〜エピローグ〜
「……もしかして、朝倉、あおい、さんですか?」
「はい、そうです!」
「どうも初めまして!」
急な来客で慌てるように煙草を携帯灰皿の中に無理やり押し込んで立ち上がり頭を下げて挨拶をする磯村。
「……初めまし、て」
首を傾げて苦笑いするも一応、そのノリに合わせてぎこちなくお辞儀をした。
「えっ、その、大丈夫なんですか?」
「はい、大丈夫です」
何を心配してそんなことを聞いてくるのかいまいち理解していなかったが、とりあえず真っ直ぐな気持ちで、はっきりと大丈夫だと答えておいた。
「これは、アカンやろ……」
えせ関西弁を呟くと後ろを向いてしまい、サングラスを外して目を拭う。もしかしたら泣いているのかもしれない。
「私、kyoさんの大ファンで今日、六本木の映画館に居るという情報を入手して、迷惑だと思いつつも思い切って来てしまいました。あの、握手してください」
これも女優魂か、初めて会ったという
「……そうなんだ。それはありがとう。4月のライブは観に来てくれた?」
再び伊藤と対面して握手に応じるがその声は緊張からか、震えていた。
「それが、残念ながら仕事が忙しくて観に行けなかったんです。でも私が行かなくてもチケット、ソールドアウトしたのは凄いですね」
「もう一つのバンドがそれなりに人気あったというのもあるよ。いつかワンマンでも満員にしたいね」
「きっとできますよ。ライブ前に出した新曲もすっごい良かったですし」
伊藤は近況を把握している。今年の春に対バンライヴをしたこと、始動と共に出した新曲のことも。なのに自分は一切、情報を遮断していた。磯村は彼女の2年間を何も知らない。
「……もうやめようか」
おそらく事の発端は自分が機械のバグのように初めましてと言ってしまったからだ。きっかけを作った人間がこうでも言わないといつまでも続くような気がした。
「えっ、もう? なんかやっていくうちに楽しくなっちゃったのに」
「そんなスラスラ言葉が出てきて感心するよ。俺には無理だ」
「ふふっ。でも、初めましてか……それも有りかな」
「どういうこと?」
「私達、二人は今日ここで初めて出会った。それが本当だったらどんな関係になっていたんだろうって考えちゃった」
「あの時、過ごした時間は無かったことにするってこと?」
「そうじゃないけど私達二人、本当の意味でまだ出会えてなかったんだよ」
字面だけ受け取れば意味が分からなかったが、その裏に隠されているだろう想いを自分なりに汲み取るとなんだか胸にすっと落ちた。今日、二人は初めて出会った——
「ねっ、今から私の家に行こう。マネージャーにはこの時間、家に居るって言ってあるから」
「どこに住んでいるの?」
「恵比寿。ここから近いでしょ」
山手線、しかも一番栄えているエリアに停まる駅、そこに住んでいる人を初めて見た。さすが映画のスクリーンを一人で占領した人物である。
「いくら払えばいいの?」
「ばか。約束でしょ。ちょっと予定よりは遅れたけど2年後、また出会って近況を報告し合うって」
「そのつもりでいてくれたんだ」
「言ったじゃん。撮影が大詰めで忙しいから無理になったって。その撮影って今日、観てくれた映画だったんだけどね。どうだった?」
もう会いたくないということを遠回しに言った理由かと思っていた。相変わらず被害妄想が激しいかもしれないと猛省した。しばらくして連絡を寄越してきたと思ったら自分が出演する映画の前売り券を送りたいから住所を教えてくれ。これも遠回しに私はもう遠い世界に居ると示すためだと思った。
そんな思考だと気が進むわけはないが最後にこの2年間、彼女はどんな風に変わったのか見ておく必要はあるという結論を達して、重い腰を上げた。
「そうだったね。うん、碧しか見ていなかった。可愛くて」
「いやだ、本当に言っている?」
両手で口を覆いさぞ嬉しい表情を浮かべているとわかる。
「この感想は誰も疑わないだろう。俺も今日、碧のファンになっちゃったかも」
「じゃあ、お互いファンだって分かって意気投合して、交際スタートってことでいいか」
「そういう流れか。でも碧は共演者と何も生まれなかったの? 演技とはいえあんな関係性になれば不思議じゃないと思うけど」
「そこはプロだから線引きできているよ。それに主演俳優さんは二人とも結婚して主役の方は子供までいるし、全然そんな雰囲気にはならなかったっ。それに、あんなほぼ出突っ張りの役、断れるわけないのは分かるでしょ?」
その点はいやに強調して、これが仕事だと理解も求めた。
「分かっているって、つい聞いてみたくなっただけ。じゃあ、ずっとここで立ち話もあれだし、行こっか」
「ねぇ、私達二人が肩並べて街歩いたり、電車に乗ったら絶対に注目の的になっていたと思わない?」
「だろうね。最悪、碧は気づかれるんじゃない」
車の走る音が延々と響く。タクシーの中でサングラスを外してようやく互いの表情を見ることができた。街、街灯の明かりが時おり顔を照らして、それさえも画になる二人。窓の外を眺める磯村、伊藤は体を傾けて預けている。運転手もいるためあまり込み入った話はできなさそうであった。
「でも、本当に嬉しかった」
「なにが?」
「正直、本物かどうか、見極める眼を持っている恭一ならつまらなかったって言われると思った。だって実際は不評な声も多いんだよ。原作と違いすぎるとか、何のひねりもないストーリーで豪華俳優陣の無駄遣いとか」
言われるまでもなく心の片隅ではそう思っていた。少なくとも後世に語り継がれる作品ではないと。それでも、そんなものは些細なことと思うほど磯村は伊藤に吸い込まれていった。
「いや、けどお世辞ではなく碧の演技は本物だって思ったけど。喜怒哀楽、どの表情も魅力的だったし、これはこの若さでヒロインに抜擢されるのは納得だって思ったよ」
「良かった、伝わって。私にできる事は台本の良し悪し関係なく、素晴らしいお芝居をすることだけだからかなり気合い入れてやったもん」
「たまに、なんで大して上手くもないこの人がこんな良い役をやっているんだろって思うこともあるけど、碧なら実力と見合っているって評価されていると思うよ。こうして改めて見てもやっぱり普通の人と違うなって思う。さすが社長が諦めなかった人材だなって」
「恭一が言うなら間違いないね。そういう恭一もけっこう普通じゃないと思うけどね」
「そう、かもな……そういえば学校はどうだったの、音楽のことは学べた?」
「それが……仕事の方、優先させられてあまり授業に出られなかった。それでも週に一回とかの音楽教室に通うよりは勉強できたけど。ギターは上手くなったけど、歌の方は消化不良かな〜」
「それは残念。じゃあ単位ギリギリで卒業できたとか?」
「いや多分、本来であれば卒業は無理ですって言われるレベルだと思う。でも私は特別扱いで卒業でいいですって言われたみたいな」
ははっと乾いた笑い声が聞こえてきそうに言った。
「あれ、特別扱いと言えば碧って授業料、特待生で免除されたんでしょ? けど今、碧はミュージシャンじゃなくて女優として活躍しているわけで。学校側としたら音楽学科じゃなくて、俳優学科を卒業したっていうことにした方が都合良かったんじゃない?」
「その通り。一応、卒業生が活躍していますって宣伝には使われているけど、在籍していた学科とまるで違う活動しているからあんまり効果はないみたい。むしろ音楽を学んだのにどうして女優として活躍できるの? みたいな声もあって演技なんて勉強しなくても俳優として活躍できるって見方もされていて……だから私は今後は近いうちに当初の約束通りに音楽活動もやらせてもらえる予定。ただ、まだもうちょっと先の話になりそうだけど」
「……もしかして今日、観た映画で水谷さんが作った曲が使われていたって、その伏線だったりする?」
「そう、気がついた!? いやそんな伏線とかたいそうな意図はなくてほんと偶然だったの。監督をしたのがまだ比較的、若い女性の方なんだけど普段は舞台の演出をしている方でいわば映画の世界では新人だったわけ。で、俳優からも私みたいな新人がメインキャストに選ばれたわけじゃん。その流れで音楽も若い女性で固めようってなって、まさか知里が選ばれていたの。すごくない?」
「偶然なんだ。それはすごいね。この映画は女性が大活躍なんだね。水谷さんってもう現場で活躍している人なの?」
「聞いてみたらね、コネがものを言ったみたい。ほら、知里のお父さんも音楽業界に身を置く人じゃん。もう大学に通いつつ音楽制作の現場で経験積んでいるのは間違いないみたい」
「やっぱりこういう世界ってコネなのかね?」
その質問に腕組みしながら渋い顔で考える。
「コネと、あとは運かもしれない。私だって殆ど運が良かったから今こうしているわけで。そこに実力が伴っていたら長続きするみたいな?」
積もる話をするもタクシーに揺られて約15分、目的地に着こうとしていた。まだまだ話し足りない様子である。タクシー運転手には先ずは恵比寿駅、西口までと言い、そこからさらに駅を通り過ぎて伊藤の住むマンション周辺で降ろしてもらう。視界には一際、目立つ10階はあろう高級マンションがそびえ立っている
「そんな高くないし、俺も半分は払うよ」
「いいよ。私が事前連絡なしに当日いきなり誘ったんだし」
「いや、これだとあの婆さんの言われた通りになるから。なんなら俺が全額払うよ」
「なに、あの婆さんの言われた通りって」
「今日、映画観る前に渋谷駅周辺を歩いてたらいきなり髪の色が紫の婆さんが話しかけてきて『あなた、生涯ヒモ男ってオーラ纏っているわね。その可愛い顔で色んな女、虜にしているでしょ』って言われて地味にショック受けているんだよ」
「ははっ。何その人、面白い。占い師? そういえばなんで六本木の映画館でって思ったけど渋谷にも居たんだ。こっちに用あったってこと?」
「そう。最近、ボイストレーニングに通い始めて週に一回は東京に来ているんだ。今日はその帰りに帽子が欲しくて渋谷にも寄って色々と回っていて。で、ちょっと渋谷の混雑から抜け出したいからさらにそこから移動して六本木に決めたわけ。帽子と言えば碧のそのベレー帽いいね」
「ありがとう。ボイトレなんて通い始めたんだ……あっ、ねぇ、これ雪じゃない」
肩に舞い降りた白い粒を見て空を見上げる。誰もがこれは雪だと分かるくらいの大粒の雪が降ってきた。
「ほんとに降ったよ。まだ11月なのに珍しいよね」
「私達の再会を祝福してくれたのかも?」
「そうなのかな」
空を見上げる磯村。祝福の雪、良い響きであった。それこそあまり占いや、縁起とか祟りの類いは信じないが今回ばかりは11月に東京で雪という意味でも、そう捉えて良い気がした。自然も俺たちを祝福していると。そういえば2年前も離れようとしたところを地震が繋ぎ止めたか。こんな経験をすると、もしかしたら……とも思う。
「あっ、もしかして映画を観る日、わざわざこの時期に合わせてくれたの? 9月の公開前に前売り券、送ったのにいつまで経っても観に行ったっていう報告ないからもう観ないのかと思ったけど」
「この時期に合わせて? なんかあったっけ」
「えっ……違うの」
明らかに不機嫌な顔になった。
「信じられない。普通、忘れる。今日、私の誕生日じゃん」
絶対に有ってはならないことをやらかしてしまった。2年間、会っていなかったとしても別れてはいない彼女の誕生日を忘れるなどと。
「そうだったね。ご、ごめん」
早歩きで歩き始めた。どんどん磯村から離れていく。
伊藤の背中を見つめながらやってしまったと思ったが、ここまでの偶然はあるだろうかと驚きの方が大きかった。俺達はやはり……。もう逃してはならない、いや、離れない。磯村は腕を軽く振って走った。
「今日、もしも別の映画館で観ていたら俺達、こうして会えてた?」
そう言いながら両手を肩にかけて伊藤を後ろから抱きしめた。立ち止まる伊藤、その言葉を耳元で聞いた。
「……ずるい。今の私だったらろくに謝らなくてもこうすれば許してくれるって思ってるでしょ?」
「いや。ただ、碧が離れていったから捕まえただけだよ。もちろん誕生日、忘れていたのは本当に申し訳ないけど」
「今日、出会えたのはね、ちょっとした奇跡だと思う」
振り返り磯村の全身に体を預けた。降り出した雪が二人を優しく包み込む。
「もう嫌だよ。暫く会わないとか」
「大丈夫。これまた偶然にも俺、来年にはこっちに引っ越す予定だからこれからは今日みたいに頑張れば会える回数増えるかも」
「本当に? やった!」
肩、足を並べる。手と手を繋ぎ合い踏み締めて歩き始める。
「やっぱり手、冷たいね」
「これはもう慣れて」
いつも以上にゆっくりと歩く磯村と伊藤。街が白に染まる様子に心ときめかせる。
……振り返れば地面には二人の並ぶ足跡がついていた。
漂う幻影 浅川 @asakawa_69
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