第16話 Old friends

学校が終わり、塾が始まるまでの夕方のわずかな隙間の時間。その時間を、私はいつもこの店で過ごしていた。学校から塾へ向かう坂道の終わり際、ひとつ暗い横道に入ったその奥。緑に塗られた木の扉に、「バッテン堂」と乱暴な文字の看板。


扉を開けると、古い店の中には上も、下も、右も、左も、くすんだ色の骨董品が雑然と積み重なっている。真鍮の置物やホーローの水瓶をかき分けながら奥へ進むと、その人は、まるで初めからその店の備品であったかのようにそこに座っているのだ。その人がフレンズなのだということを、私はつい先日知った。


「汝は悪い娘だ。学業をサボタージュしていつまでこの胡乱な魔女の巣に居座るつもりか?」

落ち着いた、柔らかなおばあさんの声。

「今日はちゃんと塾行くもん。ねえ、またコーヒー一杯淹れてよ。どうせ貴方も飲むんでしょう?」

「くっくっく。何と不遜な客人もあったものだ。よいよい。造作もないことだ。」


ストールを羽織った細身のおばあさん――、バッテン堂の店長さんはゆっくりと立ち上がり、コーヒーミルに豆を入れて挽き始めた。ラジオもついていない店内に、豆を挽くゴリゴリという音が響く。わたしの好きな時間。ミルを開けると、コーヒーのいい香りが辺りいっぱいに広がった。


「ふふ、よき香りだ。」

そういっておばあさんが鼻をひくひく鳴らすと、その頭から、にょっきりと2本大きな曲がった角が飛び出した。

「おおっと、いかん、いかん。油断したら角が出てしまった。」

フレンズの存在が公になった時、世界はそれなりに動揺した、らしい。(まだわたしが生まれる前だ。)


はじめて出会う自分たち以外の知的生命の存在や、物理法則を無視する不思議な粒子「サンドスター」の存在に、当時は世界中がそれなりのてんやわんやになった。しかし、サンドスターの不思議な力はフレンズにしか使えず、人間には効果がないこと、そして、フレンズそのものの数が人間に比べて大変少なかったこと。


その二つが重なって、世界の関心は急速に薄れてゆくことになった。世界中に散らばったフレンズたちは今でも各地の研究機関や政府機関でそれなりに活躍しているが、今ではちょっと変わったニンゲンという扱いを超えることはない。彼女も、――ブラックバックも、そんな帰化フレンズの一人であった。


おばあさんが栓抜きのような形をした杖をかざすと、その先から紫色をした炎がぽうっと立ち上がった。フレンズの力だ。

「すごい…!」

「凄くない。炎が出るだけだ。こんなもの、マッチの一本もあれば事足りる。」

サイフォン式のコーヒーメーカーに炎がともり、フラスコの中がボコボコと泡立った。


「ほれ。」

おばあさんは私にコンビニの肉まんよりちょっとだけ大きな、緑色の皮のまるいまんじゅうを手渡した。政府がフレンズに支給する、ジャパまんと呼ばれるフレンズの主食だ。

「黄泉戸喫(よもつへぐい)だ。これを食らえば、汝もフレンズになってしまうかもしれぬな。古事記にもそう書いてある。」

バッテン堂の主、ブラックバックはそう言って不敵に笑う。


そんなはずはない。サンドスターはちょうどニュートリノのようにフレンズ以外の物体を完全に直通し、人体に対しなんの影響ももたらさないことが科学的に知られている。100個食べても、フレンズになんかなりっこない。おばあさんの意地悪な冗談を聞きながら、コーヒーを飲むそんな時間が好きだった。


ある日のこと、いつものようにバッテン堂の扉を開けると、おばあさんが身支度をしていた。いつも炎を起こすときに使っている杖と、大きな黒いマント。普段は隠している頭の角も、今日は生えたままだ。聞けば、これがフレンズとしての正装なのだという。

「済まぬが今日は休業だ。これから出かける用事がある。」

「用事?」

「友に会いに行くのだ。旧い友に。」

「私も行く。」

「プライベートだ。」


何度か食い下がって、ついて行ってもよい、という所まではとりつけた。それでも、会話を聞かれぬよう離れたところで待つようにと厳しく咎められてしまった。冬も近い、晩秋の公園。その湖畔のベンチに、車いすを押す人影が現れた。黒いフードをかぶった、恐らくは若い女性。彼女もフレンズだろうか。


「久しいな、オーストラリアデビルよ。息災そうで何よりである。」

「ひさしぶり、ブラックバックちゃん。もう、すっかりおばあちゃんだね。」

「フレンズの寿命は、元となった動物の生息数と反比例する。法則が見つかった時は、皆驚いたな。」

「…そうだね。わたしは、もう絶滅した動物だから。」


「然り。まるで年を取っていない。ならば我が先に行って、地獄の様子を確かめてゆくこととしよう。」

「ふふ、変わってないのは、ブラックバックちゃんもだよ。」

「…すまぬな。汝一人を残してゆくことになる。」

「ううん。仲間は、いっぱいいるから。寂しくなんかないよ。」


「その点ツチノコなどは傑作であったな! …まさか後年になって日本での実物の生息が確認されるとは、本人夢にも思っていなかったであろう。ふはは、酒席のたびに不老不死の孤独がどうこうとか管を巻いていたのが全く使えなくなってしまった。」

「今ね、飼ってるんだって! 本物のツチノコ! この間久々に会ってね。ツチノコさん、今は世界中の爬虫類の保護活動をしているんだよ。」


黒いフードの女性はしゃがみ込み、車いすの人物に話しかけた。バッテン堂の店長さんよりもさらに細く小さな、しわくちゃの白髪のお婆ちゃん。その頭からは、おおきな濃い灰色の翼が生えている。

「ハクトウワシさん! わかる? ブラックバックちゃんだよ! ぶーらーっくーばっーく!」


車いすのお婆さんはうなだれたまま、ゆっくりと頭を揺らすだけ。

「最近はねえ、もうほとんどずっと寝ちゃってるの。今日も、もしかしたら起きてくれるかもって思ったんだけど。せっかく会いに来たのに、これじゃ意味ないよね。ちょっと起こしてみようか?」

「いや、よい。顔を見られただけで僥倖だ。」


ブラックバックが、しわくちゃにたるんだハクトウワシの頬に手の甲を当てる。

「久しいな。我が友、我が宿敵よ。お互いすっかりお婆ちゃんだ。もはや、決着をつけることも叶わぬ身となってしまった。」

車いすを公園の池の見えるベンチの横につけ、その傍らに腰を下ろす。


「しばらく、二人になりたい。オーストラリアデビルよ、済まぬが、そこのカフェで温かいコーヒーを買って来ては貰えぬか。」

「…うん。じゃあ、何分ぐらいで戻ってくればいいかな。」

「それほどの時間はいらぬ。買ってきたら、すぐに戻って来てくれてよい。第一ここは冷えるからな。老体には堪える。」


ちいさな湖の反対側から覗いていた私に、もちろん会話の内容はわからない。でも、その二人の光景を見て、私はあるメロディーを思い出していた。学校の掃除の時間にかかっていた、さびしくてもの悲しい、でも美しいその旋律を。


「Old friends.


Sat on their park bench


Like bookends...」


数日して。バッテン堂の中はもぬけの空になっていた。あれだけあった骨董やがらくたの類も、どこかの業者と思しき2トントラックに続々と積み込まれてゆく。思わずそのトラックに駆け寄ると、おおきな腕の運転手さんが私にと手紙を渡してきた。宛名には私の名前と、「我がフレンズへ」という文字。


手紙の内容は簡潔であった。もう仕事を続けられないこと。残りの人生をフレンズが暮らす政府の施設で過ごすようになること。それはここから遠く、会いに行くのは難しいだろうということ。

「信ずるに足りる友を持て。たとえ会えなくとも、何十年経とうとも、心の中の友情の炎は決して消えることはない。汝とのひと時、この魔女の日々のどれだけの潤いとなったか。楽しかった。ありがとう。汝の永遠の盟友、ブラックバックより。」


あれから何年経っただろう。バッテン堂の入っていた古いビルも取り壊され、ショッピングモールに通じるアーケードの一部になってしまった。大人になった今でも映画を観に行ったり、洋服を買いに行くためにそのアーケードを通る。そのたびに、あの黒い角の魔女との日々の断片を小さな宝物のように思い出すのだった。

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むいのらくえん @ameyamatelegraph

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