第2話
(辛くなるだけ、か)
屈んでコンビニエンスストアの袋を手に取ると、ふらふらとリビングルームへと入る。袋の中、取り出そうと掴んでみれば、カップアイスのパッケージが汗をかいている。
エアコンを入れよう。そう蒼汰はリモコンに手を伸ばしたが、手が届く直前でやめた。
どさっと音が鳴るくらい、無造作にソファに座った。スプリングが沈み込む。足にかかっていた体重が減っていくのをただ感じた。
「……は」
溜息と一緒に漏れ出す音が、誰も居ないリビングに響く。嘲笑うようなそんな音だった。
『お前が――』
(――分かってる)
耳の奥でリフレインする、篤志の言葉。
『お前が辛くなるだけだと思うけどな』
(そんなことは、分かってるんだよ……)
誰よりも蒼汰の走る姿を見てきた、蒼汰が走るのを楽しんでいるのを見てきた篤志。競技は違えども、同じ陸上部で研鑽を積む仲間の言葉。
何も言い返すこと無いまま、何も言い返すことができないまま。閉じた口、歯軋りまでとはいかなくても、引き結んだ噛み合わせに力が入ったまま。
近くにあったクッションを壁に投げつければ、ぼすっと柔らかい音を立てて床に落ちた。
療養を言い渡されてからもう、三週間が経っている。
二週間経った時点でもう一度診てもらった際に、蒼汰は完治との言を医者に貰っていた。もう、足は治っているのだ。治っているのに、だ。
(馬鹿みたいだ)
いざ走り出そうとすれば足が竦んだ。
部活に行こうとすれば玄関扉を開けられなかった。
明日こそはと言い聞かせれば部活仲間が冷たい目で出迎える夢を見た。
(走るのが怖い、とか)
蒼汰にとっては今までにない経験だった。あれだけ好きだった走るという行為が、あんなに身近にあった走るという行為が、今では見知らぬ人のような未知のものにすら感じる。
ふと視線を横にずらせば、テーブルに置きっぱなしのカップアイス。
「あー……」
立ち上がり見れば、テーブルにぐっしょりと水溜りができていた。付けてもらったスプーンの包装を破いて、カップアイスの蓋を外して。
半分くらい溶けてしまったバニラアイスが、蒼汰には甘ったるく感じられた。
* * * * *
【いつ部活に来る】
その晩来たのは、そんなショートメッセージだった。
陸上、同じトラック競技で競っていた
【まだ足が痛むのか?】
開封をしないまま、中身を覗き見ているとそう続けざまに送られてくる。
「……!!」
【張り合いがない部活はつまらん】
【顔だけでも出せ】
本人もそこまで多くを語る男ではなく、それこそ普段は【分かった】、【そうか】、【ふうん】ぐらいしか打たない。そんな迅斗が珍しく文章を、それも何通もメッセージを打ってきた。他ならぬ、蒼汰へと。
まじまじと見つめる、その文面。
(張り合いがない、か)
自身のことを気にかけていてくれるということが嬉しいことは間違いないのに、それ以上の重圧を感じてしまう。蒼汰が休んでいた時間、迅斗は走っていた。己の足回りの筋肉が、触れればわかるくらいに落ちているのを知っている。
次に走ったとき、果たして自分は今までと同じように――迅斗にとって張り合いがある好敵手であれるのだろうか?
どれだけ頑張っても報われないと居なくなった先輩を知っている。たった一度の怪我で現役を引退した後輩を知っている。すぐ傍で見てきた現実の残酷さが、今度は自分の喉笛を噛み切ろうとしているんじゃあないか。
(……それでも、俺は)
小一時間考えに考え抜いた後、蒼汰の指がようやく動いて。
【必ず行くから待ってろ】
ただ一文、そうとだけ返したのだった。
サンダルでダッシュ! 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi
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