀していた概念刀を榎音未さんは抜いていた。
「……どうして?」
私の言葉と共に、口から紅が散る。
少し遅れて、私の体を刃が貫いていることを知覚した。
「私は、世界を疑う者」
榎音未さんが私の体に手を回す。まるで抱きしめるように、あの日、私を信じると言ってくれた日と同じように私に告げる。
「私は世界を壊す者」
概念刀が私から引き抜かれる。
さっきまで、制御下にあったはずの刀が、今は榎音未さんによって権能を奮っていた。
「この刀は、ただ怪異を切れるだけじゃない。因果を、概念を切断するもの」
榎音未さんが宙を切るように、概念刀を振るう。
その時、全てが切れた。
あなたは/化け物じゃ/ない。
私の言葉が切断されて、姿を変えていく。私の過去が、確かに掴んだはずの過去が歪んでいく。
私を駆動させていた、動機が奪われる。
「久遠さん、私は、あなたの敵です」
背中を押される。私の足がもつれる。血が地面に落ちていく。地面が赤くなっていく。視界が揺れていく。全てが曖昧になっていく。ここにいる意味が希薄になっていく。
どうして、私はここにいるんだっけ?
「だから、さようなら」
誰かが言ったその言葉と共に、私は頂上から落下する。
私を支えていた、言葉を取りこぼして漆黒の地面へと落ちていく。
落ちていく。
箱庭狂想曲 吉野奈津希(えのき) @enokiki003
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