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 カシャ、iPhoneからカメラのシャッター音が鳴る。

『今から映画観るよ〜もしかしたら終わる頃には雪降っているかな?』


 自撮り写真と共にそうツイートした。防寒具代わりとして白いマスクを着用している。その顔を両手でiPhoneを持ち下から撮ったようなアングルであった。

 やりたいことを済ませて上を見上げるとやたら豪華な出入り口であった。こんな映画館は初めて来る。階段を上った先に館内があるのだろう。横には現在、公開中の映画ポスターがガラスケースに入れてずらりと飾ってある。もちろん今日、自分が観る予定の映画も。それをまじまじと見ることはなかった。

 階段を上っている最中もiPhoneをいじっていると早くも先ほどのツイートに反応が返ってきていた。

『六本木ですか? いい場所でみますね〜』

 場所を特定されていた。写真を撮った時に写った周辺の特徴を見て六本木だと分かったのであろうと推測した。これは迂闊に自宅周辺の写真など撮れないわけだ。とはいえ現在位置を特定されたからといって一気にファンが押し寄せて大混乱になるほど人気者というわけではない。気にすることなくガラス張りの建物へと入った。

 前もって全国の映画館で使える前売り券を持参しているため券売機でチケットを買う必要はなかった。お目当の映画が上映されるスクリーン番号を確認してエスカレーターに乗る。その途中にある売店でメロンソーダを買って予めインターネットから手続きをして指定してある席に座る。中段の一番端の席。観やすさと、立ち上がって直ぐに席を離れられる方が良いと思ったからだ。座り心地は良かった、疲れた体には助かる。

 さて、観る準備は整った、あとは暗くなるのを待つだけ。久しぶりの映画館での鑑賞に心が踊る。何より今から観る作品には……。

 映画配給会社や様々なこの映画の製作に携わっている会社のロゴが映し出された後に映画、本編が始まった。そこでいきなり度胆を抜かれた。

 大スクリーンのど真ん中にあの伊藤碧が街の雑踏を背景にソロで映っていた。回想という形で長い台詞を喋り始める。

「(えっ? いきなり出てきたよ……しかもよー喋るな……)」

 そして映画館の音響で聴く伊藤の声。次第にドキドキしてしまっていた。

 前情報は人気俳優が多数出演、そこに伊藤碧も出ている、それだけである。まだ20歳になったばかりなんだからきっと脇役、出番が少ない役なのだろうと勝手に決めつけていた磯村、まさかの展開にポカンと開いた口が塞がらずスクリーンを見つめる。

 役の名前は田川エリ子。父親は小学生の頃に愛人と逃亡、母親にも愛情を注がれず成長したため色々と苦労している役らしい。幼少期時代の子役に代わってその背景を説明している。学校で名前がカタカナと漢字が使われていて変だという理由でいじめられていた。

 再び伊藤が演じる田川が登場。家出をしたかのようにもう一人暮らしを始めているらしい。磯村はなぜこんな可愛いく成長した娘を見放すのか全く理解できないでいた。コンビニのバイト中、中年の男性客にレジ台の前で怒鳴られているシーンになる。

「(なんでこんな綺麗な女性に向かってクレームが言えるんだ? むしろ碧はバイト時代、おやじ達に人気があったはずだぞ)」

 前のめりになって心の中で叫んでいた。フィクションをみるには全く向いていない人間がここに居た。いや、この中で一番映画を楽しんでいる人間とも言えるかもしれない。運動会で我が子に夢中になっている親と似た心境か、或いは架空のお話を現実として捉えてしまう無邪気な子供か、そんな感情が混在している。

 とにかくかなり大雑把だったが不遇な人物だと回想で分かった。そして現在へと戻りテレビでたまたま紹介されていたアイルランドの星空を見て自分もここに行きたい、いや日本から逃げ出したいと奮い立った。田川は決心したのであった、アイルランドに行こうと。そのために旅費など諸々稼がなければ、しかもできるだけ短期間で。田川はちょっと怪しいアルバイトに手を出してしまう。

 それはメイド喫茶であった。制服は可愛いと言えばそうだろうが屈んだら中が見えてしまいそうなくらい短いスカート。その店のコック兼店長はヤクザのように厳しい、いや実際にヤクザの息がかかった店らしい。そのヤクザの店長はなぜか現実離れしているくらいイケメンだった。磯村も名前は知っており、顔も何度もテレビ等で見たことはある。

 磯村は固まってしまう。興奮しているかもしれない、伊藤のメイド姿に。もう一つ、優良男子が目の前にいる、それに軽く焦っていた。が、下品な客が太ももやお尻を触ったりして田川が控え目に嫌がる、そのシーンには「あお……(いになにしとんじゃー!)」危うく噴き出す怒りの勢いそのまま声に出してしまうところであった。寸止めで免れたことに胸を手に当てて安堵した。

 店が閉まったらトイレや店内を一生懸命掃除している。家に帰ったら暗い部屋で食べているのは焼いた食パンにハムを乗せただけの食事。それを泣きそうな顔だったが涙を流すのは我慢しながら食べている。他にも海外へ、アイルランドへ飛び立つ準備として英会話の勉強もしていた……自分も英語の勉強に励んでいた、もろに感情移入してしまった磯村までもが泣きそうになっていた。

 もしかしたら暫く会わないと決めたあの日からも、伊藤はこんな顔をしながら必死に耐えて過ごしていたのかもしれないと想像してしまった。そんな顔さえも可愛くてしょうがないのが余計に辛い。

 上昇したものはやがて落ちていく、それが自然だと理解している磯村はそれそそろワンシーンごとにいちいち感情が揺れ動いていることに疲れを覚え始めていた。座っている席に沈むように寄りかかり少し冷静に観ようとした。

 まさか主役、ヒロインと言えばいいのか、この道を目指す者なら誰もが憧れるポジションだった。豪華俳優陣に囲まれながらも伊藤は若さという粗を見せることなく堂々と演じてみせている。素直に凄いと思い、感服した。

「(いつの間にか自分には遠い世界に住む人間になってたんだな〜)」

 かつて彼女の一番近くに居た男。当たり前のように指に、肌に、髪に触れていた。今ではそれは遠すぎて叶わない。

 田川にしつこくセクハラをする客を成敗する人物が現れる。それなりの地位にいるヤクザの一味らしいがこれまたイケメン人気俳優だった。

 その人物は新しく入ったその田川を心底気に入ったらしく自分の物にしたいと店長に申し出た。いくらでも金は払うと言う。それに気が進まない仕草、渋い顔をする店長。

「(これはこの二人が碧を取り合う展開なのかな)」

 一人のヒロインを巡って男二人が争う。てんやわんやする田川も可愛くて微笑ましいと笑顔を浮かべる。ようやく少しは冷静に観られるようになっていた。

 序盤はぞんざいに扱っていたのに今では『料理はできるのか?』と聞いてきて『少しはできます』と答えたので田川に料理を教え始める店長。子供の時から親に頼らずなんでも自分でやっていたため料理も得意でこの店を任されたらしい、という背景が初めて語られた。

 もう一つの理由に、数年前に巻き込まれた抗争で手に後遺症が残るほどの傷を負いもうまともに闘うことが出来ないとも。この人も辛い過去を背負っている、自分と重なる部分があると次第に惹かれていっていると観ている者に勘づかせる。逆にその店長も自分の近い所に田川エリ子を置いておきたいという意図が伺えた。

 意外にも料理が本格的という口コミが広がっていき店は開店以来、一番の繁盛をしていた。初めて味わう充実感、賄いを出してくれたりと待遇も変わってきていた。願わくばこのままこの状態がずっと続けばいい……しかしその幸せは一瞬であった。

 元々、身内の憩いの場として営業していた店。そこに思いの外、純粋な客が増え始めていて稼いでいるのが気に入らないともう一人の、田川を狙うイケメン俳優は思っていた。さらに何度も懇願しているのに頑なに田川を譲ろうとしない。

 いい気になるなと閉店後、部下数人を連れて店へと押しかけて来た。激しい戦いになる前に非常階段から逃げろと言うが田川は聞き入れようとしない。暫くの口論の末、ようやく逃げると引き下がるがその去り際に『必ず生きて帰ってきてね』と涙ながらに囁きキスをした。

 軽く触れる程度のキスであったのが救いだったが唇と唇が触れ合ったのは間違いない。磯村はもう抗議の言葉も出ないほどお先に銃で撃ち抜かれたようなショックを受けていた。何せ相手が相手だけに文句が出てこなかった。

「(やっぱり別の男にいっちゃうよね〜)」

 茫然自失で現実と虚構の区別がつかなくなっていた。田川ではなく伊藤が、このイケメン俳優と幸せに暮らすのだろうと敗北感を味わっていた。

『これを持っていけ』一旦は止めて、そう店長が言い渡したのはキャッシュカードであった。『暗証番号は……』自分の全財産を渡してこれで望みを叶えろということなのだろう。

 店内での激しい銃撃戦、やがて銃が使えなくなった両者は肉弾戦を繰り広げる。俳優のアクションをスローモーションでみせていた。いざという時に自分は大切な人を体を張って守れるのか、それは無理だとどんどん自虐的になる。

 崖っぷちに立たされた店長はガスが充満してしまっていた店内にライターを点けてラストは店ごと吹き飛ばした。それを雨が降る中、外でその様子を目撃した田川は泣き叫ぶ……。

 アイルランドへ渡りそこの小さな喫茶店で働いている田川エリ子、英語も現地の人と意思疎通ができるまで体得している。

 ある日、そこへ見覚えのある男が訪れてくる、驚きと共に両手で口を押さえる田川。その目には涙も。涙を拭い丁寧に空いている席へと案内した……。

『いっらっしゃいませ』そこでスタッフロールへと切り変わった。

 キャスト部分で伊藤は十分な空きスペースが確保された中、二番目に表示されていた。

『朝倉あおい』その名で活動をしているとここで初めて知った。

「(うそ、もしかして)」

 音楽スタッフの所、今、流れているエンディング曲の曲名が表示されてそこの作詞、作曲者に『水谷知里』という知っている名前があった。そして、「(えっ、唄まで担当しているの。ってことはこの声は水谷さんってこと)」

 女性しか出せないハイトーンの声。最近流行りのアイドル声というよりは昔懐かしい90年代のJポップの匂いがする。本当にあの水谷知里なのか、確証まだないがきっとそうなんだろうという気がした。

 シンセサイザーに造詣を持っているのは知っていたが歌までこなす万能プレイヤーとは。

 なぜ彼女が採用されたのか? 偶然か、それとも誰かが手を回したのか、高校時代の友人、二人が同じ作品にそれぞれの立場で関わっていた。そうの方が素敵だから信じたいとも言える。

「(二人とも凄いな)」

 もう一つ気になることがあった。イケメン俳優と一緒に乗り込んだ部下の一人がものすごく見覚えのある人物だった。

「(あれって浩介じゃないのかな〜)」

 そう思ってキャストの名前をよく見るも『神崎浩介』の名前は見当たらなかった。そうなると見間違いかと思うも伊藤が『朝倉あおい』という芸名で活動している以上、神崎も本名でクレジットされていないかもしれないという可能性が出てきた。

 本人からではなく高梨から聞いた話だが神崎は大学卒業後は俳優として活動したいと言っていたと聞いていたからこちらも出演している可能性はある。

 もしもあれが神崎ならじつに三人もの知り合いがこの作品には関わっている。磯村は不思議な縁を感じる。今はそれぞれの道に進んで散ってしまっているが、いつかまた会える日が来るんではないかと、そんな少し遠い未来をうっすらと思い浮かべた。

 シアター内に暖かい色の明かりが灯される。メロンソーダーを最後まで飲み干して立ち上がった。

 下手したら映画を観る前より疲れてしまったかもしれない、そう思うほど歩くスピードはいつもより鈍い。

「(碧、可愛かったな〜)」

 一つひとつの言動、全てが可愛い、愛おしかった。約2時間の上映時間、殆ど伊藤しか見ていなかった。越えてはいけない線を何かの拍子で越えてしまいそうな程に熱狂的なファンの心理とはこういうものなのかとふと思う。

 逃した魚は大きい——失ってみて初めて気がつくとはよく言ったものである。そんな風に焦がれる彼女を一度は手中におさめていた過去が重くのしかかった。

 後悔してからでは手遅れな場合が多い。自ら突き放してしまった以上はもう何も彼女に言えることはない。歩み寄ったところでなにを今更と言われそうである。

「(でも、やっぱり住む世界が違うわ)」

 身分違いの恋とも言うべきか、改めてそう結論付けた。盲目になるまで自分に恋をしている彼女を見て時に優越感に浸っていた。その慢心に溺れて暫く会うのはやめようなんて言えてしまった。だがどこかでやはり怖かったのかもしれない。単純にこんな自分と彼女が付き合ってもいいのかと。なんやかんや人は同類とくっ付く。芸能人なら結婚相手も芸能人やモデルのように同じ界隈の人間と結ばれるのだ。なら自分だって同じ世界に住む人を、同類を見つけるべきだ。

 伊藤とは何かの手違いで出会ってしまい、なぜか付き合うまでいってしまった。一般人は踏み入れる事のできない華やかな世界で活躍している彼女とは今後はもう会うことはないだろう……。

 外に出ると寒気が顔面に突き刺さる。トレードマークともなった愛用のサングラスをかけて内心の動揺を勘づかれないようにした。空を見上げるもまだ予報されていた雪は降っていない。

 階段の下段、端に座り込み煙草に火を点けた。注意する人なんていやしない、いつもそう思っていたのに今日はいつもと違った。

「喫煙エリア以外でタバコは吸わないっ!」

 誰だ、こんな外見が全身黒でサングラスまでかけている人間に声をかける奴は?

「いつから吸い始めたの? 臭い付くの嫌だし今すぐやめて」

 首を上げて声の主を見た。緑のベレー帽に丸いサングラスをかけていてどんな顔かよく分からない。なんだ、同類か、格好からそんな親近感を覚えたがそもそも誰だ?

「もしかして私の声、忘れた? もうっ……私だよ」

 サングラスをずらして瞳を見せる。先ほどまでスクリーンに映っていた、今、一番会いたい女性がそこには立っていた。

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