あの星降る夜へ女神ウルドと跳んだから。

成井露丸

あの星降る夜へ女神ウルドと跳んだから。

 マンションのベランダから眺める夜は久しぶりの星空だった。こうやって夜風を感じようと思うなんて久しぶりだ。ただ、それが良い意味でかと言えば、俄然悪い意味でなのだから――人生とはままならないものである。


 ワンコインの缶チューハイをコンクリートの手摺に置いて、つきたくもない溜息をつく。

 僕はどこで間違ったんだろう。僕はどうしてこの街で一人生きているんだろう。

 自分らしさを感じられない職業に日々摩耗し、スーパーで買った清涼飲料水や動画サイトのコンテンツで疲れた心を癒やす日々。そして何より――君がいない。


 その刹那、空の端に光の欠片が流れるのが見えた。


 ――あ、流れ星!


 頭の中で鳴った声は僕のものではなくて、あの日の君の声色だった。

 流れ星が瞬くその一瞬に願い事をすれば、女神様が叶えてくれるって言っていた。


 あの星降る夜に帰れるならば、君との未来をやり直すことが出来るのだろうか。

 嗚呼、女神様、僕をあの星降る夜へ……もう一度連れて行ってください。


「――お安い御用だよ、宮倉みやくら幾人いくと青年!」

「おわっ!」


 隣から声がして思わずのけぞった。


 びっくりしすぎて思わずベランダから落ちそうになる勢い。なんとか手すりに掴まって事なきを得る。恐る恐る振り返ると、そこには僕と同じくらいの年頃の女性が立っていた。


 部屋から漏れ出す蛍光灯の明かりに照らされて、彼女の美しい相貌が闇夜にぼんやりと浮かび上がる。長い髪の毛は白銀色で、褐色の肌、草色のボートネックTシャツは肘あたりまでゆったりと伸びていて、下にはスキニーレギンス。


「……え、誰ですか?」

「それにしても暑い夜だよね。ちょっと梅雨が明けたからってすぐに蒸し暑い夜を連れてくるなんて、夏空もデリカシーが無いよね」


 何故だか夏空に対して自分を口説く男への愚痴のような台詞でぼやく女性を、僕はぽかんと眺めていた。だって、どこから突っ込んで良いのかわからないのだ。

 そもそもここは僕の自室だし鍵は掛けていたはず。ちなみにマンションの八階だし外からは侵入出来ないはず。この女性はいったい何者で、何をしているのだろう。そもそも男性のお家に、女性が一人で入ってくるなんて、危険だし、貞操観念が……とか考える僕はやっぱり古風な臆病者で、だから、いつまで経っても独り身なんだろうか?


「――凄いネガティブだね。青年! でも、女性の貞操を気にしてあげることは大切だよ!人のことを大切に思う気持ちに古風も現代的もない。世間がなんと言おうと、守りたいものは守れば良いのさっ!」

「え、僕、今、自分の考えていること喋っちゃってました?」


 心を読まれたようで、僕は思わず彼女の横顔を二度見した。

 白銀の髪の美女はゆっくりと左右に首を振った。


「いいや。君は何も言っていないよ。でも何も口にしなくて、私には君の思考が手に取るように分かるんだ。なんてったって私は――」


 お芝居の演出のような、十分な間。


「――あなたは?」

「――時と運命を司る女神! ウルド様だからさ!」


 そう言うと女性は、背中に羽織ったマントをばさりと広げる仕草をしてみせた。

 なお、上着は夏らしいボートネックのTシャツ一枚。故に何も広がらない。


 それでも僕が疑わしそうにしていると、ウルド様は自分の頭の少し上を指差す。

 そこにはシーリングライトの蛍光灯みたいに丸い光の輪がプカプカと浮いていて、「ああ、この人は本当に神様なんだな」って、妙に納得させられた。


「もしかして、さっき僕が流れ星にした願い事を聞いて……女神様が来てくれたんですか?」


 僕がそう聞くとウルド様はちょっとばつが悪そうに右頬を人差し指で掻いてから答えた。


「う〜ん、まぁ願い事で来たっていうのはそうなんだけれど、あんまりその流れ星とは関係ないカナ?」

「え、そうなんですか? ――流れ星に願い事をすれば女神様が叶えてくれるって話を聞いたんですけれど?」

「ま〜、流れ星をきっかけにするっていうのはあるかもねー。ただ、私が影響を与えるのは一人ひとりの判断による分岐だけ。願い事が叶うかどうかは、本来はまた別の話」


 そう言ってウルド様はベランダに両肘を突いた。

 ――それで? と、ウルド様は僕に促す。


「――君は過去を変えたいのかい?」


 僕はもう一度、ベランダから夜空を見上げた。

 あのかけがえのない星降る夜を思い出す。

 あの日がきっと僕の『運命の分岐点』だったのだ。


 だから――僕はそっと頷いた。


 ☆


 仕事終わりに自宅に帰ったのが一時間ほど前のこと。ネットで見つけたレシピで夕食を作って、一人で食べる。食事が終わり、冷蔵庫から缶チューハイを取り出して栓を開けると、自室のベッドに寝転がってスマートフォンでいつものSNSを開いた。何気なくスワイプして流していた液晶画面上のタイムラインで大学時代の友人がシェアしたニュース記事が目に留まって――胸が締め付けられた。


 ――新しい時代の大学図書館改革を実現する注目のプランナー本多ほんだ愛花まなかさん


 思わずベッドの上で身体を起こす。弾みで蹴り上げたサイドテーブルが激しく揺れて、缶チューハイが倒れそうになったけれど、それはすんでのところで阻止した。


 本多愛花――大学時代に片思いし続けた女の子。

 吹っ切れたつもりでいたけれど、身体の反応は素直だった。

 卒業から四年経った今でも、僕はまだその恋を拗らせ続けているみたいだ。


 そのニュース記事にはこれまで幾つもの企業再生を手掛けてきた経営コンサルタントの彼女が、今、注目の人になっていて、今度は大学図書館の改革に取り組むのだと紹介されていた。社会人になって四年目。もちろん綺麗な彼女だから、それによる水増しみたいな扱いもあるのだろう。それでも、こういう記事に掲載されるくらいには有名人になったのだろう。SNSの友人情報ではまだ独身ではあるみたいだけど。


「――随分と遠くに行っちゃったもんだなぁ」


 運命の分岐点で別々の道を歩みはじめて、離れ離れになった二人の人生。

 きっともう交わることもないだろう。

 あの日――あの星降る夜に、泣いていた君に僕の恋愛感情を告げられていたならば、また違う人生があったのだろうか。


 ☆


「ワンチャンあったかもしれないネェ〜」

「……なんか、適当言っていません?」

「そんなことないぞ! 宮倉くん。『求めよさらば与えられん』だぞっ!」


 腕を組んで大仰に頷いていたウルド様は、茶目っ気たっぷりに人差し指を立てて見せた。

 僕は溜息を一つ。なんだかちゃらいよウルド様。


 彼女は知っているのだろうか、あの日のことを。

 大学のサークルで行った夏合宿。宿舎を抜け出した河原で見つけた三角座りの本多愛花。あの日、彼女が泣いていて、僕らが交わした言葉の一つ一つを。

 思い出すのは合宿で泊まった山あいの宿舎。君と付き合っていた一つ下の学年の男子に新しい恋人が出来て、自分より年下の新入生相手に身を引いた君が、気丈に振る舞っていた大学三年生の夏合宿。あの日、夜に宿舎を抜け出した君を追って僕は河原へと向かったのだ。



 僕の隣でウルド様が両手を広げる。その先には青い球体が浮かび上がる。


「君は願った! あの日に戻りたいと。あの日に分岐したであろう世界線を変えるために。彼女と交わした言葉をやり直したいと。――その願いに相違はないね?」

「――間違いないです」



 大学生のサークルの新歓イベントで見かけた君のことが気になった。それがあのサークルに入るきっかけだったと言っても過言じゃない。一年生、二年生。君とはただの友達で、でも、僕の青春の日々には君が居て、それが僕の大学生活を彩った。

 トレードマークのミディアムボブの髪にはじけそうな笑顔。くりっとした目。「幾人!」って下の名前で呼ばれる度に、友達として「なんだよ!」って返していた。

 君が隣にいた幾つもの季節。愛花が恋人を作っても、別れても僕は変わらずに隣にいた。君が恋人と別れる度に、心の中では「次こそ僕の番かな」って思ったりもしていた。

 それでも僕は君の傷心に付け入ることは出来なかったから、その結果として、全ての機会を見送ってしまった僕は、君と同じ人生を歩むことが出来なかったのだ。



 ウルド様の手の先から放たれる青い光が広がって、僕らの立つベランダを包み込む。


「――今から君と私は過去へ飛ぶ。君が戻りたいと願う『運命の分岐点』はあの星降る夜。恋人から別れを告げられた本多ほんだ愛花まなかが涙を流したあの夜だ。それから後の大学生活。サークルを引退して就職活動や卒業研究に取り組む中で離れ離れになった君たちにとって、あの夜が最後のチャンスらしいチャンスだと思うんだろう?」


 僕は無言で頷く。少なくとも僕はそう認識していたから。

 あの夜が確かに『運命の分岐点』だったのだ。


「じゃあ飛ぶよ? 準備は良いかい?」

「――ああ、よろしく頼むよ。女神様」


 やがて青い光球は収束し、僕らの視界から見慣れた街が消えた。


 ☆


 確かにこんな空だった。


 山間から見える星空は都会から見るそれとは随分と違っていて、一体どこにそれほどまで隠れていたのかと問い詰めるたくなるくらいにの星々は輝いていた。

 草むらを抜けた宮倉幾人は、河原に転がった岩に三角座りで座る本多愛花を見つけた。でも、その様子がおかしいことは宿舎を出る彼女の背中で分かっていた。一年生の時に出会って二年半――短い付き合いではないのだ。

 暗闇を照らすのは遠くの道路の街灯と半月――そして満天の星空。


「こんな夜に河原に一人じゃ危ないよ」

「……幾人か」


 愛花はじっと川面を見詰めたまま、幾人の方を振り向かなかった。

 幾人は数歩離れた河原に立つ。丁度いい岩が近くに無かったのだ。

 それに、今の彼女に座って寄り添うのは何かが違うと思ったりもした。


「――座ったら?」

「いいよ。そんなに長居しないし」

「そう、……長居しないんだ?」

「うん、夜の河原は虫も多いって言うしね。蚊はまだしもぶゆとか勘弁だよ」

「私はいいよ。もう虫に噛まれたって」


 いつも明るくて前向きな本多愛花にしては珍しく投げやりだった。


「彼氏と別れたんだって?」

「耳が早いね。……ていうかみんな知ってるかぁ。あーあ、バレバレだよねぇ。これからどうしよう。サークルに居づらくなっちゃう」


 そう言って膝小僧を抱える。その上に顎を乗せて、視線は俯きがちで、眉尻は泣いて濡れているみたいだった。夜の川のせせらぎが鈴虫と共に二人を包む音を鳴らす。


「愛花が気にすることはないよ。みんなわかっているよ。仕方ないってさ」

「仕方なくなんてないよ。あいつだって、きっと私がもっと可愛げのある女だったら……」

「――愛花は十分に可愛いよ」

「ありがと。慰めてくれて!」


 本多愛花がその後輩の男子と付き合い始めた時、首を傾げるやつは僕以外にも多かった。

 愛花はただでさえ男勝りなところがあって、二年生の後期からはサークルの執行部に名を連ねることも決まっていた。もちろん彼女に女の子として可愛いところがあるのは僕が一番よく知っている。でもその後輩が彼女の彼女らしさを包み込めるようには思えなかったのだ。勝気な愛花。甘えん坊の愛花。美人の愛花。可愛い愛花。その全てが本多愛花なのだ。


「私って『こう』って決めたら融通が効かないところあるじゃん? 男の子と一緒でもその相手を立てないっていうか」

「……でも、それが愛花じゃん?」

「それでも私は『可愛げのある女の子』にもなりたいの!」

「……どうして?」

「そりゃ可愛いくなりたいよ。私だって、ちゃんと恋して、ちゃんと幸せになりたいから」


 二人が居る川沿い。向こう岸は杉林で、見上げると満天の星空。

 まず愛花が空を見上げて、幾人がそれを追った。


「綺麗な星空だね。あの一つ一つの星から私たちってどう見えるんだろうね」

「何百光年先か何万光年先かわからない。きっと向こうから僕らを見たとしても、僕らが観測されるのはずっと未来でなんだろうね」

「その時には私たちはいないのかな? こんな想いだって、なんでも無かったみたいに消えちゃうのかな? 空の向こうから私のことを見てくれる人がいても?」

「わからないけどさ。でも遠くの星からじゃなくて一番近い星から、今の愛花をちゃんと見ている人間がいるっていうのは確かなんじゃないかな」


 驚いたように振り向く愛花。それに気付きながらも幾人は夜空から視線を下さなかった。

 ただ単に、照れくさかったから。


「なにそれ? 幾人ってそんな恥ずかしいこと言うんだ。ウケるね」

「いや、ウケないっしょ。別に」

「そっか。ウケなくていいんだ。別に」

「愛花はなんだかんだで空気読んじゃうからね――あっ」

「――あ、流れ星!」


 先に見つけたのは僕だった。夜空に煌く星がいくつか空を駆け抜けた。

 すぐに愛花も視線を上げる。二人っきりの河原で見上げた空に流星群。

 それはとてもロマンチックな光景だった。


「綺麗ね。――ねぇ、幾人。知っている? 流星が流れる間に願い事をしたら女神様が願い事を一つ叶えてくれるんだって」

「あー、なんか聞いたことあるかも。……じゃあ、愛花は何を願うのさ?」

「えー、今? わかんないや。頭の中、ぐちゃぐちゃで。うーん、なんだろうなぁ。幾人は?」


 また一つ星が瞬いた。

 ――息を一つ吸った。


「僕は愛花の味方でいる。君が誰を好きになっても。どんなに可愛げがなくなっても。将来成功しても、失敗しても。愛花が自分を責めないで、生きていけるように、ずっと応援できる自分でありたいと願うよ」

「なにそれ? 全然、流れ星にする願い事っぽくなくない? お願いごとっていうか約束みたいで。……でも、……ありがと。その言葉、信じちゃって良いのかな? 私って可愛げないじゃない? でも、やりたいことっていっぱいあるの。今の執行部だって楽しいし。社会に出たらきっと女らしさなんて脇に置いてもっと活躍したい。でも、そんなことをしていると女の子としての幸せを逃しちゃうんじゃないかなって不安もあるんだ。……今日みたいにさ」

「じゃあ、そんな時は僕が駆けつけるよ。それで君がどう足掻いたって素敵な女性だってことを思い出させてあげるよ」


 そんな幾人の言葉に、さすがの愛花も目を見開く。そしてくしゃりと笑った。


「本当に幾人は良いやつだね。うん、ありがとう。だったら私も女神様に一つ願い事をしちゃおうかな――」


 幾人が「どんな?」と返したその瞬間、また幾つかの星が夜空を駆けた。


「――宮倉幾人が今の約束を忘れたら、女神様、どうか彼にその約束を思い出させてください。特に私が元気そうには見えて、本当は苦しんで寂しくて助けて欲しいと思っている時には必ず。正義のヒーローみたいに宮倉幾人くんが駆けつけてくれるように」


 彼女はその願い事を大空に捧げる。開いた手を空に伸ばして。

 隣で当の幾人は「大袈裟だなぁ」だなんて笑っている。

 大学生になってから二年半の短くない付き合い。男と女だけれど友情を育んだ二人は惚れた腫れただけじゃないその大切な関係性を確かに感じていたのだ。だから――


 満天の星空。星降る夜の河原で二人は同じ空を仰いだ。


 ☆


「――せっかく過去に来たのに、自分の過去に介入しなくて良いのかい?」

 

 五年前の僕と愛花の背後、僕は河原へ下りる坂の上でウルド様と並んで二人の会話に耳を傾けていた。

 

「ごめん、せっかく連れてきてもらったのにね。でも――正直、五年前の自分より良い言葉を、今の僕は持たないんだと思う。あれがきっと僕の本当の気持ちなんだ」

「確かになかなか良いことを言っていたじゃないか、青年」


 僕はあの日、彼女にはっきりとした恋愛感情をぶつけることが出来なかった。

 それはただ臆病だったからじゃない。そういうことが二人のゴールじゃないと思ったからだ。僕が求めていたのは、一時の恋慕や、一瞬の情熱、そういうものじゃない。


 ――そういう気持ちを、思い出したよ。


 あの日彼女と見上げた星空はとても綺麗だった。

 だから、僕は願ったのだ。彼女が自分らしく生きられて、それでも彼女が壁にぶつかった時には、自分自身が駆けつけられる存在であることを。

 そして、愛花も願ってくれた。僕がいつの日か彼女の元へと駆けつけることを――流星に向かって――女神様に。


 僕は右隣、頭の上に光る輪を浮かべた女神様に訊ねる。


「ウルド様。一つ聞いていいかな?」

「ああ、構わないよ。なんでもどうぞ」


 河原で夜空を見上げる二人に目を細める。確かにそれはロマンチックな瞬間だった。

 僕はそこで彼女に恋人の名乗りを上げることが出来なかったけれど、僕の語った言葉は確かに「答え」だったと思うのだ。それもきっと最高に大正解な。


「この瞬間って、本当に僕の『運命の分岐点』だったのかな? 実は違うんじゃないかな? 今の僕にはそうだと思えないんだ。この瞬間は必然で、だから本当の選択が求められているのは――」


 幾つもの感情が湧き上がる。新歓イベントで出会った時の愛花。大学生時代の多くの時間を共にした二人。そして就職して違う街へと旅立っていった愛花。

 そして交わした言葉――約束。


「――戻ろう、ウルド、元の時間へ。本当の運命の分岐点はここじゃないっ!」


 僕が顔を上げると白銀の髪のウルド様はニヤリと笑った。

 そして返事の代わりに両手を開く。手のひらから青い光の球が生まれ始めた。

 やがて大きくなったそれは僕らを包んでいく。


「私は時と運命の女神ウルド様だからね! 願い事は叶えてあげるよ! それを君が望むなら――」


 やがて僕らを包んだ青い光の球は収束し、僕らは跳ぶ。

 未来へ。僕らの住む五年後の世界へ!


 君とは別々の人生を生きるようになってしまったと思っていた。

 でも、それは勘違いだった。日常で摩耗した僕が、自分勝手に導いた諦観だった。

 むしろそういう君の自立した生き方を願ったのは僕だった。

 それは君が僕の大好きな君でいてくれることを願う、僕の痛切な祈りだったんだ。


 君はそれを受け入れてくれたのだ。――君自身の願いにさえ変えて!



 ――女神様、どうか彼にその約束を思い出させてください。特に私が元気そうには見えて、本当は苦しんで寂しくて助けて欲しいと思っている時には必ず。正義のヒーローみたいに宮倉幾人くんが駆けつけてくれるように。



 隣で女神様が時空を超える光球を制御し続けている。その横顔に僕は告げる。


「ありがとう、ウルド様。僕に思い出させてくれて。――愛花の願い事を叶えてくれて」

「――それが女神様のお仕事だからね。お安い御用さ!」


 ウルド様は少し嬉しそうだった。「でもね」と続ける。


「私に出来るのはその時々の選択にほんの少しの影響を与えるだけ。後は――君自身で運命を切り開くんだぞ――青年! ワンチャンあるから!」


 眩しい光が視界を覆う。やがて全てが霞んで、視力を取り戻す。

 目を開くとそこは自分の住んでいるマンションのベランダだった。手摺りのコンクリートにはワンコインの缶チューハイ。――もう、ウルド様の姿はそこに無かった。


 ガラスの引き戸を開いて室内に入る。ベッドの上にはさっきSNSを見ていたスマートフォンが無造作に落ちていた。身をかがめて、それを拾い上げる。

 LINEアプリを立ち上げて本多愛花のアカウントを発見する。

 良かった。まだちゃんとあった。


 一年以上連絡を取っていなかったから繋がるかどうかわからない。

 それでも鳴らしてみよう。

 電話の理由は何にしよう?

 ニュース記事を見たよ、久しぶり、元気?

 それくらいで良いじゃないか。


 僕は液晶画面をタップする。画面が呼び出し状態に変わり、僕はスマートフォンを耳へと押し当てた。やがて呼び出し音が止まる――


「――もしもし、愛花? あ、うん、そう。元気だった? ――

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