第15話 時には昔の話を

 アメリカビーバーは自身がまるで見えなくなるほど大量の葦の茎をまるく束ねて、えっちらおっちらと遠く自分の水場からブラックバックの元まで運んできた。ジャパリ団の本拠地、打ち捨てられた日本家屋の茶室の茅葺き屋根の材料にするためである。

「すぐ使うんじゃなくて、しばらく乾燥させておいた方がいいっすよ。冬まで囲炉裏の上に置いて燻しておくのが理想っすね。」

「感謝の言葉もない。これで茶室も雨漏りしなくなる。」

フレンズである彼らは知るよしもないが、パークの建築物の多くは観光客向けの簡素なセットに過ぎない。ジャパリ団本拠地も見かけこそ立派な武家屋敷の趣であるが、実際はコンクリートや合板で作られた近代的な造りであったし、しばしば雨漏りした茶室の屋根も表面だけをかろうじて葦の茎で葺いてあるだけで、内部は張りぼてのスカスカだ。

それでも、床の間だけは床柱もあるそれなりに立派な造りであった。ブラックバックより供された茶と茶菓子のかりんとうをかじりながら、ビーバーはそのよく手入れの行き届いた床の間に目をやった。「ジャパリ団!」と乱暴な筆で描かれた掛け軸に、控えめに活けられた季節の花。そして、それを収める丸く大きな花瓶。まるで、ジャパリ団の3人そのもの姿のようであった。

「いいっすね、これ。」

ビーバーから自然と声が漏れた。

「掛け軸はタスマニアデビルが書いてくれた。花はオーストラリアデビルが折を見て活けてくれている。」

「言わなくても分かるっすよ。花瓶も綺麗っすね。空色の、まるい形で。」

「これは元々水瓶だ。素焼きの上に絵付けしてある。」

「え、じゃあこれブラックバックが焼いたんすか?」

「はは、まさか。これは貰ったのだ。フタコブラクダからな。」

ブラックバックの口からフタコブラクダの名前が出ると、その表情が柔らかくほころんだ。

「…我の宝物だ。我の師であり、我の友であり、そして、我の母であった者の。」

床の間から花瓶を――、フタコブラクダの水瓶を持ち上げ、愛しげに頬を寄せる。

「たまには、昔話をしてみたい。付き合ってくれるか、アメリカ―ビーバーよ。」

「いいっすよ。お菓子と、お茶をもう一杯貰えるなら。」

「造作もない。しばし待たれよ。」

そうして、ブラックバックは静かに語りだした。


 場面は変わって、リウキウビーチにほど近いカフェである。大粒のベリーのトッピングに、白いココナツクリームのたっぷりとかかった豪勢なパンケーキを目の前にしても、オーストラリアデビルはじっと俯いたまま顔をあげようとはしなかった。

「…美味しいわよ? ね? 食べて?」

ハクトウワシが促す。

ゆっくりと、小さなスプーンでこそげ取るようにパンケーキを口に運ぶオーストラリアデビル。やはり、ハクトウワシの顔を見ようとはしない。無理もないことだ。ハクトウワシはそう思った。ずっと一緒にいた、大好きな、大切なブラックバック。それを突然、よく分からん女が横からかっ攫おうとしている。

ジャパリ団のうちのもう一人、タスマニアデビルとはこのリウキウビーチでも何度か遊んで友好を深めることに成功しつつあった。だが、オーストラリアデビルとは会話の上手い糸口すら掴めそうにない。何を話せばいいだろう、何を話せば、彼女の警戒を解くことが出来るだろう。そう悩んでいると、店員が水のお代わりを運んできた。

「めずらしいお客さんだねー。ちょっと雰囲気が暗いけど、なにか修羅場だったりー?」

大きな耳に、平板な声。フェネックは勝手に椅子を引いてハクトウワシの隣のテーブルに腰かけた。

「甘いパンケーキは苦手かい?」

「あ、…いえ、美味しいです。」

オーストラリアデビルがようやく口を開く。

「ハクトウワシもさ、オーストラリアデビルに何か聞きたいこととかあるんじゃないかな?」

フェネックにのぞき込まれて、今度はハクトウワシが答えに窮してしまった。何を聞けばいい。いや、何も聞きたいことがない。仲良くしようにも、自分はオーストラリアデビルのことをほとんど何も知らないのだ。

それはオーストラリアデビルも同じことであった。ハクトウワシのことなど何も知らない。ただほんの数度、巨大セルリアンを追う中で言葉を交わしたことがあっただけだ。だから、オーストラリアデビルはわずかなその記憶の中から、ハクトウワシに伝えるべき言葉を探し当てた。

「あの…、あのときは、ありがとうございました。チョコレートフォンデュ、とっても、美味しかったです。」

一瞬虚を突かれたハクトウワシも、すぐにゴコク地方での夜のことを思い出した。あのときはまだ、ブラックバックを特別な存在だとは思っていなかったころだ。

「…あっ、ええ。ええと、どういたしまして。」

「…美味しい。」

大きく切ったパンケーキの一切れをゆっくり噛んで飲み込んでから、オーストラリアデビルはぽつりと語りだした。

「…美味しいものを食べると、思い出すんです。ブラックバックちゃんと、初めて出会った日のことを。暑い日でした。荒れ野原で、日差しを遮るものもなくて。あの時食べたジャパまん。…あれより美味しいものは、もう二度と食べられないと思う。」


 ふたりは、ほとんど同じ時刻、ほとんど同じ場所に、共にフレンズとしての生を受けた。見慣れない自分の身体。聞き覚えのない自分の声。目の前にいる、自分とよく似た姿をした真っ黒い生き物。何も分からないまま、オーストラリアデビルはタスマニアデビルの手を取って歩き出した。

パークの中でも特に暮らすフレンズの少ない、乾燥したステップ地帯に生まれてしまったことは彼女たちの不幸であった。行く当てもないまま、ぎらぎらと太陽の照りつける荒野を何日もさまよった。口にとげが刺さるのを顔をしかめてサボテンをかみ砕き、泥臭いミミズを我慢して飲み込んだ。

そうして、いよいよ日差しを遮るものもない草原のど真ん中にへたり込んだ。空腹ものどの渇きも耐えがたいが、それよりもからだの中から生きる気力そのものが漏れ落ちてゆくような疲労感が二人を動けなくさせていた。指先を見ると、その先端がきらきらと光を放つ粉となってぽろぽろと崩れ落ちてゆく。

フレンズの身体を維持するためのサンドスターの供給が途絶え、肉体を構成するけものプラズムが分解されてゆく、末期的症状である。

「きれい…。」

オーストラリアデビルは、ぼんやりとそれを眺めていた。考えられることは何もなかった。ただきらきらと輝く光の粉が舞う、そのさまが美しいと思った。

目を閉じれば、恐らくもう二度と開けることはできない。だから、最後に綺麗なものを見て目を閉じよう。そう思って、ほんの数日一緒にいただけの、まだ名前も知らない仲間と身を寄せ合って大地に横たわった、そのとき。

「おい! 君たち! こんなところで何をしている! 君たちはフレンズか!?」

飛び起きたのはタスマニアデビルのほうであった。うなり声をあげて歯を剥き、オーストラリアデビルをかばうように威嚇のポーズをとる。

「先日の噴火で生まれたフレンズか。大丈夫だ。わたしは、敵じゃないよ。」

声の主は敵意がないことを示すために手のひらを広げ、ゆっくりと近づいてくる。

「があっ!」

タスマニアデビルの鋭い爪が、声の主の無防備な腕をとらえる。衝撃と共に、一瞬遅れて爪痕が現れ、傷口から赤い血がしたたり落ちる。

「あ…!」

自分の行為に、愕然とするタスマニアデビル。

「…だいじょうぶ。おいで。水も、食べるものもあるよ。」

腕から血を流したまま、声の主はタスマニアデビルを自分の真っ黒いおおきなマントの中に抱き寄せた。

「…怖かったね。もう、大丈夫だから。」

「うわっ…! うわああああああああんん!!」

タスマニアデビルはとめどもなく泣き出した。

「君もおいで。お腹が空いているだろう。」

声の主は背負った荷物を降ろし、大きな水瓶とまるい大きな饅頭を二人に差し出した。

「まずは食べよう。君たちが何者なのか、これからどうするのか、それはこれを食べてから考えよう。おいで。」

声の主は優しく手招きした。オーストラリアデビルは、声の限りに泣き叫んだ。


「…それが、その水瓶っすか。タスマニアデビルさんと、オーストラリアデビルさんにお水を飲ませてあげた時の。」

「我は自分がされたことと同じことをしただけだ。かつてフレンズとして生を受けた時、照りつける太陽の下で、ヒトコブラクダと、フタコブラクダに出会った時と同じことを。乾いた我に、水瓶いっぱいの水を飲ませてくれた。飢えた我に、お腹いっぱいのジャパまんを食べさせてくれた。自分が実際にやってみれば造作もない。フレンズとして当然の行いだ。わざわざ礼を言う必要もないようなことだ。…だが。」

ブラックバックが目を伏せる。

「…受けた方は、決して忘れぬ。その恩を、生涯かけて返さねばならぬと思うようになる。」

ブラックバックの言葉を聞きながら、ビーバーはことさらゆっくりとひと口、茶碗の中の緑茶をすすった。温かい湯のなかに溶けた青い渋みと柔らかな旨味、その味を脳裏に刻み付けて決して忘れてしまわぬように。


「うわっ! な、汝ら、すっかり肌が深き紅きの夕暮れの色に染まっているぞっ!? 闇の勢力からの精神攻撃でも受けたのかっっ!!?」

「やあねぇ、ちょっとビーチで遊んできただけよ。ああ、もう、すっかり楽しんじゃったわ! やっぱりリウキウの海は最高ね!」

ハクトウワシの傍らには、互いに寄りかかってすうすうと寝息を立てるタスマニアデビルとオーストラリアデビルの姿があった。3人とも、水着の形にこんがりと小麦色の肌。明日明後日ぐらいは水浴びするのも難儀するだろう。

「…ハクトウワシ、汝、目のところくっきり星形に焼けておるぞ。」

「仕方ないじゃない。あたしって、ほら、瞳の色が淡いから、強い日差しは苦手なのよ。ビーチではずっとサングラスしていたから、その跡がついちゃって。」

「…星形のサングラスでバカンスしていたのか…。」

「楽しかったわよー。ビーチバレーも、スイカ割りもやったわ。」

ハクトウワシが、持っていたビーチボールを投げてよこすのを、慌ててブラックバックが受けとめる。

「ねえ。ブラックバック。そのマント、フレンズになってからずっと着けてるのよね?」

「うん? うむ、そうだが?」

「一度中に入ってみたいわ。ねえ、こうやって私を、後ろからマントですっぽり包んで抱きしめてみて。」

そう言うと、ハクトウワシは自分の頭をブラックバックの胸にすり寄せた。

言われるままブラックバックはマントを広げ、ハクトウワシの身体を包み込む。

「こ、こうであるか? …汝は我よりからだが大きいからな…。いろいろはみ出して余り上手くは包めぬのであるが…。」

「うるさい。ほら、もうちょっとちゃんとくっついて。すっぽり包んで。全部。」

「頭の羽が鼻にあたる…。かゆい…。くしゃみが出そうだ…。」

「ちょっと! ガマンしなさい!」

ブラックバックの腕の中で、ハクトウワシはマントの裾を掴んで鼻を押し当てる。しみ込んだブラックバックの匂いに交じってかすかに感じるタスマニアデビルとオーストラリアデビルの匂い。

目を閉じれば、温かく豊かな暗闇が心を満たしてゆく。胸いっぱいにその安らかな暗闇の空気を吸い込んで、ハクトウワシはひとつの確信を得た。ブラックバックを愛したことは正しかったと。この黒いおおきなマントの持ち主を好きになったことは、間違いでなかったと。

この先もし彼女を失うことがあれば、私たちはどれだけ深く悲しむだろう。どれだけ深く傷つくだろう。その日はいつか来るかも知れない。それでも、出会えたことを後悔する日は決して訪れないだろう。ブラックバックの体温を背中に感じながら、ハクトウワシは心の中を太く貫くその確信の手触りを確かめていた。


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